東京新聞から★ 詳細はこちらで、実験が基地外で行われた可能性も、
日本に復帰前の一九六〇年代初めの沖縄で、稲作に深刻な打
撃を与える生物兵器の研究開発のため、米軍が屋外実験を
繰り返していたことが分かった。
稲に大きな被害をもたらす「いもち病菌」を水田に散布し、
データを集めていた。
共同通信が米軍の報告書を米国の情報公開制度で入手した。
米国本土や台湾でも実験しており、沖縄が米軍の生物兵器
の研究開発戦略に組み込まれていた実態が浮かび上がった。
中国や東南アジアを念頭に開発を進めていたとみられる。
その後、米国は六九年、人に被害を与える病原体を含め、
保有する生物兵器の廃棄を決めた。
報告書は、米陸軍がいもち病菌を使った研究開発の結果
をまとめて六五年に作成。実験場所の一つとして沖縄が明示され、
六一~六二年に少なくとも十二回の実験が記載されている。
中略ー
同様に入手した米陸軍の別の文書は、沖縄などで行った実験が
「有用なデータの蓄積という点で部分的な成功を収めた」と評価している。
◆3カ所とは驚き
この実験は1961年に着手した「プロジェクト112」の一環。
生物・化学兵器の態勢強化を図るのが目的で、米国内や海外の基地
で数多くの研究や実験をした。
沖縄にも62年に化学兵器部隊が配備された。配備の前から農作物に
被害を与える生物兵器開発の実験が行われていたことはあまり
知られておらず、3カ所で実験されていたとは驚きだ。
首里には基地がなく、実験は基地外で行った可能性もある。
■先日枯葉剤をまいた記事を書きました。
プロジェクト112についてはこちらのNHKの番組の動画でどうぞ。
自国の兵士にも犠牲です。こちらに詳細が★
この夏、アメリカで元兵士たちが国を相手に大がかり
な裁判を起こす。
彼らは1960年代にアメリカ軍が密かにおこなった毒ガスなど
化学兵器の開発実験に参加した人々、その後の健康被害
に対する補償を求めているのだ。
東西冷戦の激しい軍拡競争のなか、核兵器にかわる
冷たい大量破壊兵器といわれ、アメリカと当時の
ソビエトが開発にしのぎを削った化学兵器、
その開発実験の実態とはいかなるものだったのだろうか。
今回、取材チームは、それを解き明かすきっかけとなる
機密文書を入手した。
「プロジェクト112の要項」。
文書から、1960年代に、当時のマクナマラ国防長官の
指揮のもと、大量のアメリカ軍兵士が参加し、総力をあげて
サリンやマスタードなどの毒ガス兵器を開発していく
特別なプロジェクトの実態が見えてきた。
さらに、沖縄こそが、米軍の化学兵器の最大の貯蔵基地で
あったことも明らかになってきた。
当時、極秘とされてきた化学兵器の開発の実態
とその残したものとは何か、関係者の証言、独自
に発掘した資料フィルムをもとに浮き彫りにしていく。
※人間は見えない敵を作り上げ兵器の開発にいそしみ人間を
破壊してゆきます。
本当の敵は自分たちの中にいるのに気が付きません。
武器の開発にしのぎを削り、ロボットにまで戦争させ今や
宇宙戦争まで想定しています。
なんて愚かなんでしょう、エスカレートしてとどまることも知りません。
神の杖のもとに滅びるのはこの地上の人間です。
放った矢は自分のもとに帰ります。