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ETV特集「戦場で書く~作家 火野葦平の戦争~」
放映していました。(今は戦時中の障害者の排除の番組放送中。)

多くの作家が戦時中国家高揚のため活動してた事実
いまペンクラブが秘密保護法案に反対するのはそういう
ところからも来てるのかもしれません。

■2013年12月7日(土) 夜11時30分
【再放送】2013年12月14日(土)午前0時45分


日中戦争から太平洋戦争の時代、作家・火野葦平が
戦場で克明に記した20冊に及ぶ従軍手帳の全貌が明らかになった。

北九州市若松の石炭荷役労働者・組頭の家に生まれた火野は
、庶民への眼差しを生涯手放さなかった作家であった。

出征前に発表した「糞尿譚」で芥川賞を受賞し、
前代未聞の戦場での授賞式に望んだ火野。陸軍報道部員
に抜擢され、戦場で書いた「兵隊三部作」は、
大ベストセラーとなり、一躍国民的作家となる。

日中戦争では、杭州湾上陸作戦から、南京、徐州へ。
太平洋戦争では、バターン(フィリピン)、インパール・・・
激戦地に従軍。
フィリピンでは宣撫工作に携わり、大東亜共栄圏の理念を
フィリピン人捕虜に説き、南京で開かれた大東亜文学者大会
の主要メンバーともなった。

一方で、陸軍の検閲が火野のペンに加えた制限は、大きなものであった。
近年公開された父親宛書簡には戦時中公表できなかった
中国兵殺害の事実がつづられていた。

インパールでは、補給を無視した作戦で多くの兵士が餓死。
火野は軍の作戦に疑問をふくらませていった。

敗戦後火野は、戦争協力者として公職追放となる。
その後、中国を訪れた火野は、おのれの戦争責任を見つめ、
『革命前後』を執筆。

兵隊から敗戦の責任を問われる、書いたものに騙されたと。
戦争は良くないと罪の意識に追われたのでしょう。

昭和35年、53歳でみずから命を絶った。
検閲され削除された麦と兵隊も加筆していた。
苦悶し責任を負ってくれてたと。

残された従軍手帳をもとに火野葦平の軌跡を見つめ、
作家と戦争の関わりを考える。

遺書☆
photo:01


出演:浅田次郎(作家、日本ペンクラブ会長)、中村哲(医師、火野葦平の甥)
ほか語り:西島秀俊 朗読 古舘寛治
(内容時間 89分)
革命前後 (1960年)/中央公論社

¥価格不明
Amazon.co.jp

■NHKで8月にも火野葦平の番組を報道。

日中戦争の時代、『麦と兵隊』で国民的作家になった
火野葦平が克明に記した20冊もの従軍手帳が北九州・
若松に遺されている。

この程、全貌が明らかにされ、陸軍報道部を中心とした
メディア戦略が浮かび上がってきた。

当時、中国の蒋介石政権は日本軍の残虐行為を
国際社会に訴えていた。

のちに陸軍報道部長となる馬淵逸雄は、これに対抗するため、
火野を報道班に抜擢。徐州作戦に従軍させ、「兵隊3部作」
はベストセラーとなり、映画化もされ、戦意高揚に貢献する。

さらにペン部隊が組織され、菊池寛、林芙美子ら流行作家が
参加していく。

太平洋戦争が始まると、火野はフィリピンで宣撫工作
に従事し、大東亜文学者会議をリードしていく。

しかし、実際に火野が目にしたのは過酷な戦場の現実だった。

戦後、戦争協力で批判された火野は、自ら命を断った。

作家を戦争に動員した軍のメディア戦略と火野葦平
の軌跡を初公開の従軍手帳や関係者の証言から描く。

引用元:NHKスペシャル


従軍作家たちの戦争_NHKスペシャル20130814 投稿者 gomizeromirai