ライトワーカーとしてお志事をするにあたって★(今日に至るまでのプロフィール) | 癒し・目覚め・開花を導くひと雫 salon de chouchou ✣ rosee ✣スターシード★ライトワーカー NAO の部屋

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✤スターシード & 数秘「33」な私、「22」な夫と、「11」な娘の育児日記
✤エッセンシャルオイル & レイキと共にある生活…etc
魂の目的に沿って毎日を謳歌するリアルな日常と、
ライトワーカー・ヒーラー・セラピストとしての活動を綴ってます(*˘︶˘*).。:*♡

【はじめに】


「プロフィール」

いつも自分のHPやブログの「プロフィール」というページを読み返すたびに、「いつかは、今に至るまでの自分の体験・経緯をもっと正直に赤裸々に伝えなければ、自分のしたいことが伝わらない」「かなりスマートにカッチョよくまとめすぎ!(本当はもっとはちゃめちゃな体験や複雑な思いを繰り返して「今」があるのにという思いが心の奥には潜んでいるものの、「まだ言えない、まだ時期ではない」という気持ちと常に葛藤してきた感じがします。

それは、「あった事実を受け入れたくない」「そんな本当の事を綴ったら、自分はどう思われてしまうんだろう」「その当時関わった人がこれを読んだら」自分の奥深くにそんな大きな大きな「恐れ」があったからなんですね。



ですが、私が「ライトワーカー」というお志事(おしごと)に心の底からコミットし、胸を張って全身全霊でその役割を全うするには、どうしてもココの部分をしっかりとみなさんにお伝えしないと、真の心は伝わらない。

そんな思いがふっと湧いてきた今日、カミングアウトのタイミングが来たようです


※「ライトワーカー」とは…最後に私の感じる視点で綴っています。

最近は(生きている年数が増えれば増える程())「今までの自分をすべて語るのは長くなって面倒だなぁ」とか、「もぉ過去のことはどぉでもいいやっ」っとか怠惰な気持ちもあったりで、素性をお伝えすることなくお付き合いさせていただいている方も多く、「ちょっと不思議な人」「何をしているのかよくわからない人」と思われていることもしばしば!?()

この辺で、自己紹介方々、社会人になってからの自分史、体験してきたことをお伝えするのもベストなタイミングなのかもしれません。



分史を公開することは、過去の自分を受け入れ、認め、許し、褒め、解放すること。

関わった全てのモノ・ヒト・状況に感謝し、もう役割を果たしたエネルギーを放つ作業。



この私のアクションが、また一つみなさんと共存するこの世界のエネルギーを動かし、必要なタイミングに必要な方の意識に進化をもたらすそんな役割も感じながら、綴ってみたいと思います。


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私の社会人人生は、とにかくとにかく、人間の我欲や競争心、見栄そう言ったもので創り上げられてきた会社組織、その不自然な枠に心の底では違和感を感じながらも心と体を無理やりはめ込もうとする人々の嘆きを肌で感じ、自分もそうした世界に身を置かなければならない現実との葛藤という、今だから笑ええますが、当時の自分にとって、それはそれは壮絶な日々でした。


Vol.11999年、強烈な社会人人生のスタートは「銀行員」から!

短大卒業後、とにかくどこかへ就職するのが当たり前という風潮に流され、自分の意志もよくわからないまま大手都市銀行へ入社。窓口テラーとして早く一人前になる為にとにかく必死だった日々。一言で当時を言い表すと「辛い」以外の何物でもなかった感じです。女子校の部活動の延長の様にずら~っと並ぶ女性先輩に頭を下げ、心も体も固く小さくなりながら、帰ると毎日自分の部屋で泣いてばかりの毎日でした。

まだ旧財閥の古いしきたりや年功序列、時代錯誤な社会のルール、この業界特有の緊迫した空気感が色濃く残る環境で、上司にゴマを摺りライバルを蹴落としていく者だけがのし上がっていく支店のオジサマ達を目の当たりにし、感情で当り散らす女性先輩のトゲに日々触れながら、全身蕁麻疹や神経性の下痢や発熱をたびたび繰り返す中、笑顔も希望もない毎日に限界を感じたある日、「キャッシュカードや積立を必要のない老人に薦めるのはもう嫌なんです。」と泣きじゃくって支店長に辞職を告げている自分がいました。

(最近は、ここまで不器用でがむしゃらな新人も見る事がなくなったなぁと感じちゃったりもして…()

「もうこんな大きな(ネームバリューのある)会社には二度と入れないんだぞ!それでもいいのか!?」っと言い放った営業長の一言が今でも忘れられませんが、未だかつて一度も辞めた事を後悔はしていません()


Vol.2】 大手優良企業での派遣社員時代

少し心と体を休ませた後、新規一転、正社員から派遣社員へと切り替え、政界の社団法人や大手メーカーでの営業サポート業務を何社か経験しました。

表向きには優良企業、名が通っていればいる企業ほど、優秀なエリートサラリーマン達の心の闇や心身の疲弊は異常であり、そうした人達からのセクハラやパワハラに悩まされる日々が始まりました。

この社会は、バカが付くほど鈍感か、狂人か、異常~に忍耐強くサイボーグの様に信念の強い人間しか生き残れないのではないかそんなことさえ感じていたのをよく覚えています。

いつの間にか男性恐怖症にまで陥っていましたが、誰にも打ち明けられず、その当時の自分には訴える勇気もなく、ただただ自分の中にしまい込み、なかったことにさえしていました。この未解決の感情や未浄化の心が、大きな大きな痛手となり、その後の人生に長く影響してくる事も知らず




Vol.3】ベンチャーでのバリバリ・ハチャメチャ時代


「自分を傷つけた男性達を見返してやりたい」「女性だからと虐げられず正当に能力で評価されたい」いつしか、そんな反逆心が芽生えていたのかもしれません。

銀行を辞めた辺りから、フードコーディネーターやメニュープランナーなどに興味が湧き、派遣をしながら専門のスクールにも通いながら店舗プロデュースの世界を目指し始めた頃、ちょうどカフェ・ウェディングレストラン・花屋などの複合施設の経営に乗り出した企業に受かり、企画チームに採用され、店舗の立ち上げ全般に関わるかなりのやりがいのある仕事に就きました。

しかし今度は、そんなやりがいや、若者の成長したいやる気を手玉に取り、飲食店の現場を知らず、「食」に対する心など全くない経営陣に休みなく振り回され、雇った現場マネージャーやシェフとの板挟みに合いながら、主張も反論もできずただただ上から言われるがままに突っ走っていました。そのうち、雇用した側とされた側の間に大きな確執が起こり、採用しても採用してもみな上と争った末に辞めていく、未だ若くて力のない自分にはそんな負のスパイラルを阻止することもできず、人手不足を自ら埋めざるを得ない立場に置かれ、なんでもこなして働き詰めた結果…、気づいたらこのご時世に恥ずかしいくらい体は栄養不足でぼろぼろ、心も荒み、自分でもどんどん嫌な人格になっていくのがわかりました。

人間は環境に左右され、良くも悪くも順応し感化されていく生き物なんですね。お金の為ならどんな交渉も悪気なくしている自分がいて心の中では、こんな今の自分は誰にも見られたくないと思いながら

環境やその場にいる人々のエネルギーに流され、そんな日々を繰り返しているうち、気づいたら体がついていかなくなり、自分の心をだますにも限界が訪れ、自ら辞める事を決意した日は急に訪れました。私がやりたかった食の現場づくりとはあまりにもかけ離れた現実を見せられた壮絶な日々でしたが、10年経った今、当然そのプロデュースしたレストランのみならず、経営母体も遠に消えてなくなっています。


この間、プライベートでは、いつも一緒にいたはずの存在が突然居なくなる、逢えなくなってしまったという大きな大きな喪失感を体験し、それからその穴を必死で埋めようともがいた時期、諦めきれず見つかるはずがないのに探し歩いた時期、そんな存在は元々いなかったんだと思い込ませた時期いろんな苦しい心の葛藤がかなり長い間続きました。

強烈な寂しさや喪失感というのは、時間が経つにつれ薄れて行くようにも感じますが、実際には何もせずに根本的な完治というのはないんですね。何かきっかけがあって手放せる時が訪れたり、意識的に手放そうと試みたりしない限り。結局、完全にその穴をしっかりと埋めるというか、(良い意味で)どうでもよくなり完全に手放せるようになるまでには10年もの月日が流れてしまったかな



vol.4】とどめのカフェ店長時代

その後、知り合いの紹介で、店舗の立ち上げから携わり、オープン後も店の運営管理からメニューのプロデュース、調理・サービスに至るまですべてを任されたカフェの店長職に就きました。

この仕事に就くまでの間、経営ではなく自分で料理やお菓子を作り、自分で提供する側の仕事がしてみたくて、単身パリにも向い、片っ端からカフェを巡ったり、代官山のフランス菓子スクールへも通算5年程通い、それなりの資格も頂きました。

それほど、本当は作ることがしたかったんですね。初めからそれを目指せばよかったのに、小さい頃から、いつも自分にはできないだろう、無理だろうと勝手に決めつけ、まっすぐそこに飛び込めず回り道をするという遠慮癖があったんです()

なので、好きなお菓子が作れ、カフェメニューも自分で考案し、接客もできる…そんなカフェでの店長業務自体はとても楽しくやりがいのあるものでしたが、今度は、採用したアルバイトの女性から、身に覚えのないあり得ないくらい強い妬みや恨みの様な不の感情を日々浴びせられ、一緒の空間にいるとその私に向けられるエネルギーで手が震えたり呼吸が苦しくなり、電車や外を歩いているときも急に涙が止まらなくなってしまうほどの追い詰められた精神状態が続き、家の中ではかなりのうつ症状に陥っていました。

後になって気づいたことですが、その妬みや恨みの原因は、当時の彼女の家庭環境・経済状況・体の症状・過去の未解決の感情などから沸き起こる深い悲しみや苦しみや不安だった様に思います。その矛先は誰でもよかったのだと。

でも、その当時、私にはまだそうした視点で現象を観察したり受け止める力は残念ながら無かったんですね。ただただ「自分のどこが悪いのだろう?」「何がそんなに気に入らないのだろう?」と、自分ばかりに原因を見つけようとし、でも見つからないそのスパイラルの中で殻に閉じこもり独り苦しんでいました。


vol.5】「ヨガ」で体験した目に見えない世界の「何か」

そんな心身の状態にも限界が来たとき、

「どうしたら、いつも自分らしく、だれからも誤解されず、堂々と楽しく生きられるのだろう」

「どうしたら、心や体を痛めることなく、心地よく過ごすことができるのだろう」

「どうしたら本当の自分・素の自分をわかってもらうことができるのだろう」

そんなことを、真剣に考えるようになりました。

もうこれ以上、自分で自分の心と体を傷つけるような繰り返しは、いい加減嫌になったんですね。

そんな時期、「ヨガ」というものが自然と心にとまり、その夏、2週間ほどヨガの集中トレーニングコースを受ける事にしました。

そこでは、ヨガのルーツから、呼吸法、基本ポーズに至るまで「ヨガ」というものを多角的に学ぶことができたのですが、その最終日、先生の唱えるマントラを聴きながら静かに瞑想をしていると、自分でもびっくりする程急に涙が滝のようにあふれてきて、止める事もできず、ただひたすら泣き崩れていました。先生はそんな私の肩を抱いて「全部出してしまっていいですよ」といいながら、背中をさすり続けてくれました。その時の不思議な感覚は、今でも褪せることなく鮮明に残っています。

これが、目に見えない世界で「何か」が起きているということを感じ、現象として見せられた初めての体験でした。


vol.6】「食」で心と体が変わる体験

それから、心と体のつながり、心と体に与える目に見えない世界の「何か」についての猛烈な探求が始まりました。

ヨガのトレーニングコースを卒業するにあたり、「○○とヨガ」というテーマで卒業論文を書く課題があり、そこで私は今まで携わってきた『食』をテーマに選び、「食とヨガ(体・呼吸)」についての探求が始まりました。

様々な文献を紐解いていく中で、まずはアーユルヴェーダに触れ、インドでは古来から、人の性質や性格に合わせて食を選ぶという発想があったことを学びました。

また、日本人が研究したマクロビオティック(食べ物のエネルギーを陰陽五行に分類し体に合った性質の食を取り入れる食事療法)にも行きつき、これが食養道を深く学ぶきっかけとなりました。

今まで仕事として扱ってきた「食」というものを、心と体の健康に役立てる事に意識がシフトして行ったのもこの頃です。カフェを辞め、体を作る「食」、心を癒す「食」の世界への邁進が始まりました。

この「食養道」を探求する過程でも、大きな人生の落とし穴にはまった事件がありました()
なんでもそうですが、ひとつのことにのめり込みすぎると、それだけが最高で絶対的で、それ以外は受け入れない、認めないそんな風に視野が狭くなってしまうことって多いんですよね。

それも、「自分軸」を常にしっかりと持ち、すべては、ある一つの捉え方、側面にすぎないという俯瞰した視点で世界を観察することができていれば、偏った見方や一つの事にこだわり過ぎず、大切なモノを見失わずに済むのですが


vol.7】自然界の法則、宇宙の秩序に気づく為の様々な人間の叡知

その後、食以外にも、興味を持った世界にはどんどん探求していくようになりました。

カラーリーディング、数秘学、ホメオパシー、レイキヒーリング、宝石(光)、自然農、マヤ歴、耳つぼ療法

これらはすべて、自分から探し求めるというより、自然と耳や目に飛び込んでくる情報や、人との出逢いから巡り合ったものばかりでした。

一時期は、こんなに色々と学んでも、結局何一つ仕事に結び付いていない、長続きしない、資格マニア!? 贅沢なお稽古!?一体何がしたいの!?などと思われることに懸念を感じたりもしたのですが、今になってやっと、「そうではないんです!これでいいんです!」と胸を張って言い切れるようになりました★

これらは、光、植物、人体などなど、自然界にあるあらゆるモノを通し、人間の叡知や人類始まって以来積み上げてきた傾向値(統計)によって、宇宙の絶対的な秩序や自然界の法則を知る手段なんです。色々なセラピーや手法、統計学を学ぶということは、様々な角度や側面から、目には見えないけれども、揺るぎない・大きな唯一の存在(something great)の意志を感じ、気づきを得る事ができるということなんですね。

この世に共存しているあらゆるものの性質を理解して、この世の中をあらゆる角度から観察することができたら、1つしか知らないより、視野も広がり、理解もより深まり、適材適所で使い分けることだってできますよね。それはとっても豊かなことです。


※このあたりのお話なると、まだまだ雲の上の世界、現実離れした幻想の世界、ちょっと宗教的な怪しい世界…と思われる方も多いのでは?と感じますが、私は、この世で起きる出来事、神秘的と捉えられている現象、目に見えない不思議現象も含め、突き詰めていけば、必ずすべては科学的に証明できる…と、確信しています。

まだ、宇宙は偉大過ぎて人間の叡知がそこまで追い付いていないんですね、きっと。


vol.8】ライトワーカーって何?

赤裸々に色々と綴ってきましたが、本当に色々な現実と遭遇し、その都度、撃沈したり気づいたりしながら、その奥に潜む「真実(何か)」を知ろうと、その瞬間その瞬間、私は懸命に向き合ってきたのだと思います。かなり不器用なので痛々しくもあり、今思うと笑えますが…(笑)

きっと、かなり紆余曲折しながらも諦めずにそれを探究し続けて来たことで「ライトワーカー」という存在に気づき、その在り方に行きついたのだと思います。


社会人になってから記憶に強く残っている体験だけでも、こんなに書くことがあるので、生まれてから今日に至るまでには、本当に計り知れないほどたくさんの体験をしてきたのだろうと思います。これはもちろん私だけではなく、すべての方がそれぞれにその人にしかできない貴重な経験を積まれてきて、今日に至っているはずです。

そして、今こうして自分の半生を振り返ってみると、やはり、何一つ無駄な経験はなく…というより、実は、

すべて自分が創り出したシナリオであり、それをひとつひとつ体験しクリアしていく事は、自分の「究極の本質」へと近づく為の、どれも欠く事の出来ないパーツ(過程)だったんですね。

私の赤裸々体験も、私がライトワーカーとしての自覚を持ち、その道を全うする為に必要な経験であり、気づきの為のサインが隠された人生ゲームだとやっと気づかされました。
今、目の前に起きていることとしっかり向き合い、ひとつひとつ乗り越えることで、私の魂(意識)を進化させていっているのですね。


「他人の人生ではなく、自分の人生を生きる」とは、きっとそういうことなんですね。

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ライトワーカーとは、それぞれの方が本質(魂の目的・今世生まれてきたことの真意)に目覚め、ご自分の目的に沿う生き方を創造していかれる為に、その現実を創り出す道に光を照らす…そう言う在り方・生き方にコミットすることだと私は感じています。


敢えて、お仕事ではなく「お志事」と表現しているは、お金を得るための商いが目的ではなく、生きる上で「志したい事」「在り方」としたいからです。


そうした在り方を全うするために、私が最も大切にしたいことは…、


●ぶれない「自分軸」を常に保つ努力をすること。

(その秘訣については、また別の機会にご紹介したいと思います)

そのぶれない自分軸のバロメーターは、


●体と心の「心地よさ」。

(地球の鼓動に、宇宙の波動に意識を傾け、自ら調和して生きることだと感じています)


これに意識を合わせ、日常を大切に過ごしていく事が、私が私の本質に沿う生き方をする一番の近道なんですね、きっと…★

…そんなふうに、これからも常に自分に正直に、体と心の「心地よさ」を探究し続け、キラキラを発信していけたらと思っています。

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最後までお読みいただいたみなさま、お付き合いいただきありがとうございました。

そして、今まで私の経験の中で関わってきて下さったすべての方々に心より感謝いたします。


穂の華