「占い師って、人々の幸せを考える、素敵なお仕事ですね」と言われたが、(^_^;)
俺は、人の幸せを祈ることはするが、
一度も、人の幸せを考えて占いをしたことはない。
「わたしは、幸せになれますか?」なんて質問は、病人のたわごとぐらいに思っている。
なんで、赤の他人の幸せのことまで、俺が考えなきゃならんのだ。
そんな暇があるのなら、手相のひとつでも覚え、不幸を回避する方法を学ぶっす。
幸せと不幸は、コインの裏と表のような関係だというが、
それも違うと、俺は思っている。
不幸から考えるとわかりやすい。
人の不幸は、四苦八苦という言葉が、そのまま定義だと言っていい。
四苦は
①生きること
②死ぬこと
③病気になること
④老いること
この4つのことだ。
八苦は、さらに
⑤愛するものと別れること
⑥嫌いなものがあること
⑦求めるものが得られないこと
⑧精神的な苦痛
占いに来なくても、人の悩みは、この8つの組み合わせから来ている。
ま、生きているから苦しいなんてのは、当たり前すぎて、
どうしょうもないのだが、
このポイントを押さえておかないと、生きることに立ち向かえなくなる。
つまりだ。
「結婚したいけど相手がいない。」
って悩みも、
①の生きる。
自分が生きていて、結婚相手がこの世のどこかで、
生きていているからこその悩みなのだ。
婚約者が死んでしまったり、これから生まれてくる人であれば、
また、悩み方が違ってくる。
たいていの人が、
⑤の愛するものと別れることのつらさを経験している
ので、そっちのつらさを切々と訴えるが、
実は、
⑦求めるものが得られないつらさ なのである。
「どんな相手がいいですか?」と聞いて、
答えられないようでは、
自分の苦しみをわかっていない。
⑤の苦痛を思い出し、苦しんでいる自分に、
自分でおぼれているだけで、進歩もない。
そして、求めるものをきちんと見ようとしない。
それでは、苦痛から逃れるのは難しい。
これは、
「転職したいけど、どんな職業が向いているか?」
とか
「お金がない」とか
⑦の求めるものが得られないこと に当てはまる。
僕はこの、
⑦求めるものが得られないつらさ。
に対する、対応法を考えることが、占い師の仕事だと思っている。
求めるものが得られないつらさは、不幸である。
でも、
「結婚相手がほしい」とか、「就職したい」とか「お金が欲しい」
ってのは、もう、不幸ではない。
現時点で、得られていないだけで、
これから得られるように、作戦を立てればいいのである。
ところがである。
幸せとなると、そっから先は、本人の問題でしかない。
結婚したけど、幸せになれるとは限らない。
というのもそうだし、
就職したけど、また転職したいとか、
宝くじで、一躍、大金持ちで、身持ちをくずす不幸なら
まだ、いい思いもできるだろうが、
「いくらでもいい」と言っておきながら、
もらったお金が10円玉では、
「もらえたからいいじゃん♪」とはならないわけだ。
つまり、得たものに満足できないと、
人は幸せにはなれない。
ところが、資本主義社会は、
人々を満足させないようにできている。
もっと、もっと、と、求めることこそが、
人の道のように説いている。
だが、占いを、
自分が満足できるようにする道具のように思われているのは
俺は、使い方が違うと思っている。
占いはたしかに、資本主義社会では
人々を楽しませるためのサービス業だ。
お金をいただいたら、お客様を満足させないといけない。
占い師の中には、
お金を払えば、運がよくなるのだから、安いものだ。
とか
あなたを幸せに導きます。
とか、
各種サービスを行っている。
そこは、俺も目指すべきだし、提供しなければならないこともわかってるし
もちろん、提供もさせていただく。
だが、俺が曲げられないのは、
不幸は回避するが、依頼人を幸せにすることは考えてない。
金持ちと不倫の末、結婚して、息子を王にするために、
お金でテロリストをやとって
国家を転覆させるのが夢だと困る。
いくら、その人が、「それが私の幸せなのです」なんて言われても
やはり、祈るなんて嫌だ。
⑥嫌いなものがあること
って、不幸に俺がなるからだ。
(え、そんな依頼、あるのかって?あるわけないじゃん(^。^)
幸せの形はひとそれぞれだが、不幸の形はみな似ている。。。。
不幸の回避方法は教えるが、
「幸せになれますか?」なんて、人に聞くな。
幸せかどうかは、自分で決めてほしいものだ。
誰が何を言おうと、自分が幸せだと言うことだ。
本当に幸せな人は、そんなことすら考えない。
不幸もないから、苦痛もない。
だから、乗り越える喜びも、満足感もないのだ。