2016,5,21”till"@豊洲PIT-”東方神起”のステージが成立する理由ー | 東方の神が起き上がる瞬間

東方の神が起き上がる瞬間

東方神起をオタクに地味に考察しています。最新情報を追ったり紹介はしていないけど、ひとつのことを長くかみしめ、長く味わうwがテーマ。・・・なんてね。

4月2日の鹿児島から始まった、フィルム・コンサート・ツアー”till”。本人達不在のままの”ライブ”映像で、日本各地を回るというこの企画。

 

フィルムコンサートといえば、XJAPANが昔、やってた・・・・よね?くらいの知識だったんだけど、ある一定の世代の人にとっては、懐かしい企画らしい。

 

というのも、今よりずっと家庭に映像再生機が普及していなかった頃は、レコード会社なんかが企画して、なかなか動いている映像を見せることができない洋楽アーティストのライブ映像を、地方都市なんかでプロモーションを兼ねて上映してたりしてたらしい。

←色々調べた

 

当時は、ライブに行くよりも安い金額で、キッスやベイ・シティ・ローラーズ、海外のライブエイドなんかの映像を見られるという所に価値があった訳だけど、その後も、尾崎豊だったり、ZARDだったり、前述のXで言えば、hideさんだったり・・・・

 

要するに「今/ここにいない/君/」の”ライブ”を体感できる手法として、”フィルムコンサート”は選ばれていく。

 

ライブ・ビューイングとは違い、あくまでも、”コンサート”だからこそ”Viewing”=”眺める”のではなく、”Feeling”=”感じる”ことが、フィルム・コンサートの目的であり、その為に、会場も映画館ではなくライブ会場やコンサートホールが選ばれる。

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ところで、ライブハウスだったり、ライブホールには、いわゆるコンサートホールとか、〇〇会館とかと違った動きの同線が求められるのを、東方神起のファンはどれだけ知っていただろう?

 

整理番号が意味する所、荷物の持ち方、そういったライブ参加カルチャーみたいなものに、私たち東方神起ファンは、けっして親しんでいない。

 

にも関わらず、”フィルム・コンサート”を日本各地でツアーとして回る上で、その主旨に基づいて、なるべくその土地のライブホールを会場に設定していったエイベックス(なのかイベント会社なのかわかんないけど)のスタッフから、感じられるのは、「東方神起という名のもとに行われるライブ・ステージ」への深い愛情だ。

 

たとえそこに映像しかなかったとしても、いかに、ViewingじゃなくてFeelingさせるのか。

 

その為の装置が、ライブホールという会場であり、どっからか投げられるツアーボールだったり、銀テープだったり、実際のライブ構成と似た映像配置だったりするんだろうな。

 

TONE、TIME、TREE、WITH、と、2人の東方神起がこなしてきた4つのツアー、日産スタジアム公演での映像が、臨場感たっぷりに映し出される。

 

そして、たぶん、WITHツアーの合間に撮影された、だれもいない客席に向かって、「そこに客がいるかのようにMCする2人」の映像。

 

すべてが、本人達が不在であっても、スタッフが届けたい”東方神起のライブ・ステージ”への愛にあふれていました。

 

 

兵役中でも、そりゃ、歌ったり、踊ったりする映像をチェックすることはできるんだけど、私がこの豊洲で、”till”コンを見たときに感じたのは、「2人それぞれの踊り・歌う姿は、”東方神起のステージ”とはまた別物なんだ」ということでした。

 

単純に、そりゃ、ユノとチャンミンが別々の場所で歌って踊っているんだもんね、ということとも違う。そりゃ、衣装も違うし、髪型も違うし、ということでもない。

 

2人が踊り歌う姿=東方神起のステージ、という単純な式が成り立つわけじゃないのかも??という、私にとっては”発見”のような思い。

 

もし2人が兵役中の今、単純に2人で踊る場面があったとして、それは東方神起に似ているけど、他人の空似のように、どこかファンとしての私の心を、素通りしていくものなのかもしれない。

 

そこにいるのは、光州出身のチョン・ユンホであったり、ソウル出身のシム・チャンミンであり、ともに韓国国民男子としての責務に身を投じた、一私人としての彼らだから。

 

東方神起というステージは、ファンが愛し眺めてきた、ユノ・ユンホがいて、チェガン・チャンミンがいて、そのステージをつくりあげるための、無数のスタッフがいて、何より、そのステージをステージたらしめる、客席のファンがいて、初めて完成するものなんじゃないか。

 

tillコンは、まさに、それを教えてくれるものであり、東方神起不在であっても、”東方神起のステージ"が成立するその理由を、感じさせてくれる。

 

私たちは、体力の限界まで声を出し続ける”東方神起”に泣き、MCで見せるユノの不思議なギャグに度肝を抜かれ(笑)、客がいるかのように演技するユノの隣で、「僕には何にも見えないですけど」と毒舌をはくチャンミンに笑い、そして、魅了される。

 

それは、兵役中の一環として行われる彼らのパフォーマンスとは、全く異なるものなんだよね。

 

フィルムコンサートが終わった後、飲み物を買って飲んでいると、チケット売り場で、その日の夜の回を買おうとしているファンのやり取りが耳に入った。

 

ーもう今日の回はない、ということですか?そうですか・・・じゃあ、明日の回にしようかな・・・

 

その様子からは、初めて豊洲に見にきて、もう一度参加したいと思ってチケット売り場にきていることがうかがえました。

 

ただ”フィルム”を眺めるだけだったら、もう一回参加したい、と彼女は思ったかなあ??

 

きっと、思いがけず、”東方神起のステージ”として体感するものがあったからこそ、早い回を見終わった後、もう一回参加したい、と思ってチケット売り場にならんだんじゃないか?

 

そんな風に思うのは、私自身が27日、29日と横浜ベイホールでのtillコン参加を控えているからで、「ああ、1回だけじゃなくて、3回行けるなんて、幸運だなあ」と豊洲で感じたからなんだけどね^^;

 

くしくも、スタッフやバンドメンバー、ダンサーさんたちの思いをまとめた映像の最後で、ユノはこう語る。

「東方神起は今は、みんなの夢になったんじゃないかな?」

 

東方神起が不在であってもそこに”東方神起”ステージを出現させてしまう力。

それは確かに、東方神起としてのメンバー、スタッフ、ファン、”みんなの夢”がなしとげた奇跡なのかもしれない。

 

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