山科本願寺についての議論 | 親鸞会の本尊論に対する疑問

山科本願寺についての議論

http://makimo.to/2ch/life7_psy/1139/1139650663.html

115 名前: 元々ぼら夫 2006/02/20(月) 14:20:30 ID:p6YnA4hh

新スレはここでつか?乙~♪
山科の本尊についてレスしよ~と思ってみたら、前スレ埋まってた。なので、ここにカキコするねん。
出先なので、正確な引用でけへんが、実悟さんのもの以外に『帖外御文章』に山科造営の
ことを蓮師が述べとる罠。「本尊すえおく」って。「据える」は設置する意。置く意。
もし山科の本尊が掛け軸であるなら、「かける」「たてまつる」「奉懸」とかが
適切な表現です罠。「お~い、かあさん、床の間に掛け軸すえおいといてぇな」
ゆわれたら、漏れだったら箱ごと、床の間に置くと思うけどwま、普通に読めってこった。
(^-^)/


549 名前: 元々ぼら夫 2006/02/26(日) 08:35:44 ID:M1xr1eeR

>>487
誠に申し訳ありませぬ~。家についたら疲れて寝てしまいました。
さて『山科御坊事』の(1)でつが、科段にわけるとしたら、
①実悟さんがこれを書こうとした理由、に始まり、②現在の山科御坊跡地の状態、
③往時の山科御坊の阿弥陀堂並びに御影堂の荘厳。とゆ~ふ~な構成と言えるでしょう。
詳細については、また、お参りから帰ったらカキコしまつ。ではでは行ってきま~す。
m(_ _)m


576 名前: 元々ぼら夫 2006/02/26(日) 21:42:25 ID:M1xr1eeR

乙~♪
ところで、s会の上層部の人たちって「大の大人」と呼べるような年齢なの?なんか、
不倫疑惑の話とか見とると、号泣したり叫んだり。まさに茶番劇が繰り広げられてて、
いい大人のくせに精神のコントロールが不安定なんちゃうか?と思ってしまいますわ。
ま、そこにカリスマ的魅力があるんやろw。漏れなんか、普通にイキロ♪って思うてまう、実際。
さて、スレの流れに反してまうが、『山科御坊事』(1)現代語訳(原文と対比できるよう
にしてみますた)カキコさせていただきまする。誤りあれば訂正夜露死苦(永ちゃん風)。
(^-^)/


579 名前: 元々ぼら夫 2006/02/26(日) 22:08:30 ID:M1xr1eeR

『山科御坊事』(1)
①本書著述の動機
さて、山城国宇治郡山科野村の里には、文明9(1477)より享禄4(1531)年まで、わずか55年の
あいだ本願寺の御坊がありました。蓮如上人の建立になるものです。どうして、
早々に(なくなってしまったのでしょう)、(山科の地にある)機縁が浅薄だったからでしょうか。
今は草むらとなってしまった事、嘆くばかりです。その御坊の昔の事象を知ることができるまま、
おおよそ上申せよとの由(を承り)、望まれるまま(年月の)前後が相違している事が
あるけれども、あれこれ書きつけて見ていただくことにします。


582 名前: 元々ぼら夫 2006/02/26(日) 22:36:04 ID:M1xr1eeR

>>579~つづき~
②往時と現在
(焼失前は)おもいのほかの繁盛で、特にすぐれて珍しいことでありました。しかし、
(釈迦の説法地である)霊鷲山(リョウジュセン)や給孤独園(キッコドクオン)の類のように(終いにはさびれはて)、
(境内にあった)白鷺池も蘆(アシ)の(生い茂る)原っぱとなってしまいました。鳥たちの
住みかと化してしまったので、(この事をみると)(事物には)限りがあるという(諸行無常の)
道理が知られます。


585 名前: 元々ぼら夫 2006/02/26(日) 23:04:31 ID:M1xr1eeR

>>582つづき
③山科造営の発端~内陣荘厳
この地は、法敬坊(順誓:蓮如高弟)が、とくに選ばれた場所(勝地)とか言うことで、
兼ねて、従善(善従:金森の道西)が「法所となるでしょう」と申されたということ
(聞書【199】参照)と(照らしあわせても)不思議な事であります。その後、
堺の御坊にある座敷をひとまず取り寄せて、移築されたと承っております。仮御坊が建ち、
ほどなくして、御影堂が建ち、また本堂もなくてはいけないということで、阿弥陀堂も
建てられました。


591 名前: 元々ぼら夫 2006/02/26(日) 23:31:18 ID:M1xr1eeR

長々スマソ☆
>>585つづき
三間四面(※柱4*4本)で、四方に小さな縁があり、東側(※参拝入口側)には六尺の縁が
設けられていました。向かいには、さま障子(※巻障子)があり、格子戸のようで
現在ある(石山本願寺等の)諸堂と同じ様式であります。左右の脇は、唐様のさま障子、
これもまた、諸堂と同じでありました。さまには彫り物が施されていました(名は失念)。
本尊は木像(安阿作)。今(石山)と同じ。
左方(北側)に聖徳太子絵像。讃文は今と同じ。蓮如筆。・六高僧御影。
右方(南側)に、法然聖人お一人の御影。讃文は今と同じ。蓮如筆。


639 名前: 元々ぼら夫 2006/02/27(月) 15:23:43 ID:CCW8/WU8

夕方出かけなならんので、イマノウチにカキコ☆
>>591つづき
両方(太子、六高僧・法然御影前)ともに、三具足(ロウソク立て・香炉・花瓶)と燈台(室内照明具)
があり、御命日の時だけ(燈台の明かりを)ともしました。御影堂の上壇も三間四面。
中央に開山親鸞聖人。左方(北側)前住職蓮如上人御影。その脇の壁に蓮祐禅尼
(※蓮如二番目の奥方)(香炉を置く)。御影前の卓(つくえ)以下の荘厳は現在(石山本願寺等)と同じ。
右(南側)には代々御影一幅(第二代如信~存如まで)。卓・三具足・燈台以下、今と同じ。


640 名前: 元々ぼら夫 2006/02/27(月) 15:51:33 ID:CCW8/WU8

も~ちょい☆
>>639つづき
なお、南の余間には、無碍光(如来)の泥字(掛け軸)。蓮如の筆によるもの。讃文は現在と同じ。
始めの一行を蓮如自ら書き、二行目からは蓮誓(蓮如四男)に書かせられました。
左右の脇には、夢中の善導大師(※観経疏製作の発端となった感夢)の御影、法然上人の御影。
この二幅は商人がもって参ったのを買ったものです。善導は半身金色。法然も光を放ち、
互いに向き合っている御影です。この二尊の前には何も置かれず、親鸞聖人前だけ
三具足を置かれました。


641 名前: 元々ぼら夫 2006/02/27(月) 16:13:14 ID:CCW8/WU8

小さな事からこつこつと♪
>>640つづき
なお、(御影堂)南側の一間には、初めは廬山寺の恵遠(4世紀末中国で、白蓮社という念仏結社を
始められた方)の唐筆の墨絵の像をかけられ、前にこうたて(※屏風のようなものか)を置き、
花を立てられました。後には蓮如の筆になる不可思議光如来の名号をかけられ、
三具足を置かれました。これは実如の時代からの事です。
終了~☆間違いあったらご指摘よろ~。「押し板」(多分、今の寺院内陣に見られるような
造りつけの飾り棚)については、すっとばして訳しても~たw。あとは、直訳調に出来たかなと。


642 名前: 元々ぼら夫 2006/02/27(月) 16:53:29 ID:CCW8/WU8

ま、直訳調重視(原典と対照できるように)努めたんで、読みにくいかもしれへん。
堪忍な。で、>>624タソ、漏れの稚拙な現代語訳と原典を対照してもろうて、読んでみたら?
文章ってのは、一語一語意味を取るだけじゃ駄目。もちろん一語に含まれる意味が
わからにゃ話にならんが、流れ(前後)の関係性をふまえなければ、本当に読んだことには
ならへん。音楽かてそ~やろ。一音一音を聞いたところで、それは単なる音であって、音楽やない。
音の時間的経過(文章で言えば、前後の関係)があってはじめて音楽といえるんちゃう?
ま、読み解いてみ。


665 名前: 逃がさない 2006/02/27(月) 21:32:47 ID:3ZrclY5L

>>645

結局、ボラ夫の現代語訳のどこが根拠なんだい?
人の事を勝手な解釈というからには説明の義務があるだろ。


666 名前: 終わらせない 2006/02/27(月) 21:35:51 ID:3ZrclY5L

>両方(太子、六高僧・法然御影前)ともに、三具足(ロウソク立て・香炉・花瓶)と燈台(室内照明具)
があり、御命日の時だけ(燈台の明かりを)ともしました。御影堂の上壇も三間四面。
中央に開山親鸞聖人。左方(北側)前住職蓮如上人御影。その脇の壁に蓮祐禅尼
(※蓮如二番目の奥方)(香炉を置く)。御影前の卓(つくえ)以下の荘厳は現在(石山本願寺等)と同じ。
右(南側)には代々御影一幅(第二代如信~存如まで)。卓・三具足・燈台以下、今と同じ。


さあ、これがどういう意味か、はっきりさせてもらおうか。


673 名前: 元々ぼら夫 2006/02/27(月) 22:26:51 ID:CCW8/WU8

>>666
お前さんさ、人の現代語訳断りもなくうpしといてさ、解説しろって何様なんだよ。
一言断るのが筋ってモンちゃうの?藻前らには社会常識ってモンないの?大人の意見として
ゆわせてもらうよ、恥ずかしいことやけど。ま、明日は忙しいんで、後日総括したるけど。
ホンマ、漏れもお人好しやな~☆ま、s会だろ~とH願寺だろ~と、教学にコンシャスネスなのはえ~ことや、
ってな思いでやってまつ♪本日はここまで。(^-^)/ホナねん☆


676 名前: 名無しさん@3周年 2006/02/27(月) 23:25:42 ID:3k1+IMp4

>>673

ああ、根拠としてあげたんじゃなかったわけだ。
じゃあ、よけいなもんあげるんじゃないよ。
消えな。


680 名前: 元々ぼら夫 2006/02/27(月) 23:47:36 ID:CCW8/WU8

寝んねする前にと♪
>>676
先に答えありき(T森君の考え)が、君らの勉強法。故に原文から読む癖をつけさせるために
わざわざまわりくどい方法をとっとるんやん。偉そうな事ゆ~とる前に、自分自身で
読めるようにスキルアップしな(人の現代語訳にたよらないでもい~よ~にさw)。
漏れもちゃんとぐ~の音もでんぐらいの総括用意しとるから、楽しみに待っててね~。
ま、月末は、お寺の新聞づくり&発送作業で忙しいので、少しばかりお時間頂戴いたしますが。
m(_ _)mオヤツミ~☆


929 名前: 元々ぼら夫 2006/03/03(金) 22:49:57 ID:RYOSdqsa

乙~☆
すんませんねぇ、お待たせしても~て。やっと、お彼岸の参詣案内を発送しおわんぬ♪
ま、一息ついでにカキコしまつね。まず、『山科御坊事(1)』を先入観なくフツーに読んでみる。
タイトルには『山科御坊事並其時代事』とあるから、フムフムこれは、山科本願寺の事
及びその時代の事を述べようとする書物なんだな、とわかる。(1)の書き出しは、
わづかに55年のあひだ、とあるから、なるほど、半世紀しか存在せんかったお寺なんだ
って読み手は受け取る罠。
~つづく~


931 名前: 元々ぼら夫 2006/03/03(金) 23:27:56 ID:RYOSdqsa

>>929つづき
で、今は鳥のすみかと化したこの地に、なんで本願寺が建ったんかいな?
という理由について、法敬(順誓)坊(蓮如の上足の弟子、御一代記聞書・実悟記に、
蓮如から頂いた名号が焼けてしまったが、それが六体の仏になったと見て、不思議な事だと
思って蓮師に話すと蓮師は、仏が仏になるのは別段不思議ではない。悪凡夫が
弥陀たのむ一念で仏に成ることこそ不思議なことよ、と答えた、というエピソードが
ある)(ナンマンダブナンマンダブ☆)そういった法敬坊が、この土地を特に選んだと言う。
~つづく~


932 名前: 元々ぼら夫 2006/03/03(金) 23:47:12 ID:RYOSdqsa

>>831つづき
さらに、善従(『山科御坊事』本文では従善となっとる)坊(金が森の道西)が、かつて、
まだ山科建立など話にも上がらなかった頃、用事で山科近辺を通り過ぎる途中、
わざわざ籠から降りて、その場所を指し「この道すじに仏法がひらけるであろう」
と言った。皆は年寄のもうろくと思っていたが、今、山科本願寺が建立され繁昌するのを
見及んで、不思議なことやと言いあったという。(『聞書(200)』)
そんないきさつをもつ土地が山科であったんやなあ、と読み手は思う罠。
~つづく~


936 名前: 元々ぼら夫 2006/03/04(土) 00:01:53 ID:RYOSdqsa

スマソ>>932のレスアンカーは>>931也。疲れとるんやろか♪
>>932つづき
そういった土地に、堺にあったお寺の座敷がひとまず移築され、仮の御坊が建った。
ほどなくして、御真影(木像)安置のための御影堂が建ち、お墓所でなくお寺としては、
阿弥陀堂がなきゃならんってことで、阿弥陀堂が建ちました、と。で、阿弥陀堂は
どないな様相だったん?というと、三間四面で、今現在ある石山本願寺の諸堂と同じ
様式だったと。それでご本尊は何?とくれば、木像本尊(安阿という仏師が造ったもの)
と実悟さんはゆ~とる訳でつね。
~つづく~


940 名前: 元々ぼら夫 2006/03/04(土) 00:23:01 ID:+9+Sbzhu

>>936つづき
故に、な~んの先入観もなく、この書を読めば、現在なんにも無くなっちゃった山科御坊→
建立前の土地にど~ゆ~いきさつがあったんか→建立の当初(堺御坊座敷移築→仮御坊→
御影堂建立→阿弥陀堂建立)→そして、その本尊と荘厳、と見るのが至極フツーの読み方やね。
で、それだけじゃものたりへんって方のためには、『帖外御文章』(62)が建立当初を、
蓮如上人みずから述懐しとりますので、リクエストあれば、解読しましょか?これも『山科御坊事』の
記事を裏付けるものになる。ま、明日もあるんで、本日はここまで~☆
(^-^)/バイチャ♪


http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1140844380/

150 :元々ぼら夫:2006/03/05(日) 00:05:26 ID:uY01nH5A
乙!
『帖外御文章(62)』山科御坊阿弥陀堂仏壇造立の箇所。
「しかるのち、阿弥陀堂の仏壇いまだこれをつくらせざる間、同じくこれを企て
つくりければ、いくほどなくして出来せり。則まづ本尊を6月15日にはすえ奉りけり。
かくて月日をおくるところに、あまりに白造の仏壇なればみぐるしきと申しけるほどに
漸に諸方へうるしをあつらへおき、すでに閏7月2日より、奈良塗師をやとひ、これを
ぬらしむるほどに、9月20日ごろに出来せり。その後やがて絵師をよびよせ細色をさせ、
又杉障子に蓮をかかせ、同仏壇のうしろ障子にも蓮を書せけり。」


153 :元々ぼら夫:2006/03/05(日) 00:23:45 ID:uY01nH5A
う~、こんな時間になってもた~。
>>150
解説はまた後日ねん☆ま、問題は「すえ奉りけり」。果たして、名号にせよ、絵像にせよ、
掛け軸を「据える」と表現できるのか、またそんな例が、他の古文法にあるのか?
あと、本尊安置の仏壇の形式。「仏壇のうしろ障子にも蓮を書せけり」とある。
うしろ障子がある仏壇となれば、形式的には「出仏壇」と言えよう。果たして、
軸を掛けるのに、出仏壇の形式をとる例があるのか否か?ってトコも探っていかな
ならん。そ~すっと、山科の本尊がいかなる形態のものだったのかが見えてくる。
(^-^)/ホナ


221 :名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 08:26:59 ID:ja+8gMcX
>>150
>>153

なんか新しい根拠が出てくるのかと思ったら何にもないし
「山科」の現代語訳は中途半端に前半しかせずに
自分の「解釈」を披露しただけだが
結局、木像本尊の根拠として主張するようなものはない、ということだな。

現代語訳するならせめて一章を通してするべきだ。
わざと問題にされたところを省くのはボラらしいとは言えるが。
そこまでして木像本尊に執着したいかい?

根拠はないということで決着なら
じゃあ、次、絵像本尊に行こうか。


226 :元々ぼら夫:2006/03/06(月) 09:40:49 ID:9ypPN3y/
おは♪
>>221
う~ん。解釈じゃなくて、そ~としか読めないってことなんだけど。寺院建築史
的に見ても、山科の阿弥陀堂中尊は「木像」だったとしか言えへん。それは『帖外御文章』が
根拠。「据える」という表現は、ある一定の大きさのものを置く、ってことやし、
山科の内陣は、道場形式の中尊も含めすべて押板(現代で言えば床の間)の形式ではなく
うしろ障子があるような「出仏壇」形式。則ち、今の本山内陣のように、中尊を
安置する仏壇がうしろの壁から離れて独立しとる。この形式で本尊が掛け軸で
ある例があるなら大発見やで。多分w


247 :元々ぼら夫:2006/03/06(月) 17:08:23 ID:9ypPN3y/
>>226つづき
確か、守口にあるお寺さんで重文指定のとこがあった。そこは、内陣後方の壁が
すべて押板になっとる。今は中尊に木像が安置されとるが、当初は、すべて掛け軸が
奉懸されていたのだろう。そういった建築様式。確か、蓮如さんの500回遠忌の時に
つくられた記念誌(写真も豊富でええ仕事やな~って感心したの本。一般には売らなかった
んかな?)に、H松令三先生が、本尊について歴史的考察されとるから、読んでみると
目からウロコかもねん☆ま、詳細な考察もせんと「像形を廃した」なんて結論は安易に
出せへんってこった。(^-^)/ホナ


248 :元々ぼら夫:2006/03/06(月) 17:41:03 ID:9ypPN3y/
>>247つづき
s会の教学の問題点はT森タソのゆ~ことは、すべて正しいという前提のもとに出発するために、
明らかにおかしいトコも、弟子が弁護せなならなくなる。もっと自由に学ぶ態度を
持ち、自由に批判できるよ~にならなければ、社会に通用する集団にはなりえんやろね。
ま、漏れの調べた限りにおいては、山科御坊の阿弥陀堂中尊について、名号であったと
いえるよ~な積極的な史料はない。あれば、紹介してほしいッス、ホンマ。それに反し、
実悟さんの文書、蓮如さんの帖外御文から見ると、山科の中尊は木像形態やったと
見ざるをえん。わかった?


260 :名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 21:03:33 ID:dZX2JV3s
>>226
>「出仏壇」形式。

出仏壇は、木像が下付されて寺号免許が出るようなところにしか
特許が出なかったんじゃなかったけ?
本願寺系統の寺は道場が寺号免許を受けて寺院化していったんだから
寺院では「木像で出仏壇」しかないのが当たり前だろ。
ましてや御名号を御本尊にするのは真宗しかないんだから
「出仏壇だから木像本尊」とは言えないな。

>実悟さんの文書、蓮如さんの帖外御文から見ると、山科の中尊は木像形態やったと
見ざるをえん。わかった?

「木像本尊であってほしい」と思う人が読めばそう読めるが
「どっちかな」と思っているひとには判断がつかないような文章は
根拠にならんと言っているだろ。
「山科」の後半も現代語訳してみたら?
待っててあげるよ。

277 :元々ぼら夫:2006/03/06(月) 23:52:24 ID:9ypPN3y/
乙!
まず、安置=据えるって読み方はおかしい罠。安置≧(重さのある一定の大きさをもった
ものを)据える、安置≧(掛け軸)をかける。君らの訳し方は誤魔化し多し。安置=据える
という定義づけ自体が間違っとるわけ。わかる?あと『山科御坊事(1)』は全文現代語訳
しますたよん☆ちゃんと過去スレ見てから、ものゆうておくれ。(^-^)/ホナねん☆


279 :元々ぼら夫:2006/03/07(火) 00:09:48 ID:8grL5JQd
あと、歴史的事象を明らかにしていく作業とゆ~のは、どれだけ広範な史料を集められるかに
かかっとる。文書はもちろん、物証として残っとるもの、ことごとく精査せなならんって事。
T森タソがいくら声高にゆ~ても、証拠はくつがえせん。歴史資料が語るものをあながちにw
軽く扱うべきではないってこった☆ま、あながちにwそうとも言えんのやけどw。
ここで唐突に【クイズ!】上記の文章に「あながち」という語句が2箇所使われていましたが、
それぞれの「あながち」は、用法として同じ意味を表しているか、否か?
(^-^)/ホナねん寝ん☆


288 :名無しさん@3周年:2006/03/07(火) 08:20:06 ID:6UTDbOYX
>>277
>安置=据えるって読み方はおかしい罠。

じゃあ、国語辞典の編集者がおかしいということだな。
根拠をしめさないといけないのはあなただよ。


343 :元々ぼら夫:2006/03/08(水) 10:54:07 ID:sHvd3J39
>>288
辞書がおかしいんでなくて、あなたの辞書の用い方がおかしいんやない?
漏れの使うてるのは、角川のむかしのちっこいのと、三省堂の最新版やけど、「すゑおく」
の元、「すう」の用例として「持仏すゑ奉りて」(源氏物語)をあげとる。持仏とは
邸内敷地内に置く仏像。これを現代語訳すれば「仏像をご安置たてまつって」と
なる。じゃ果たして、名号すなわち掛け軸状のものを飾るのに「すゑ置く」とゆ~
用例があるんかってこと。山科阿弥陀堂の中尊が、掛け軸状のものだとするなら、
これを明らかにせなならんわけ。勉強の仕方わかった?


354 :元々ぼら夫:2006/03/08(水) 13:50:38 ID:sHvd3J39
乙~♪今日はあったかいなりね~。
で、も一丁>>260
え?書き方悪かったんやろか。岐阜の照蓮寺本堂(重文)は、出仏壇形式でなく全面押板
すなわちすべて掛け軸を懸ける形態である(現在は中尊木像)。初期真宗寺院いわゆる
道場形態を残すもの。つまり、山科の形態とは違うわけ。で、それをふまえていただいて、
何故に山科は出仏壇形式にしたんやろ~か?っつ~問いが提起されるやろ。
もし、掛け軸を懸けるならば、押板(床の間的)形式の方がフツーに考えてカッコええと思わん?
掛け軸全面もよう見えるし。
~つづく~


355 :元々ぼら夫:2006/03/08(水) 14:07:35 ID:sHvd3J39
>>354つづき
で、出仏壇形式にして仮に掛け軸を懸けるとしよう。まず懸け軸を懸けるための
屋根が必要。また、左右からくる風の対策も必要。「ご本尊が揺れてまつ~」じゃ困る罠。
故に厨子のような前面だけ空いた箱型と仮定できそうだ罠。現代のよ~に照明などない時代、
果たして厨子に吊された名号なり絵像なりを参拝者が見たらどうか?暗くて何も見えへんがなw。
中尊がまっ暗で、脇掛けばかり目立つ不自然な本堂になってまう事は容易に想像できる。
ま、常識的に当時の寺院建築様式を考えてみても、出仏壇の中身が掛け軸っつ~のはナンセンス


366 :元々ぼら夫:2006/03/08(水) 17:50:54 ID:sHvd3J39
帰り途~♪
>>355付け足し。
>>260出仏壇とか金柱の認可制とかってのは、蓮如さん健在の時からあったん?大体、
寺格とか僧班とか封建体制がかっちりしたんは、江戸期からやない?ま、この体制
すなわち宗教性よりも権威偏重になったんが、H願寺教団の堕落につながっとると、
漏れは思っとるんやけどね。はじまりは蓮如さんの「一家衆」なんかもしれへんがw
いずれにせよ、今は山科建立時の事を話しとるわけやから、関係ない話。結論的に、
山科御坊の阿弥陀堂中尊がお名号軸やったってことは史料的に見ても無理ぽ。
(^-^)/ホナねんねん☆


392 :名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 11:44:46 ID:nHrwEzZP
結局シンパは沈黙しちゃいましたね。

ボラ夫さん、お疲れ様でした。


405 :元々ぼら夫:2006/03/09(木) 17:05:54 ID:kOoCfwxI
乙~♪
>>392
ん~、別に論破するつもりも、したつもりもないんやけど。ま、フツーにもの読んだら
こ~ゆ~風に読まんとつじつまがあわんやろってことだけ。もし、新たな史料が
発見されりゃ、それもふまえなならんやろし。【速報】山科別院で建立当時の本尊
発掘さる!【宿直室押入れから】なんてことがあるかもwしれへんしね。ま、現時点では、
例のk正新聞のよ~な記事は、単なる「勇み足」に過ぎん。あと、s会員サンに対しては、
会でゆわれた事をなんでも鵜呑みにせんと、まず自分で調べてみなってゆいたいね。
ま、狭義的にムリかw
(^-^)/ホナ☆


※このあと、親鸞会シンパからの反論無し