京都旅日記つづきです。
2日目です。
まずは、バスを東山七条で下車。
5分ほど歩きますと、智積院にたどり着きます。
豊臣秀吉が鶴松の菩提を弔うために建てた
祥雲寺の跡に開かれたお寺が智積院です。
受付からすぐのところに厳重に管理された建物があります。
中にあるのは、長谷川等伯一門の障壁画。
国宝と重要文化財になります。
長谷川等伯の息子、久蔵が25歳の時に描いた桜図(国宝)。
とても繊細で美しい桜の絵でした。
これを描いた翌年に久蔵は亡くなったとのこと。
その死を悲しみ、息子の分まで精進しようと描きあげた
等伯の楓図(国宝)は、
生命力と躍動感に満ち溢れていて圧倒されました。
その他の絵も言葉にできないくらい素晴らしくて、
しばし見入ってしまいました。
小さな絵ではありますが、
キレイな紫のあやめがとても気に入りました。
智積院は、お庭もまた有名です。
お庭は撮影OKでした。
庭園は、利休好みの庭、と言われていて、
中国の廬山をかたどった築山や、
書院の下まで入り込んだ池などがあります。
このお庭を眺めることのできる大書院に
先ほどの国宝の障壁画があったとのことでした。
現在は書院には複製が飾られています。
智積院から5分程歩いたところに南大門が現れ、
この門をくぐるとすぐに法住寺があります。
法住寺はもともとは、三十三間堂を含むあたりから東寺の方まで
広大な敷地をもつお寺だったということです。
その後、色々とあって今の形となり、特に大きな変化としては、
それまで敷地内でお守りしていた後白河天皇陵が
明治時代に入り、宮内庁管轄となったため、
お寺と切り離され、塀で区切られたのだとか。
ここから東側に後白河天皇陵があります、
と書かれた札があったのですが、
そもそも東ってどっち?!とキョロキョロしているところに
お寺の方がいらして、これらのことをご説明くださいました。
ありがたいです。
更に、天皇陵が西向きのため、
一帯の観音像(三十三間堂も含め)などは全て東向きとのこと。
そんな理由があったとは知りませんでした!!
また、法住寺には、あらゆる災厄の身代わりになってくださる
身代わり不動明王像があります。
ありがたく、お参りさせていただきました。
更に、大石内蔵助がこちらで大願成就を祈誓されたことから、
四十七士の木像も安置されていました。
先述しました後白河天皇陵ですが、
この日は平日でしたので、法住寺脇の通路から入って、
外から拝見することができました。
土日祝は近くに入ることすらできませんので、
ご注意くださいませ。
つづく。