Knock ② | 雛帳~Hina-Tobari~

雛帳~Hina-Tobari~

“・・・・・・度し難い間違いです。決して同じものだなんて思わないでください”



俺たちが住んでいる桐谷の町(正式名称ではなく通称)どころか、過去には世界でも五本の指に入っていた名家――九墺院家の屋敷の一室に、俺は姉上によって連行されてきた。

だだっ広い部屋だ。その部屋の真ん中に、一人の少女が正座している。

「タカヤも隣に正座して」

俺に填められていた手錠を外して姉上は言い放った。

「え、またですか?」

「私たちがシャワーを浴びているところに突然乱入してきたのは誰だったかな?」

「……あの、姉上。それについてのお叱りは先ほど存分に受けましたし、それに、あんなものを見せられた俺の気持ちにもなってくださいませんか?」

「見せたくなかったものを見たのはタカヤでしょうが」

「むむ」

それはそうだけれど。でも、まさかあんなことやっているとは夢にも思っていなかったのだよ、俺は。思いたくなかったというのが純然たる本音といえば本音だし、俺が姉上でもあの環境であの状態ならああいう展開になるのは明白なのだとしても。

ただ、やっぱり見たくなかったなあ。唯が男だということを再認識させられてしまったこと以上に、姉上のあの表情が俺を一層落ち込ませる。

俺はしょうがなくダラダラと部屋の中央に歩いていくと、少女の隣に正座した。

「……で、灯子。何故お主は正座しておるのだ?」

隣でしょぼーんと項垂れているように見える少女――この家の令嬢である九墺院灯子に俺は問いかけてみた。灯子は顔を起こしてギラギラと俺を睨みつけると、「全部くじょーのせいだ」と言い放った。

「何故そうなる」

「昨日、お兄様の寝室を漁ったら」

「漁るなよ」

「いかがわしい本が大量にベッドの下から発見されて」

「それは、まあ、そういうものもあるであろうよ」

「しかも、それは女教師の類で、巨乳で」

ぺたぺたと灯子は自分の胸に触れている。だがそれはしょうがないと俺は思う。誰だって、そう言うものを求めるときもある……口には出さないけど。

「全部くじょーのせいだ」

「いや、何故だ」

「お兄様が巨乳系の本なんて隠していたのはくじょーのせいだ」

「だから、何故だ」

「そうでないと、お兄様がそのようなものを見るわけがない」

むむ。灯子らしからぬ言葉だ。灯子なら「そんな本ぐらい見て当然だ。むしろ、見ないほうが私は嫌だね」ぐらいのことは言いそうであるのに。どれだけ清一郎さんが好きなのだ、お主は。

と、そこへ、ちょうど清一郎さんがやってきた。

「あー、すまないね。こんな扱いで。どうしても灯子が隆屋くんには正座させないと気が済まないと言い出して」

「……おや?」

何か、ずれているような気がするぞ。

「もしもし、清一郎さん。灯子は何故正座しているのですか?」

「さぁ? そのほうが面白そうだから、じゃないかな?」

俺は灯子のほうに顔を向けた。途端、ガツンと灯子の膝が俺の鼻に突き刺さった。

「まったく。全部くじょーのせいだ」

「だから、一体、何の、話、だ」

痛む鼻を押さえながら俺は半ば叫び気味で尋ねた。灯子は立ち上がってパンパンとスカートについた埃を払うと、「ちょっとしたイベント」などと答えた。

「くじょーがお兄様にあんなことを頼むからいけないんだよ」

「頼む? 何を?」

「あれ? 頼まなかったっけ。俺に、灯子が男装するようにしてくれ、って」

清一郎さんが楽しげに声を投げる。

「……」

確かに、そのようなことを、昨日、ホワイトデーイベントの時に、清一郎さんに軽く言ったような、言わなかったような、やっぱり言ったような、気が……する。

「……嗚呼、つまり」

「あー、そういうこと」

気がつけば、いつの間にやら姉上と唯、さらに富士見晶くんまでもが、清一郎さんの隣に立っている。

「えーと、じゃ、とりあえず」

ガラガラと椅子を引っ張り出してきた灯子はその上に立つと、無い胸を偉そうに張って高らかに宣言した。

「今から、「ドキッ、恥辱塗れの性別逆転祭」を開催するよっ」





俺、清一郎さん、唯、そして富士見くんの四人は、いつの間に出来上がっていたプレハブ風の男子更衣室に放り込まれた。

灯子が設定した制限時間は三十分。

それまでに女装を完成させなければならない。



……で

「うわ……ヤバイ」

何が如何「ヤバイ」のか自分でも分からないし、分かりたくもないが、鏡の中にいる自分とは思えない自分の姿に、つい、俺は声を漏らした。

「ほわー、ホントだねー」

隣で、富士見くんの服を見立てながら唯も驚いたように呟く。

「似合うとは思っていたけど、さすがにここまで似合うとは思わなかったよ。むしろ、色気だけならハルキよりあるんじゃないかな?」

「あー、確かに、ハルキはどっちかというとおじさん似だからね」

奥で熱心にウィッグと格闘していた清一郎さんも口を挟む。

「たかやくんはおばさん似だよね」

「そう、ですか?」

「うん」

鏡の中にいる自分――前髪ぱっつんな黒髪ロングのウィッグを被った自分をまじまじと見てみる。なんとなく口元を隠してみると、ふと、小さい頃に父上に見せられた母上の写真の顔が垣間見えた気がした。

「ふむ」

「ねーねー、たかやん、こっちの服も着てみない?」

富士見くんの服を選び終わった唯が今度はゴスロリ服をひらひらと揺らしながらこちらにやってきた。

「着ない」

「えー……じゃあ、巫女は? 巫女。たかやん、巫女好きだし」

「巫女は好きだが、着ない」

「好きなのは否定しないんだ……」

「これで良いであろう? 別に」

「んー」

諦めたように唯は持っていた服をハンガーにかけなおすと、「ところで」と口にした。

「僕はこの格好でいいのかな? なんか周りがみんな普段とは違う格好をしてる中で、僕だけいつもどおりというのは、なんだか……居心地悪い?」

「では、唯が巫女装束を着てくれ」

「あ、なるほど。それでいくか」



「ふぉ」

丁寧に俺の顔周辺に化粧を施した唯はその出来栄えに簡単の声を漏らした。

「これは……やはり、というべきかな。たかやん、最高に似合ってるよ。ねーねー。たかやん、今度一緒にそういうイベントに行ってみない?」

「唯、お主は俺が如何なっても良いというのか」

「あー」

化粧を終えて完全武装の清一郎さんが後ろで「暴走しそうだな」と呟く。

ところで清一郎さん、何故あなたはナース服なのですか。

「暴走、しちゃう?」

背後で唯が悪魔的な笑みを浮かべながら首を傾げている。鏡越しに映るその表情から俺はつい目を逸らした。

「それはそれで面白そうだね」

「いや、それは……面白くないぞ、唯」

誰か止めてくれないと、その後俺は留置所送りになってしまいます。

「ダメか。むむ」

最後にウィッグの位置などを調整して、唯は俺の両肩をポンと叩いた。

「完成っ。次っ」

パンパンと手を叩いて唯が今度は隣の富士見くんの化粧に取り掛かり始めた。俺は軽くウィッグの毛先に手を触れながら立ち上がり、後ろの清一郎さんの隣に座る。

「隆屋くん、隆屋くん。そんな座り方したら中が見えると思うよ?」

「え、そうですか? んー……難しいですね。如何しましょう?」

「こうして……こうすれば見えないんじゃないかな?」

「あ、そう、ですね」

如何座ればスカートの中が見えないかを男二人で悪戦苦闘している目の前で、唯は富士見くんの顔にサクサクと化粧をしていく。ちなみに、下着も全て女性モノである。そこまでしなくてもいいと思うのだが。どうも落ち着かない。

「んー、富士見くんもなかなかの逸材だね」

「そ、そうですか?」

恥ずかしげに富士見くんが頬を赤らめる。

う。ヤバイ。なんか見てるとドキドキしてくる。

俺は富士見くんから目を逸らし、清一郎さんの方を見た。

「……うん」

清一郎さんは平気だ。なんかすごく……灯子に似ているからであろうか。きっと灯子が正常に普通に一般的に成長していたらこういう感じになったのであろうと思う。

「それにしても、清一郎さん。よくこのようなイベントをやろうと思いましたね」

「別にどうってことないさ。灯子は隆屋くんに男装なんてしないなんて言ったみたいだけど……いや、言ったからかもしれないけど、むしろ、このイベントをやろうと言い出したのは灯子だしね」

「……嗚呼、なるほど」

灯子ならそういう発想に至りそうである。やらないと言っておいて、やって驚かせるみたいな。天邪鬼だから。

「それに、もう二つほど、目的があるしね」

「もう、二つ?」

俺がその二つについて訊ねようとした瞬間、プレハブの隅にあった時計がけたたましく音を立てて鳴り出した。

制限時間の三十分終了である。