去る4月26日に、草莽志塾さま主催の講演会に行ってまいりました。

 今回は我々、保守研でも以前お世話になった中島岳志氏(北海道大学公共政策大学院准教授)が講師をつとめられ、「保守主義」についての講演でした。


 題して、「保守主義とは何か」~日本になぜ保守主義者はいないのか~


 いったい保守主義とは何なのか。

 中島氏いわく、最近はよく、下野して自らの足元がわからなくなっている自民党の人達が「保守って何なんですか?」と聞いてくる惨状のようです。戦後、保守を掲げてきた人たちですら、いやむしろ彼らこそ、「保守主義」のあるべき姿をわかっていない。そういうかなり歪な構図になっています。

 そういう問題意識から、「保守主義」をここでしっかりと捉えなおす必要があると思います。以下、中島氏の講演に準拠し、保守について序章的な考察を述べたいと思います。



 そもそも保守の対極にある左派とは、どういったイデオロギーなのでしょう。

 中島氏は言います。あたかも国家を重要視するのが保守、とか思われているけど、そうではない。実は左派にも、国家社会主義や、共産主義、社民主義といった考えがあり、それらは皆、国家をむしろ肯定している、と。対して、アナーキズムや市民社会主義は、我々人間はひとりひとり信頼にたる存在であるから、国家なんていらないと考えます。


 では、保守とは何が違うのか。左派は、人間の理性的な努力によって、未来に平等社会(理想社会)の実現が可能だと考える、進歩主義に立脚しています。が、保守はそういう立場を取りません。保守は、一言で言えば、反進歩主義。人間の理性・設計主義にによって理想社会を構築することはできないと説きます。

 つまり、そこには、ある種の「諦め」があります。人間も社会も、常に不完全な存在であり、それは過去も現在も未来も同じ。保守が属する右派は総じて、そういう人間観・世界観を持っています。

 

 同じ右派の中でも、右翼や、新自由主義といったものもあります。右翼とは、保守と同様、人間の理性に非常に懐疑主義的ですが、ある超越者を――日本で言えば天皇(あるいは国体)――置くことで、理想社会が実現可能だと考えます。また、新自由主義は、人間の理性ではなく、「市場」によって(まさに神の見えざる手によって)理想社会の実現を目論見ます(小泉・竹中路線がこれにあたりますね)。


 保守が依拠するのは、歴史や伝統、自生的秩序や神、といったものです。

 人間の理性も頼りないし、どうやっても理想社会は実現できないと考えるのであれば、当然の帰結ですね。理性では図りきれない、人智を超えたものに意味を求めるしかない、と。過去から続いてきているものを常に参考にして社会の改革をしていくという意味では、「後ろ向きの前進」(エミール・ファゲ)といえます。


 だからと言って、過去に固執し、変化を拒否し、凝り固まっていれば良いというわけではなく、また昔に戻れば良いというわけでもない。反動でも、復古でもありません。世の中の変化に応じた漸進的な改革を絶えず行い、社会や制度の欠陥を埋め、ほころびを補強していく、無窮動が必要です。つまり、急な変革は冷静さを欠いており、不完全な理性によってそれを行えば、混乱を招きかねないので、ゆっくりゆっくりと前へ進んでいく。そういう改革が求められます。


 何度も言うように、理想社会の実現を断念しているという意味では、胆力の欠かせないイデオロギーでしょう。しかし、そこにこそ「より良い社会」の可能性があるのではないか、とも思います。



 さて、講演内容のレポートはこれくらいにして、講演会後の懇親会の話をちょっとさせていただきます。


 今回、はじめて草莽志塾に参加させていただきましたが、非常に多種多様な方々がいらっしゃってました。大学の教授、お寺の僧侶、保守系団体の方々、地方議員さん、あと、これは書くべき微妙ですが、某市長選で残念ながら落選された方。

 実は、最初は「右翼っぽい人たちばかりなのかな?」と思っていました。しかし上記のようにいろんな方々が集まり、会場はほぼ満員状態でした。


 あ、で、懇親会の話ですが、塾頭さんのご厚意に甘え、若輩ながら私も参加させていただきました。乾杯の挨拶を任されるという、無茶振り(?)もどうにか乗り越え、豪勢な宴会スタート。生のままでも食べられるという肉(しゃぶしゃぶ推奨)やカニなどなど・・・って、食い物の話は置いといて。


 たまたま隣に座った方が札幌東区の議員さん(民主系)でした。この前の地方選挙の話、今の政権の話など、けっこう深い話までお聞きすることができました。てっきり、札幌市の除雪費が削られたのは上田市長のせいかと思ってましたが、実はそれは的外れな批判なんだということを知り、政治というのは何が本当なのか、わからないなぁといった次第です。


 あと元某市長候補とも幸運にも話ができました。彼女は何と言っても知名度という点で相手に劣っていたと思ったので、「あと4年で知名度を上げていこう、ということですね」と言ったら、歯切れ悪く、「でもね、世の中の流れって早くて・・・そう簡単じゃないわよ」と少々自信なさげな印象を受けました。言外に「私もその中に埋もれてしまうのでは」と言っていたのだと思います。

 彼女の地方自治に対する熱意は伝わってきました。しかし、「保守がおさえないと・・・」と繰り返し主張していたのは、あそこにいた人たちの多くは保守層だったからなのか、本心からなのか、よくわかりませんでした。


 そして最後まで塾頭の熱弁がとまらず、中島先生とはあまり話せませんでした(笑)もっといろいろお話を聞きたかったですね。。。

 レポートは以上です。



文責:あじゅ