自己紹介です
そういえば、自己紹介をしてないのに 今頃気づきました。
髪の毛は「デジタルパーマ」で巻いてます。←すごく持つよー。。
えーと、おばちゃんは「五体不満足」です。
外見では分かりません。
事故で人の半分程度しか聴力がないんですよー。
もう10年程前のことです。
聴力だけならいいけど、音の音階も正しく耳に届きません。
なので、悪くした時点で音楽のある生活とは きっぱり決別しました。
あと、F1メインスタンド並の耳鳴りが24時間しています。
慣れましたけどね・・。
ついでに言うならば、母も姉も障害者。
全員違う障害で時期もバラバラ 母と姉は手帳持ち
わたしだけ、無し
母は骨が変形する病気で ありえない方向に 指が曲がってて、ひざも変形した
ので、一時期車椅子に乗ってましたが、ついに膝を金属の骨に変える事になり
最近は歩く事が出来るようになりました。
よかったよかった(*^ー^)ノ
姉は子供を産んだとき血栓が出来、半身不随に
これももう、7年位前かな?
決死のリハビリで 随分回復して 歩く事は出来るようになったけど
走る事は出来ないと言ってました。
姉は産んだ子供と一緒に退院できず、退院してからもいろんな原因が重なって
鬱病になり、主婦が(自分の両親と同居)クスリ飲んで、一日中ベッドで過ごし
完全に引きこもり状態・・・。
なーんて書くと、暗そうですねー(;^ω^A
いやもう、全然暗くありませんからー!
姉の鬱病はクスリを飲むのを止めたら、何故か回復しました。
母が、どうもこのクスリがおかしい・・・と思い
「あんたクスリ飲むの止めてみな、もし、どうかなったときには、夜中でもあたしが
あんたを抱えて病院に連れてっちゃるけん!」←同じく障害者の母の言葉
この言葉で、姉は母の無償の愛を感じ、精神的に立ち直る事が出来たと言います。
わたしも母も姉も 障害は個性のひとつと思っています。
もちろん、障害を得てしまった当時は、全員それぞれに悩みましたが
時間が経って、そんなこたー忘れちまいましたよ!
当初は、聴力ゼロで何も聞こえない状態。(回復したんです)
耳鳴りも もっとひどくて
「死んで生まれ変わった方が・・・」
思うには思ったけど、死ぬにも勇気がいりましてービビリなおばちゃんは・・・
「あと5年生きてみよう、それでも辛かったら そん時死ねばいいや!」
自殺を先延ばし・・・
で、いまでも全員生きてます ワハハ (^_^;)
わたしの場合は、一応1対1だと、会話に支障は あまりありません。
(相手がわたしに向かって話しかけてくれるので)
2人、3人になると、もう、判別できない。。。
当然、仕事に障るので雇ってもらえない。
でまぁ、前からやりたかった仕事を自分で開拓して、自宅でやってます。
もともとデザイン畑の人間だったので良かったんだけど、営業や、言葉を使う仕事
だったら、今頃もっと悩んでいたかも!?
オットはわたしが障害を得てしまった後に知り合った人でして 理解がある・・と言うか、あんまり気にしてないようです。
買い物などでは、こまごまとわたしの耳のかわりをしてくれます。
当時付き合ってた人は「治らないなら別れる」と言い放ちましたからね!
(`皿´)!キーッ!傷ついたよ あたしゃ!
運動能力もあり、仕事も不自由なく、運転も出来るので 取れるか取れないか知らないけど、障害者手帳の申請はしていません。
(多分取れないよねー?)
なので、買い物行ったりしても車を障害者スペースには絶対止めないんだけど(歩くに障害のある、母と姉が「いっつもスペースが空いてない!」と嘆いてます)
障害者スペースに車を止めると、必ずフロントガラスの内側の見える場所に<障害者手帳>を置かなくてはいけない決まりが あるんだけど
どの車のフロントガラスにも 見たことないです
カナシー・°・(ノД`)・°・ オイオイ・・・
先日なんか、買い物行って店に歩いていると、1台の車がスーッと障害者スペースに車を 半分車道にはみ出して止めて
「?」と思って見てたら 中から白ジャージの 見かけ五体満足のカップルが、タッタッターと走って行った!
「ちょっとちょっとー!」とダンナに言うと、ダンナも一部始終を目撃しており
ひとこと
よく言った!ダンナよ!
本当に歩くのに困難な方が、困っています。
五体満足な方は障害者スペースに車を止めないで下さいね。。
おばちゃんからのお願いです(`・ω・´)ゞ
遠くに止めた方が歩くので、運動になってダイエットになるですよー!