私の尊敬する平川祐弘(すけひろ)教授が、
「何とぞ、日本に真のエリートのための『教育の新幹線』を敷いてもらいたい」、
などとおっしゃって、エリート教育の必要性を力説された(産経新聞10月22日p9)。
むー、本当にエリート教育は必要なのか?
エリート教育をやって、日本が見違えるようによくなるのか?
戦前教育は、戦後教育と比べて、エリート教育の要素を多く持っていた、といえるかもしれない。
で、戦前教育で日本がそんなにすごかったか?
戦前教育で日本はアメリカとの戦いに敗れた。
しかも、ミッドウェーの戦いなど、とんでもないくらい恥ずかしい負け方だ。
エリート教育の代表例のような海軍であんなみっともない負け方をしたのだ。
山本五十六は真珠湾攻撃で失態を演じた南雲を切れなかった。
南雲もせいでミットウェーで負けた。
エリートの山本の決断力のなさが、日本を敗戦に導いた。
一方、戦後教育はエリート教育ではないかもしれないが、日本人のノーベル賞受賞は最近多くなった。
エリート教育でなくても、ノーベル賞は取れるのだ。
軍隊、自然科学など、国家の存亡にかかわるような、重要な分野で、エリート教育が有利だ、とは一概に言えないようだ。
では、社会科学、人文学はどうか。
これらの分野は、そもそも、国の援助など要らない分野だろう。
自由にやらせとけば、何とでもなる分野だ。
さらに、エリート教育は、特権階級をつくり、自由で、活発な競争を排除してしまうのではないか。