とある。ブログを拝見し。

現在。世の中が。「太宰治ブーム」ということを知りました。

どのようなブームなのか。

なぜなのかは。わかりません。

まして。自分は。「頭の良い人間」でもなければ。

「すばらしい人間」でもありませんので。

「太宰治」と言う人間を。はっきりとは知りません。


いわゆる。世間知らずというものです。

しかし。いつだったか。

すこしだけ。現代ドラマ的なものをTVでやっていたような気がして。

それを。まじまじと見入り。

昔大好きだったおとこが。

太宰治の生き様にそっくりだったことを感じたことは。

はっきりと覚えております。

だからと言って。それ以上に興味を持ったわけでもなく。

頭の片隅にあった程度ではありますが。

その。とあるブログにて。

太宰治の言葉が書かれていました。

彼のことは。深くはわかりませんが。

とても心に残って。消えない言葉を。

そそくさと。手帳へと記入。


一部。ご紹介。




はな自分の地位を最低のところに置いたつもりでいても、
まだまだ底には底があるものだ。
人間は所詮、自己の幻影によって生きているものであろうか。
現実はきびしいと思った。



はな人間なんて、そんなにたくさん
あれもこれもできるものじゃないのだ。
しのんで、しのんで、つつましくやってゆけば、
渡る世間に鬼はない。
それを信じなければいけないよ。



はな過ぎ去ったことは忘れろ。
そう言っても、無理かもしれぬが。
しかし人間は、何かひとつ
触れてはならぬ深い傷を背負って
それでも、堪えてそしらぬふりをして生きているのではないか。



はな人間には絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、
しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。
正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落とされ、
ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を捜し当てているものだ。



すごい。と思った。

この言葉はまだまだごく一部なのかと思ったら。

まだまだ。他の言葉を知りたくなった。

自分の知らぬ。言葉がどんなにすばらしく。

そして怖いのかを知りたくなった。


明日にでも。

ちょいと本屋へと行ってみようとおもいます。