ペタしてね医療費もどんどん保険適用外です。
うがい薬のみ、保険適用外に…医療費61億削減

純粋にクリスマスに浮かれてた時代はもう終わった気がします。

クリスマスmerry
形】 陽気な、快活な お祭り気分の、浮かれた 〔動作が〕素早い、
キビキビした

Christmas
古代ローマの太陽信仰(ミトラス教)の主神(ミトラ)の誕生日を
西暦1世紀にローマ皇帝コンスタンティヌスが自身の権力で
キリスト教に組み込んだ祝日

sei★右翼の人が天皇誕生日にクリスマス祝うなとツイートしてましたが^^;;
天皇陛下も23日に80歳のお誕生日を迎えられました。

宮内庁によると、記録が確かな推古天皇以降では、
在位中に傘寿を迎えたのは今の天皇陛下だけ!

陛下は後水尾天皇(第108代)に次いで、長寿歴代3位の陽成天皇
(第57代)と並ばれる。

■孫崎 享@magosaki_ukeru ツイッターから。

警告:NHK天皇陛下誕生日記者会見で最も重要な部分を削除している
。安倍路線と違うから,ニコニコ発信天皇陛下 80歳の誕生日」で「
日本は平和と民主主義を守るべき大切な物とし日本国憲法を作り、
様々な改革を行って今日の日本を築きました」

NHKは安倍さんのためなら天皇陛下のお言葉さえ、削除

削除部分⇒日本は平和と民主主義を守るべき大切な物とし
日本国憲法を作り、様々な改革を行って今日の日本を築きました


というこのお言葉が気に障るんですね。

天皇陛下、記者会見全文

誕生日を迎えられるのに先立ち、陛下は皇居・宮殿で記者会見をし
、80年の道のりを振り返り最も印象に残っていること
として「先の戦争」を挙げられ
「夢を持って生きていた多くの人々が若くして命を失ったことを思う
と本当に痛ましい限りです」などと述べられた。

「天皇という立場は孤独とも思えるもの」と明かされた陛下は、
皇后さまとの結婚を「私が大切にしたいと思うものを
共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」と振り返り、
「皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたこと
に安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力
できたことを幸せだったと思っています」と語った。


天皇陛下の80歳の誕生日にあたっての記者会見全文は次の通り。


――問1 陛下は傘寿を迎えられ、平成の時代になってまもなく
四半世紀が刻まれます。昭和の時代から平成のいままでを
顧みると、戦争とその後の復興、多くの災害や厳しい経済情勢
などがあり、陛下ご自身の2度の大きな手術もありました。

80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事や、
傘寿を迎えられたご感想、そしてこれからの人生をどのよう
に歩もうとされているのかお聞かせ下さい。


天皇陛下

80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事
という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争
のことです。

私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、
その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国,英国,
オランダとの戦争が始まりました。

終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。

この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。

前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を
失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。


戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を,
守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、
様々な改革を行って、今日の日本を築きました。

戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくため
に当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ち
を抱いています。

また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないこと
と思います。

戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災の
ような大きな災害に対しても、人と人との絆(きずな)を大切にし、
冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、
本当に心強く思っています。


傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地で様々に
我が国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ち
を持って過ごせることを幸せなことと思っています。

既に80年の人生を歩み、これからの歩みという問いに
やや戸惑っていますが、年齢による制約を受け入れつつ、
できる限り役割を果たしていきたいと思っています。


80年にわたる私の人生には、昭和天皇を始めとし、
多くの人々とのつながりや出会いがあり、直接間接に、
様々な教えを受けました。

宮内庁、皇宮警察という組織の世話にもなり、大勢の誠意ある人々
がこれまで支えてくれたことに感謝しています。


天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、
私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に
大切に思ってくれる伴侶を得ました。

皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたこと
に安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力
できたことを幸せだったと思っています。


これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います。


――問2 両陛下が長年続けられてきた「こどもの日」と「
敬老の日」にちなむ施設訪問について、来年を最後に
若い世代に譲られると宮内庁から発表がありました。

こうした公務の引き継ぎは、天皇陛下と皇太子さまや
秋篠宮さまとの定期的な話し合いも踏まえて検討されている
ことと思います。

現在のご体調と、こうした公務の引き継ぎについてどのように
お考えかお聞かせ下さい。


天皇陛下

「こどもの日」と「敬老の日」にちなんで、平成4年から毎年、
子どもや老人の施設を訪問してきましたが、再来年からこの
施設訪問を若い世代に譲ることにしました。

始めた当時は2人とも50代でしたが、再来年になると、
皇后も私も80代になります。

子どもとは余りに年齢差ができてしまいましたし、老人とはほぼ
同年配になります。

再来年になると皇太子は50代半ばになり、私どもがこの施設訪問
を始めた年代に近くなります。
したがって再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。
この引継ぎは体調とは関係ありません。


負担の軽減に関する引継ぎについては、昨年の記者会見で
お話ししたように、今のところしばらくはこのままでいきたいと
思っています。


――問3 今年は五輪招致活動をめぐる動きなど皇室の活動
と政治との関わりについての論議が多く見られましたが、
陛下は皇室の立場と活動について,どのようにお考えかお聞かせ下さい。


天皇陛下

日本国憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する
行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と規定されています。

この条項を遵守することを念頭において、私は天皇としての活動を
律しています。


しかし、質問にあった五輪招致活動のように、主旨がはっきり
うたってあればともかく、問題によっては、国政に関与するのか
どうか、判断の難しい場合もあります。

そのような場合はできる限り客観的に、また法律的に、
考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。

今度の場合、参与も宮内庁長官始め関係者も、この問題が国政
に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。

今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていくつもりです。


関連質問
――問 質問させていただきます。先日,陛下は皇后さまと
インドを訪問され,日印の友好親善を更に深められました。

53年ぶりとなったインド公式訪問の御感想をお聞かせ願う
とともに,国際友好親善に際して陛下が心掛けていらっしゃる
ことについても併せてお聞かせ下さい。


天皇陛下

この度のインドの訪問は、インドとの国交60周年という節目の
年に当たっておりましてインドを訪問したわけです。


インドを初めて訪問しましたのは当時のプラサド大統領が
日本を国賓として訪問されたことに対する答訪として、
昭和天皇の名代として訪問したわけです。

当時は、まだ国事行為の臨時代行に関する法律のない時代でしたから、
私が天皇の名代として行くことになったわけです。



当時のことを思い起こしますと、まだインドが独立して間もない頃、
プラサド大統領は初代の大統領でしたし、これからの国造りに励
んでいるところだったと思います。

ラダクリシュナン副大統領は後に大統領になられました。

それからネルー首相と、世界的に思想家としても知られた人たちでしたし、
その時のインドの訪問は振り返っても意義あるものだったと思います。


そして、私にはそれまでヨーロッパと中国の歴史などは
割合に本を読んだりしていましたが,その間に横たわる
地域の歴史というものは本も少なく、余り知られないこと
が多かったわけです。この訪問によって両地域の中間に当たる
国々の歴史を知る機会に恵まれたと思います。

今度のインドの訪問は、前の訪問の経験がありますので、
ある程度、インドに対しては知識を持っていましたが、
一方で、日本への関心など非常に関心や交流が深くなっているという
ことを感じました。

ネルー大学での日本語のディスカッションなど日本語だけで
非常に立派なディスカッションだったように思います。

また、公園で会ったインドの少年が、地域の環境問題を一
生懸命に考えている姿も心に残るものでした。

そういう面で、これからインドとの交流、また
、インドそのものの発展というものに大きな期待が持たれるので
はないかという感じを受けた旅でした。

(宮内庁「天皇陛下お誕生日に際し(平成25年)」から☆