福田和也によると、
「今日、私たちは、児玉を称揚することはあっても、乃木を敬慕することはない。
それは、私たちが機能主義の時代に生きているからにほかなるまい。
機能で、能力で、人を評価することに馴れている。
馴れすぎていて、疑うこともできなくなっている。
有能であること、賢明であることだけが、人を尊敬する理由になってしまったのは、私たちが合理的になったということだけではないだろう。
むしろ、それは、いかに視野が狭くなったかを示しているようにも思われる」(『乃木希典』p35)。