井上寿一氏は、学習院の教授で、近代日本政治史の専門とし、産経新聞の『正論』に定期的にエッセイを書いている。

彼のエッセイは、戦前の知らなかった歴史を教えてくれるので、大変勉強になり、私は、必ず読む。

が、今まで読んできて、気になる点が二つ。

一つは、過去の事実から、現在への教訓を引き出すことを、あからさまにやっていること。

戦前の政党政治の流れの中で、重要な点を、抜き出し、現在の政党政治の状況と重ね合わせ、戒めとしている。

が、前にも書いたが、歴史はあまり教訓にならない気がする。

それに、戦前の政治状況と、戦後の政治状況で、決定的に、違うことは、天皇、軍、首相の地位が、憲法で、明確に規定されている、点だ。

政治制度が決定的に違うので、単純に過去の経験を引き出して、現在に当てはめる、というのは、説得的ではない。

彼のエッセイには、政治制度論の研究蓄積がない分だけ、深みがない。

二つは、彼の二大政党論擁護である。

1115日付けのエッセイでも擁護している。

が、先進国が大体二大政党なので、日本もその辺に落ち着くのだろう、というぐらいの根拠しかない。

私もそう思っていたが、やはり、日本は天皇陛下をいただく国である。

形式上は、天皇が、有能な人材を、『臣』として、抜擢し、『民』が、『臣』の政策を実行して、強く、豊かで、自由で楽しい国を気づいていく、これが、日本の政治理想ではないか。

つまり、欧米先進国と、日本は根本的に違うのである。

もちろん、天皇が、『臣』の選抜などという、もろに政治的な行動をするのは、危ないので、選挙をする。

選挙を勝ち抜く人間は、かなりな人望・能力を持っているだろうから、自然と有能な『臣』が選ばれる、ことになる。

この『臣』が、憲法上の総理大臣となり、各大臣を任命し、高級官僚を任命し、国政を取り仕切っていく。

そして、その政治が悪ければ、次の選挙で、また有能なのを選ぶ。

次のもダメなら、また選ぶ。

その繰り返して、日本は、天壌無窮に栄えていく。

それが『古事記』の神託だ。

まあ、それは置くとしても、この政治的理念の中では、政党などというものは、出てこない。

そもそも、政党などは、個別的な利益を持った人々の集まりに過ぎず、そのような集団が、国家権力を握れば、私服を肥やすに決まっている。

二大政党による安定した国家運営などとは、二つの私利私欲の集団による国富の搾取である、なんて言えないかしら。

井上教授も、先進国の流れを思想の底流において、戦前政治を語るよりは、国学などの日本の政治理想を下敷きにして、エッセイを書いたほうがいいのではないか。