「百歩さんのブログ、おもしろいから毎日でもいいですよ。」

なんて言われるが(^_^;)

書くのはけっこう大変なのである。


ネタの選択と、それをおもしろくする演出。

俺は、書きながら考え、必ず練るので、

イベント告知で、30分

コラムみたいなものは、4時間以上かかる。

たいてい、半日がかりなのだ。


それでいて、発表をやめたり、下書きのまま保存してあったりする。


人気ブロガーの薄~い、どうでもいい話は

あれ、ファンだから楽しめる、ありがたいのであって、

ファンでなければ、どうでもいいようなことだし、

時々、ファンであっても、読んだだけ、時間の損だと思うこともある。


俺は、せっかくなので、

読んだ時間を無駄だと思われないようなものを書きたい。




先日、高名な算命学の先生と、バーミアンで食事した。

そこで、読売新聞をもらったので、

注文した品が来るまで読んでいた。


3年ぐらい前までは、日経をとっていたのだが、

ネットのニュースでいいやと思い、やめてしまった。


ところがである。

読売新聞が、思いのほかおもしろかったのだ。

文章がいいのである。


日経を読んでいる時は、読売新聞なんぞ、ケ!と

思っていたが、


ネットの記事が、いかに薄っぺらで、文章がなってないかということだ。

やはり、新聞記者の書く文章には、重みや美しさがある。


食事が運ばれてきたので、新聞を綴じた。


「百歩くん」

「はい」

「君が今、しようとしている、占い師を国家資格にしようという話だが」

「はい」

「無理だろうね。みんな、師匠とケンカして袂を分かち、

流派を作っていくからね」

「でしょうね。」と俺。


そう、占いの世界はいつもそうだ。

すごい占い師が表れて、一大ブームになるが、

その占い師が失われたら、同時に終わってしまうのだ。

その繰り返しである。


なので、占い師の作る占いの協会はあるし、独自に学校を作り、

資格を作ってプロを養成しているが、

消費者のことは考えていないのである。


消費者がほしいのは、安心してサービスを受けられることだ。

金額はもとより、

それに似合っているサービスなのか?

占いはわかりづらい。


それを保証する機関が、どこにもない。

いくら協会が、「自分のところは大丈夫」と宣伝したところで

信じられるわけがなかろう。

新興宗教と同じような印象を受けるのも、そのせいである。


たとえば、国家資格になっているマッサージは、

協会が、人数や、市場規模、課題や、研究を把握している。

医療費の不正などがわかるのも、協会があるからだ。


「国家資格は、難しいのではないか?

どの占術も、流派があるし、うちのところが当たるだの、

うちの解釈が、優れているだの言うだろうし」

「しかし、少なくとも、手相は、

語学と同じで、読める奴が読めば、同じでないといけないと思います。

流派が違って、勝手に、エロ線とか、KY線とか名づけるようなことはあっても、

生命線を、これは感情線として読むようなところはありえませんからね。

易も、解釈は違っても、64卦を知らないはずはありませんし、

タロットも、カードの名前を知らないはずはない。

いまのとこ、占い師に資格はないですから、

机の下に本を隠して、読んでいるだけでも、商売になるわけです」

「算命学もそうじゃよ。命式が読めれば、誰もが同じように読めるさ」


俺は、算命学はくわしくないので、なんとも答えようがなかったが

この先生の鑑定料が安すぎることは知っている。

それは、受けてみて思った。


ところが、この先生、誰でも読めるからと、料金を低く抑えている。

しかも、あまり殺到されると本業にひびくから、

完全に紹介でしか見てくれないし、

その紹介も、「お前の紹介なら仕方ない、見てやろう」という人の

紹介しか見てくれない。

一度見てもらったからといって、他の人を紹介しようとしてもみてくれないということだ。

しかも、一度見てもらったから、次もお願いしますと言っても

見てくれないことが多いという。


依頼人が殺到するような占い師は、それほど多くない。

多くの占い師は、殺到してくれることを狙っているが、

占いだけで食べていくことが、いかに厳しいことは俺がよく知っている。


ただ、占い師たちが、どんな状況にいるのか?

業界や、雇用のことを相談できる協会はないのだ。

占い師はストライキもできないし(笑)

健康診断も受けられない。


占い師がどれくらいいるのか?統計を出す協会もないし、

雇用の環境を整える協会もない。

占いは4兆円市場と言われているが、

それを証明する機関もないのである。

すべてが、あくまで推測の域を出ない。



鑑定料が100円でも、いらないやつにはいらないのが占いだ。

プロとの差別化もままならない。


こういう場合、えらい占い師先生たちは、鑑定料を破格値にする。

そのことで、プロであること、めったに占ってもらえない

希少価値をあげるのである。

ところが、そうすることは、不当な金もうけと紙一重である。

悪徳商法と言われても仕方がない。

だから、どの先生も「独自の」とつけて、

他とは違う差別化をはかり、正当化するのだ。


俺なんかは、占いは世の中の役に立つ。

そこが大事だと思っている。

使ってもらわなければ、独自だろうと正統だろうと

オリジナルだろうと、

世の中の役に立たないのであれば、意味がない。


「百歩君、国家試験で統一してしまうと、

多様性とか、個性はなくなっちゃんだろうね。」

「そうでしょうか?」

「読み方が統一されたら、誰でもいいということにならないか?」

「最低限、きちんと占いを理解していることが大事というだけで、

小学生の国語の教科書を、有名女優が読むとの、外国人が読むのと

小学生が読むのとで、違いがあるぐらい、違ってくると思いますよ」


「きみ、うまいこというね」

と、先生はおかゆをすすりながらおっしゃった。

「ご協力いただけませんか?」

と手をついたが、

「それはないな」とつれない返事である。


新聞記者同様、優れた占い師も、

隠れて、いい仕事をしながら、滅んでしまうのを待ってていいのだろうか?