いつも感じてました、あの在特会は日本を貶める
ためにあんな聴くに堪えないヘイトデモ行うのでは
ないかと。世界から日本人が非難浴びるだけです。
オリンピック誘致のさいにも弊害と言われ、
デモを自粛してたのですから。
9月になり再開したようです。
戦前の幻のオリンピック日本はアジア初の開催と
決まってたのに、戦争に突入します。
なんかざわざわときました、オリンピック開催は
<戦争しない>ということにではない・・・
こちらのリンク先の記事非常に参考になりました。
リュウマの独り言さま☆ より転載です。
中国が 国際社会に出てきたのは、 「米中」 の
国交が回復 (1972年) してからであってそれまでは
「国連の常任理事国」ですら、 台湾政府であった
事を 若い方は知らないのではないだろうか。
このこと知らない人多いのでrはないのでしょうか。
日本は自虐史どころか、現代史ほとんど勉強しませんから。
ください。
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もし、日本が 中国やアジア諸国に 攻め入って
いなければ、
日本は 植民地になっていた、 だから、
「自衛のための やむを得ない 戦争」だった、
という 「戦争肯定論」が 華やかである。
この下地があってこそ、 今の 「ギクシャク」した 日中、
日韓関係がある。
もし、 戦争していなければ、 「日本は植民地となり、
女性は 皆レイプされている。 それでもいいのか。」
(されて嫌なことを日本が韓国併合し中国侵略していい
のかという根拠にはならないです)
と 続く。 こういう主張をされる方は、 日本が
「国際連盟の常任理事国」であった事も 話さないし、
1940年の 「オリンピック開催予定地」だったことも、
話さない。
都合のいいことだけを つなぎ合わせた論説になっている。
たとえ、 戦争を回避しても 日本が 「植民地になる」
とは、 到底思えないのだが …
左の東京五輪のポスターを見てみよう。
東洋ではじめての オリンピック開催は 決まっていた。
それまでは、 ヨーロッパとアメリカ以外では
開かれていない、 そんな地位に 日本はあったということだ。
もちろん、 これは 日本がはじめた 中国との戦争が
原因で、 国内外からの 批判が集まり 開催を返上したわけだ。 -
- 外国からの非難は 理解できるが、 国内の非難は
理解できまい。
この非常時に 「スポーツなどに現(うつつ)を抜かすやつは
非国民だ」 そういう 論調だろう。 --(今と反対ですね^^;;)
多くの日本人にとって「1964 東京五輪」は
誇らしい輝ける過去だ。 が 1940年の東京五輪が
忘れ去られている。
このことは 日本の指導者たちが 第2次大戦前後の歴史を
ぼかしてきたことを克明に示してもいる。
国民に 教育していないということの 「証(あかし)」でもある。
-- 何度もいうが、 自虐史観教育など、 日本では行われなかった。 --
真ん中は、 ご存知の(そうでない方もいるが) 1964年の
東京オリンピックである。
この大会を 「中国が ボイコットした」という ブログの記事
があり、
振り返るが、 余り記憶は無い。なぜだろう。 信じられないかもしれないが、 当時
学校では 今の中国は 国家ではない、と教えていた。
正当な国家は、 台湾にある 「国民政府」であり、
中国は (アメリカ風にいうと)『ならず者国家』である。
そんな言い方であった。
--北朝鮮も同様-- だから、 平均的日本人は
「大陸側の中国」が、 参加するかどうかは
問題にしていなかったといえる。
「嫌中派」の ブログだろうが、 それ以前の大会も含
めて 「7回も ボイコットしている」、 「どの面 (つら) 下げて …」
と中国を手厳しく批判している。
どうせ、 こういう記事は、 『日本賛美の外国有力政治家の言葉』
同様 あちこちに コピペされて 出回るだろうから、
ちょっと 確認してみた。
wiki の 「中国オリンピック委員会」の項によると
1949年の中華人民共和国成立とともに中華全国
体育総会が設立。
が
オリンピック委員会として台湾に移転させてしまい、
大陸側のオリンピック参加ができなくなった。
中国は1979年にIOCへ復帰している。
とある。 参加できない国が 「参加しない」ことを
ボイコットとは 言うまい。
実質 中国がボイコットしたのは、ソ連のアフガニスタン侵攻
に抗議し アメリカを初めとする西側諸国が ボイコットした
「モスクワ五輪」 -- 中国は ソ連と敵対していた --
くらいになってしまう。
皇国史観の記事と 同様である。
中国が 国際社会に出てきたのは、 「米中」 の
国交が回復 (1972年) してからであって、 それまでは
「国連の常任理事国」ですら、 台湾政府であった事を
若い方は知らないのではないだろうか。
いずれにしても、 当時の 「東京五輪」は
成功して 終わったように思う。
長いのでよければリンク先をご覧下さい。