都合の悪い事実を向き合わないことが多すぎる日本、
一人も死んでない、今後も可能性はないと
山下教授を始め、復興を合言葉に被害を隠す。
今も汚染され続ける福島いえ関東に、ただひたすら安全
と言い続ける安全神話は続行中です。。

そんな空気の日本、
詩人の予言のような詩を守大介さんの冤罪事件など
(大介さんの事件仙台・筋弛緩剤事件の概要はこちらからどうぞ)
司法のあり方問いかけてる
miyakeさん☆が紹介されました。

18年前に書かれた詩なのに今の福島いえ今後
日本(世界)のどこかに起こるであろうこと言い表してます。

神隠しされた街 詩  若松丈太郎
英訳 アーサー・ビナード
朗読 山本太郎、アーサー・ビナード
8・6平和とうろう集会
広島市基町河川公園(相生橋東詰北側河川敷)



そして下の動画はNHKで放送されたもののようです。
視点・論点それぞれの福島(1) 桜と予言と詩人
どう読んでも福島原発以後書かれたもののような
情景の詩です、詩人の現実を読み解く鋭い眼差しに驚愕です。



花見に興じて、中には小数ながら、
ひたすら花そのものに注目する人々もいます。
この列島には多くの原子炉と、さまざまな核関連施設
が点在していて、さらには1945年の被曝の重荷もあり、
それらの影響の実態を知りたい
という市民たちが2004年ごろから
「サクラ調査ネットワーク」を立ち上げたのです。

広島の「原爆桜」、新潟の柏崎刈羽原発近くの桜、
青森の六ヶ所再処理工場近くの桜などなどが、
市民の徹底した「花見」の対象となります。

毎年、同じ「基準木」をみんなでめでながら定点観測し
花を数え、くまなく花弁やガクに異常が現れたものを調べ
、声なき樹木の証言として記録します。

まさに花の身になっての花見です。
福島第一原発がメルトダウンをきたした今は、
桜の警告がより一層面重大な意義をもつことになります。

日本列島に、桜の木の数ほどではないが「詩人
」と名のる者が大勢います。
でも、確かな観察眼で実態をとらえ、
環境から発せられる情報を作品で生かしている者は
、決して多くはありません。

ただ、若松丈太郎という優れた書き手が、
ずっと力を発揮していたのです。
若松さんは福島の自然を長年見つめつづけて、
同じ視線で電力会社と政府の問題を鋭く捉えました。
チェルノブイリも訪れて、現地を観察して、
福島第1原発と重ねて実態を鮮やかに炙り出しました。

1994年に発表された「神隠しされた街」。

「神隠しされた街」若松丈太郎

4万5千の人びとが2時間のあいだに消えた
  サッカーゲームが終わって競技場から立ち去っ
  たのではない
  人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり
  消えたのだ
  ラジオで避難警報があって
  「3日分の食料を準備してください」
  多くの人は3日たてば帰れると思って
  ちいさな手提げ袋をもって
  なかには仔猫だけをだいた老婆も
  入院加療中の病人も
  1100台のバスに乗って
  4万5千の人びとが2時間のあいだに消えた

  鬼ごっこする子どもたちの歓声が
  隣人との垣根ごしのあいさつが
  郵便配達夫の自転車のベル音が
  ボルシチを煮るにおいが
  家々の窓の夜のあかりが
  人びとの暮らしが
  地図のうえからプリピャチ市が消えた
  チェルノブイリ事故発生40時間後のことである
  1100台のバスに乗って
  プリピャチ市民が2時間のあいだにちりぢりに
  近隣3村をあわせて4万9千人が消えた

  4万9千人といえば
  私の住む原町市の人口にひとしい
  さらに
  原子力発電所中心半径30㎞ゾーンは危険地帯とされ
  11日目の5月6日から3日のあいだに9万2千人が
  あわせて約15万人
  人びとは100㎞や150㎞先の農村に
  ちりぢりに消えた

  半径30㎞ゾーンといえば
  東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
  双葉町 大熊町
  富岡町 楢葉町
  浪江町 広野町
  川内村 都路村 葛尾村
  小高町 いわき市北部

  そして私の住む原町市がふくまれる
  こちらもあわせて約15万人
  私たちが消えるべき先はどこか
  私たちはどこに姿を消せばいいのか
  事故6年のちに避難命令が出た村さえもある
  事故8年のちの旧プリピャチ市に
  私たちは入った

  亀裂がはいったペーヴメントの
  亀裂をひろげて雑草がたけだけしい
  ツバメが飛んでいる
  ハトが胸をふくらませている
  チョウが草花に羽をやすめている
  ハエがおちつきなく動いている
  蚊柱が回転している
  街路樹の葉が風に身をゆだねている

  それなのに
  人声のしない都市
  人の歩いていない都市
  4万5千の人びとがかくれんぼしている都市
  鬼の私は捜しまわる
  幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
  台所のこんろにかけられたシチュー鍋
  オフィスの机上のひろげたままの書類

  ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
  日がもう暮れる
  鬼の私はとほうに暮れる
  友だちがみんな神隠しにあってしまって
  私は広場にひとり立ちつくす
  デパートもホテルも
  文化会館も学校も
  集合住宅も
  崩れはじめている
  すべてはほろびへと向かう
  人びとのいのちと
  人びとがつくった都市と
  ほろびをきそいあう

  ストロンチウム90 半減期  29年
  セシウム137   半減期  30年
  プルトニウム239 半減期  2万4000年
  セシウムの放射線量が8分の1に減るまでに90年
  致死量8倍のセシウムは90年後も生きものを
  殺しつづける

  人は100年後のことに自分の手を下せないという
  ことであれば
  人がプルトニウムを扱うのは不遜というべきか
  捨てられた幼稚園の広場を歩く
  雑草に踏み入れる
  雑草に付着していた核種が舞いあがったにちがいない
  肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
  神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない

  私たちの神隠しはきょうかもしれない
  うしろで子どもの声がした気がする
  ふりむいてもだれもいない
  なにかが背筋をぞくっと襲う
  広場にひとり立ちつくす


2011年3月11日以降に、この詩と出会う読者は
みんな驚嘆して、鳥肌が立ち、「予言だ」とささやきます。
ぼくは英語でもなんとか伝えようと、翻訳に励んで
『ひとのあかし』という本におさめました。
やはり「予言だ」とこっちもいうと、若松さんは
こう答えました。
「私は予言者ではまったくない。
ただただ観察して、現実を読み解こうとしただけのこと」

まわりの人間に対しても、動植物に対しても、
太平洋と活断層に対しても、若松さんは公平に
向き合い、いわゆる「上から目線」が一切なく、
ひたすら平等に関わってきたことが、
予言の詩を生み出した背景にあると思います。

福島原発難民―南相馬市・一詩人の警告 1971年‐2011年/コールサック社



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