営むとはなんだろう | 「ありのまま」でいいんじゃない

営むとはなんだろう

1/12(月)31日目。暗闇の中、リュックに取り付けたLEDライトを頼りに標高500mにある第65番礼所三角寺に向かう。着く頃には夜は開け、空は薄曇り。急な階段を上がると鐘楼を兼ねた山門がある。

 

  

 

拝礼を終えて標高900mの第66番礼所雲辺寺へとさらに山深く足を運ぶ。愛媛県から徳島県三好市(旧池田町)に入り、香川県讃岐ノ国へ。ちょうど3県が接しているほぼ中央に寺院がある。

 

  

 

山深い自然の中に入れば、地図はもうほとんど見ていない。頼りになるのはこの絵の「へんろ道」という案内板、先への道しるべに身を委ねる。

 

  

 

第66番礼所は四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにあり、麓からロープウエーで山頂駅までいくことができる。私は歩いて山を登り、山を下った。第66番礼所には雪が残っていた。

 

 

 

雪も多く、「山越えするには苦労して、時間もかかるだろうな」と思っていた。宿は第67番礼所大興寺近くの民宿を考えていたのですが。にもかかわらず、スムーズに通り抜けることができた。それでも木々が雪の重みで何本も折れて積み重なり、道を塞いでいて難儀したところもあった。

 

 

直ぐ目に止まった。夫婦杉があるくらいなのでご夫婦で参拝する方々が多いことだろう。さすがに誰もいなかった。寒さに凛と立つ木姿に妻を想った

 

 

第67番礼所大興寺は田園地帯にあり、真言宗と天台宗の修行場として栄えた寺院。本堂の左右にそれぞれの宗の大師堂があり、とてもめずらしいお寺だそうだ。ちなみに弘法大師は真言宗。

 

予定より2日早くここまで辿り着いている。

 

第67番礼所を過ぎると道中に宿がなく、結局約11時間、18時近くまで40kmほど歩いた。遅めの電話予約にもかかわらず、第68番礼所と第69番礼所の目と鼻の先にある宿をとることができた。

 

その宿は割烹料亭が先、宿は後から営み初めたので、料理がほんとうに美味しかった。夕食は一般客の人も数人いた。部屋と料理からすると安過ぎる料金だった。海に近いこともあり、刺身が旨かった。泊まった旅館の中ではピカイチ。

 

営むとはなんだろう。決してひとりでは営むことはできない。夫婦杉もこの宿も「営む」ことの深さを問いかけてくれる。

 

営むには「怠らず行う」「造る」という意味があるみたいだ。異なる二つが会い寄り添い、お互いが怠らず、造り続けてきたならばその営まれているものには磁石のような人を惹きつける力があるだろう。

 

何を造り続けてきたかはお互いが時にぶつかり合い、時に融け合い、その都度を積み重ねてきた年輪で決まっていくもの。「営む」とは終わりのない年輪みたいなものだろう。