8月16日の『東京新聞から詳細はリンク先で。

旧日本軍原爆開発 端緒の報告書 核分裂 爆弾へ転用言及


戦時中に旧日本陸軍が原爆開発に取り組むきっかけとなった

報告書のコピーを本紙は入手,

原文を作成したのは当時、原子核物理の第一人者だった

理化学研究所の仁科芳雄主任研究員(一八九〇~一九五一年)

原爆開発について「強力なる爆弾として用いられる可能性あり」

などとし、ウランの必要量や破壊力の計算など具体的な製造方法にも言及。


報告書の存在は知られてましたが裏付ける資料が見つかったのは初めて。


以前から言われてました。

wikipediaより 1940年理化学研究所の仁科芳雄博士が、

陸軍航空技術研究安田武雄所長に対して「ウラン爆弾」の研究を進言。


なんと雑誌新青年 1-7 大正9・7予言的記事が。


将に開かれんとする世界の最大秘密の扉」



…英国バーミンガム大学のアーネスト・ラザフオード教授である。

教授は、原子(ルビ:アトム、以下同じ)を分解する事に成功した。

で、この事は、他の学者の最近の発見と相俟つて

、或る「力(ルビ:フオース)」を解放するに至つた。



そして人間を殆ど神様と同様の物にするか、それとも人類文明なるもの

を粉微塵に破壊して終ふかも、実にこの「力(ルビ:フオース)」の掌中に

握られてゐるのである。…


「日本に居て米国の市街を灰燼に帰せしめる力」
 …若し右の方法が成功した場合には、恰も今日無電

が大洋を越える事が出来るやうに、吾々は原子力(ルビ:アトムりよく)

を放つて、この大地を透過させ、地球の反対の面、例へば日本か

ら云へば亜米利加の一市街を灰燼に帰せしめるやうな事が出来やう

詳細はこちらのサイトさまで左右矢印

http://moriokalabo.at.webry.info/200602/article_10.html から


ウラン入手が不可能となったので日本は、

1945年6月に原爆開発を放棄したと・・・・


そういえば原料となるウランの採掘のため、鳥取県の人形峠で、

中学生動員して手彫りで^^;;ウラン鉱石の採集が

行われたことがNスペで放映されてました。

アメリカに落とす気あったでしょうね。。。。