honey-spider presents 『胎児が密猟する時』 -4ページ目

[Intermission]「衝撃」~美濃部亮吉、その知られざる都知事時代の功罪について振り返る


参考過去記事:


[石原慎太郎]都知事辞任、東京五輪、東北復興、小沢新党、そして100兆円を結ぶ点と線(1)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11401944459.html
[石原慎太郎]都知事辞任、東京五輪、東北復興、小沢新党、そして100兆円を結ぶ点と線(2)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11402044060.html
[石原慎太郎]都知事辞任、東京五輪、東北復興、小沢新党、そして100兆円を結ぶ点と線(番外編)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11402201023.html
[石原慎太郎]都知事辞任、東京五輪、東北復興、小沢新党、そして100兆円を結ぶ点と線(3)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11402229373.html
[石原慎太郎]都知事辞任、東京五輪、東北復興、小沢新党、そして100兆円を結ぶ点と線(4)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11402364612.html


[都知事選]都知事の座を降りて後もなお、燃えさかるドス黒い憎悪…毎日新聞の石原都政バッシング
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11407612686.html



[都知事選]宇都宮健児の出馬でより鮮明になった東京サヨク軍団の暗躍…光る彼らへの監視の目(1)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11410968599.html
[都知事選]宇都宮健児・東京都知事候補と東京サヨク軍団の暗躍…光る彼らへの監視の目(2)
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11411745481.html



[InterMission]2012年12月16日の意義…「東京国大統領」の強大なる権限を侮るな
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11412753608.html



[都知事選]確信犯か?あまりに面白くわかりやすい五十嵐仁・法政大教授の都知事選・総選挙大解説
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11420323493.html


[Intermission]「理由はひとつ、彼が石原慎太郎であったことだ」…東京都知事選の歴史
http://ameblo.jp/honey-spider/entry-11421858822.html




管理人より:


東京都府中市。新宿から22km西方にあるこの人口25万人を有する市が、ご多聞に漏れず地方財政の逼迫に悩む近隣の調布市・その他を尻目に、広くて新しい体育館など他の市と歴然とした差を持つ栄えっぷり、財政面での優位性を維持出来る理由がおわかりだろうか。


結論から言うと、府中競馬場があるからである。


管理人はパチンコだろうか競馬だろうがやらない人間だが、公営ギャンブルの国政・地方自治を問わない実効性は認めているのだ。なので、カジノもあった方が良いと考える派である。

ただし、私営ギャンブルであるパチンコは別だ。理由はもうお分かりかと思う。


ひとつ、たとえ税金を一定分納めていようが、財源となり得ず、還元されないこと、それどころか、次から次へと廃人を産み出していること。そしてもうひとつは、これもお分かりかと思うが、北朝鮮の表に出ない財源となるべく、海外へ流出させてしまうこと、以上2点だ。


さて上記を踏まえ、下記二つの動画をよくよくごらんいただきたい。


拙ブログをご覧いただく方々の想像力の喚起を促したいので、管理人よりのコメントはここまでとします。








以下、Wikipediaより抜粋引用。


美濃部 亮吉(1904年2月5日 - 1984年12月24日)

第6代東京都知事、第7代東京都知事、第8代東京都知事




マルクス経済学者


東京帝国大学経済学部では、マルクス経済学者の大内兵衛に師事し、後期資本主義の危機的状況の諸現象、なかんずくインフレーションを研究した。助手となるが、マルクス主義と処世の両立を安易に信じているような態度で挨拶に行ったことが反マルクス派の河合栄治郎の怒りを買い、母校の経済学部に講師として残ることが不可能になる。そのため法政大学経済学部に転出し、以後マルクス経済学者として教鞭を振るう。


東京都知事


日本社会党を支持基盤とする革新知事として知られ、1967年(昭和42年)から1979年(昭和54年)の12年間(3期)に渡り東京都知事を務めた。美濃部亮吉の政治的手腕は母方の祖父・菊池大麓から、リベラルな思想は父・美濃部達吉から受け継がれたといえる(もっとも、達吉は日本国憲法に最後まで反対していた)。1971年(昭和46年)の都知事選挙では361万5299票を獲得した。これは個人が獲得した得票数としては日本の選挙史上最多得票記録であり、現在も破られていない。


政策面で評価されている点としては、老人医療費無料化、高齢住民の都営交通無料化、公害対策で企業に厳しい条件を課すなど、福祉、環境政策において様々な施策を次々打ち出し、東龍太郎都政の時代において取り残されていた課題へ対応した点が挙げられる。


批判されている点としては、これらの福祉・環境政策を充実させた裏側でそれらを実行する為の財政的な裏付けや計画性に乏しいバラマキ財政となり、結局は東京都を当時前代未聞の財政難に転落させた事が挙げられ、後年保守派から「戦後都政の暗黒時代」と批判される事にもなった。この財政悪化の主要因の一つとしては、1974年にオイルショックが起こって高度経済成長が終わって税収の伸びが鈍化したことが指摘されている。



南北朝鮮および在日韓国・朝鮮人との関係


対南北朝鮮、在日韓国・朝鮮人の関連では全国の都道府県の中で先駆けて朝鮮総連など、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に近い立場の関連施設の固定資産税を免税にしているほか、朝鮮大学校を各種学校として認可している。美濃部は「都市外交の一環」を名目に1971年(昭和46年)に、現職知事としては唯一の北朝鮮訪問を行っている。


美濃部の主たる支持基盤が北朝鮮との友好政党である日本社会党であったことから、前出の公営ギャンブル廃止論の背景には北朝鮮利権が色濃く存在するパチンコ産業の拡大を政治面から後方支援する目的があったのではなかったかとの疑念を示す意見もある。その他、都内でのパチンコ遊技場や飲食店の設置について、美濃部在職中においては北朝鮮資本が関係するものは比較的スムーズに営業開始に至ったものが多かったのに対し、一方で特に韓国系資本の関わるものについては各種許認可の遅延など様々な妨害が行われたとの声が、主として民団系の立場の者からは出されている。


ただし、民団系の在日韓国人に対して万事冷淡であったかというと必ずしもそうとは言い切れず、在日外国人に対する医療保険の適用を行うなどしており、そのことに対して在日韓国人の辛淑玉は「美濃部亮吉のおかげで命を永らえることができた」と高く評価している。



都立高校学校群制度の継承と存続


学校群制度による都立高校入試は東龍太郎都政時代末期に導入され、都立高校の東京大学など難関大学への進学実績低下の発端となった。学校群制度によって実施され入試は1967年度(昭和42年度)入学者から1981年度(昭和56年度)入学者までの15回で,美濃部都政下では1968年(昭和43年)から1979年(昭和54年)までの12回が実施された。


第1回入試(東龍太郎都政下の1967年3月に実施)の時点で高学力層の入学辞退者増加などの問題点はすでに露呈しており、以降は都立高校全体としては難関大学進学実績の低下が進行した。美濃部都政は顕在化していた問題点に対する改善策をまったく取らず、美濃部都政全期間の3期12年間にわたって学校群制度を存続させ、都立高校の難関大学進学実績を低下するに任せた。漫然と学校群制度を存続させたこと、この制度による入試15回のうち12回が美濃部都政下で実施されたことが、学校群制度を導入したのは美濃部都政であるという誤解を生む要因のひとつとなった。




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[Intermission]「富裕層への増税こそ財源!」今朝もとれたての五十嵐仁、お届けします。




共産党は財源論で大企業・金持ち増税を前面に出すべきだ
http://blogos.com/article/51847/?axis=g:0#51010_forum-form
(BLOGOS 2012年12月07日 05:27)



管理人より。


かの@rolling_beanや市田忠義と並ぶ、拙ブログテーマの常連と相成った五十嵐仁氏の、そのバックグラウンドと経済学の見識がよくわかる記事をまたもご紹介させていただく。





税金は、金持ちから取るべきです。金持ちは、お金を持っているからそう呼ばれているわけで、これらの人々が税金を多く負担するのは当然でしょう。お金があるのですから。


今回の選挙では、この財源問題が隠れた重要な争点になっています。それについて、大企業・金持ちから取るべきだと主張している政党は、たった一つしかありません。共産党です。


今回の選挙は、民自公3党によって消費増税が決められてから最初の国政選挙ということになります。来年の秋には8%への増税を実行するかどうかが決められますから、衆議院選挙で国民の意思を問うことができる唯一の機会になります。したがって、増税への民意を問うために、民主、自民、公明の各党は街頭での演説などで「消費税の引き上げを決めましたが、それで良かったですか、皆さん」と、まず初めに言わなければなりません。選挙の結果は、この問いへの回答ということになるからです。


民自公以外の政党のほとんどは、消費増税に反対しています。ただし、消費税を11%に引き上げて地方税化することを主張している日本維新の会は増税に賛成の立場です。しかし、消費増税に反対すれば、「それなら、財政赤字をどうするのか。社会保障の財源をどうするのか」と必ず反論してきます。これが消費増税談合3党の常套手段です。



管理人より…いや、常套手段じゃなくて、当然踏まえなければいけない重要な根拠でしょう。与党を諦め、非現実なお花畑理論でも耳を貸してもらえる日本共産党と一緒にしてはいけませんよ。それに、「消費増是談合3党」とか、自公はともかくミンスまで無理くりくっつけるような、アナタの妄想丸出しをそのまま、ネットを介して不特定多数の他者に意見を求める自論にまで吹きこぼしては恥ずかしいでしょ。



日本未来の党は、年額31万2000円の子ども手当支給を打ち出していますが、ここでも問題とされているのが財源です。それについては、特別会計の見直し、無駄を省いたり予算を組み替えたりすることで捻出する、つまり「霞が関の埋蔵金」を掘り出すことで賄おうとしています。しかし、これは政権交代以前の民主党マニフェストに書かれていた財源論で、すでに破綻したものです。「霞が関」には、これほどの「埋蔵金」はありませんでした。


とはいえ、「埋蔵金」そのものがないわけではありません。それは、官庁にではなく金持ちの富裕層や大企業の中にあります。民主党は掘り出す先を間違え、未来の党もその間違いを後追いしようとしているのです。


どうして、無いところから掘り出そうとするのでしょうか。なぜ、有るところから、金を持っている「金持ち」や内部に資金を留保している大企業から掘り出そうとしないのでしょうか。そうしようとしている政党は一つしかありません。それは共産党です。財界や大企業、富裕層とのしがらみや腐れ縁が全くないという点で、他の政党とは根本的に異なっているからそれができるのです。


他の政党は政治資金を工面してもらったり、何かと付き合いがあったりするために、税金を増やすなどと言うことができません。共産党だけしかきっぱりと主張できない政策――それが大企業・金持ち増税なのです。



この共産党だけしか「売り物」にできない「商品」を、もっと陳列棚の前面に出して、目立つところに並べるべきではないでしょうか。他の「商店」との差別化を図ることができるとっておきの「目玉商品」なのですから……。




管理人より。


おいおい五十嵐。オマエサン、自分の専門分野の社会学のバイブル・カール・マルクスの『資本論』の「第1章 商品」「第2章 交換過程」を本当に読んだのか?



『それゆえ、貨幣物神の謎は、ただ、商品物神の謎が人目に見えるようになり人目をくらますようになったものでしかないのである。』 (カール・マルクス 『資本論』)

 


日本共産党の根底を成すテーゼを「商品」などという、マルキストにとってこの上ないデリケートな言葉に置き換えて表現して…下記の面々からキツいお叱りを受けなきゃいいのだけれどもな。


※ 左上より順に、カール・マルクス、レーニン、ヨシフ・スターリン、毛沢東、ポル・ポト、金日成、そして片山潜、日本共産党リンチ殺人事件主犯・硫酸ぶっかけ男の宮本顕治、そして志位和夫、宇都宮健児。





今でも、共産党は「消費税に頼らない別の道がある」と言っています。しかし、それではインパクトが弱い。「本当かいな」と思われてしまいます。「そんなうまい話は眉唾ではないか」と……。そうではなくて、「共産党にしか実行できない別の財源がある」と言うべきでしょう。共産党だけが、この「埋蔵金」を掘ることができるのだと……。




管理人より。


後でご紹介する『BLOGOS』のコメントにて、日本共産党機関紙『しんぶん赤旗』の値上げが取り沙汰されています(失笑…)。



これは財源論であるとともに、景気対策でもあります。大企業や金持ちが貯め込みしまい込んでいるお金を流通させれば、デフレの克服にも繋がるでしょう。金庫にしまい込まれているお金や資産をはき出させるための増税であり、負担増なのです。


大企業にある埋蔵金は内部留保です。金持ちが持っている「埋蔵金」は、貯金はもちろんですが、不動産や有価証券もそうです。これらの一部を税として召し上げたり、社会保険料率の引き上げや企業負担の増大、賃上げなどの形で、埋蔵されている「金庫」の中から市場にはき出させなければなりません。


全ての企業の内部留保は総額461兆円(10年度)にも上ると試算されています。1%課税すれば4.61兆円の税収になり、消費税を2%弱引き上げた額になります。これと併せて、所得税の累進課税を強化し、証券優遇税制をやめることです。相続税を引き上げるということも有効でしょう。


これを提案し、実行できるのは共産党だけです。



脱原発や消費増税反対、反TPPという政策は多くの政党が主張しています。しかし、総選挙に候補者を擁立している政党が12もある中で、大企業・金持ち増税を主張しているのは共産党だけです。この点での独自性と優位性を、是非とも生かすべきではないでしょうか。





管理人より。


そんな共産主義丸出しの独自性と優位性??を、いまの財源不足にあえぐ国政に活かそうとは…なんとも恐ろしい、いや、素晴らしい夢を描いておいでだと思います。「小学生の作文」「いかれ爺」と、『BLOGOS』にてアナタが浴びせられた数々の罵倒の理由が、何だかここに来て深く理解できた気がします。


多くを語ると五十嵐サン、アナタの輝かしいアジテーションが汚れますので最低限に留めて言いますけど…「これを実行出来るのは日本共産党」、仮に自民党が同じことをやったとしたら、たちまち「軍国主義体制復活」「ファシズムの台頭、ヒトラーの統治するナチスドイツの再来」とか、またぞろやらかすのが五十嵐サン、アナタ方日本共産党とそのサポーターなのではなかったでしたっけ??



他の皆様はいったい、かような五十嵐の意見に対しどういう心境なのでしょうかね…例によって例の如く、最後は『BLOGOS』コメントを覗いちゃいましょうか。





toryanse
「税金は、金持ちから取るべきです。」


つまり、お金は、持っている人から奪えばよい、ってこと?これでは、強盗理論。どうやって稼ぐかを、考えるべきでは。

12月07日 09:17




Doggybagfamily
五十嵐さん やっぱりあなたは共産党の御用学者だったんですね。でも本当に経済の根本がわかって御用学者をしておられるのか?ひょっとしたら、赤旗の御用解説者ではなかろうか?


「企業の内部留保に課税しろ」などとひたすら大企業の内部留保否定論に走っておられるが、内部留保金などとそんな現金が銀行にでも眠っているかのように考えておられないか?内部留保は現金などではなく(一部現金などにもなるが)、設備投資の工場や機械や在庫などの運転資金などに既に姿を変えていることをご存じない。


もちろん一部は金融資産にして運用されていることもあろうが、貴方の言い方では内部留保の全てが不要不急の投資に廻されているかのように大口をたたいているが、内部留保はあらゆる投資(公表設備や運転資金や各種引当金なども含め)に姿を変えて使われていることを知りませんか?内部留保は企業にとって重要な企業発展の為に使われていることを教えない大学教授だから、御用学者と呼ばれるのです。


「埋蔵金」というようないかがわしい言葉を使って企業の内部留保を罵倒する。内部留保を吐き出せなんて大まちがい。それは既に姿を変えて資本の再生産(マルクス理論の根本)の為に使用されている内部留保即ち、工場の土地や設備や日々の経営の為に必要な運転資金にまで課税しろという資産課税の強化と同じことなのですよ。


内部留保の源泉である、税引き前利益に対しては既に法人所得税がかけられていることはご存じでしょうが、内部留保をベースにした課税をすることは、要するに税引き後利益にもう一度課税することを意味し、
株主に対する配当金を減らすばかりか、過去の内部留保全体に課税することと同じだから、それは企業の固定資産に対する2重課税とおなじこと。


何故内部留保課税などと穏やかな言い方をせず、「独占資本から所得税・資産税で毟り取れ」と言わないのですか?


12月07日 10:19




トロントロン通信兵

共産党の方にしょーもない質問


大企業をぎゅうぎゅう締め上げるー>業績が悪くなる
 ー>業務や工場、人員、組織のスリム化を図る
 ー>雇い止め、人員整理、関連会社の廃業が進む


という図式はOKなのかな


あ、どうせ聞いてもムダか あーあ 聞いた私がアホだった


それと金持ち増税と気軽におっしゃるが給与所得者としての年収1千万以上の全労働者に占める割合は
とても少ないし、ん億円稼ぐ人は課税対策もバッチリという現実はどうよ(タモリの名前を長者番付で見たことがない)


現代ではマネーは簡単に国境を超えちゃうし。


理想は溜め込まれるマネーを取り上げるのではなく使ってもらうように仕向けるのが良いでしょう


江戸時代にできた大きな橋はたいてい豪商がカネを供出してできたので名前が残っています


同じように「このバイオマス発電所にあなたの名前をつけてください」みたいな“カネを出してもらう”アイディアが欲しい


12月07日 10:54





yahoo user 8009b

大企業を締め付けたら下請けとか孫請けが絞られるだけという現実を知らないのかな。結局貧乏人がもっと貧乏になるだけ。


たとえば大企業特別税売り上げの50%とかしたら、下請けに払う金額を半額にしてその分をねん出するしかなくなる。


内部留保って言っても会社の中に金庫室があって札束が積み上がってるわけじゃないんだけどな。世界一高い法人税を払っている大企業があるおかげで日本の国は運営できていると言ってもいいわけだが。あまりにも現実から乖離し過ぎている意見だね。


12月07日 14:02




toryanse
「働いたら負けっ」て言っている人には、ありがたい話だと思う。必死に稼ぐ人には、痛い話だと思う。


内部留保が、金融機関で運用されていない事前提の、話だと思う。


12月07日 15:58




tnsa2007
>大企業にある埋蔵金は内部留保です。


先日BSフジ、プライムニュースでキャスターの一人が企業の内部留保は中小企業も大企業と同じくらい所持してるという政府の調査結果があると言ってました。


また金持ちから(大企業)税金を上げることに対するリスクは、企業が逃げることもそうですが、企業を呼び込めない、つまり経済成長をしづらくなるということが問題ではないでしょうか。 まぁ共産党は与党になる気がないから何でも言えるんですけどね。


12月07日 18:21




yahoo user 67af4
>それについて、大企業・金持ちから取るべきだと主張している政党は、
>たった一つしかありません。共産党です。

http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011070501000572.html




================================
 共産党は日刊機関紙「しんぶん赤旗」の月間購読料を、9月1日
から500円値上げして3400円にすることを5日付の赤旗紙面
で明らかにした。4日の第3回中央委員会総会で決めたとしている。
================================





実践しとる!


12月07日 22:20





ぐるぐる
まず、共産党にお願いしたいのは、候補者に対する当選率の低さです。今回も300人以上の候補を立てておられます。各社マスコミの予想だと、現議席9議席も守れるかどうかだと。。
今回は、100議席以上獲得する戦略と見込みがあるというなら、謝まるしかありませんが、1桁しか取れないような状況であれば、根本的に何か欠陥があると考えられます。


そんな党は、残念ながら経済的な施策について語るべきでないと思います。


大事なものの為には、数%の成功率でも突き進んでいく姿には、肌寒いものを感じます。それを支援する人たちは、そのあたりどうお考えなのでしょうか。


12月08日 02:46






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[Intermission]「理由はひとつ、彼が石原慎太郎であったことだ」…東京都知事選の歴史


石原はなぜ負けた?「理由はひとつ、彼が石原慎太郎であったことだ」東京都知事選三大名勝負
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20121204/E1354585821962.html
(エキサイトニュース 2012年12月4日 11時00分)








管理人より。



最初にお断りしておくが、見出しに反し当該引用記事は石原慎太郎・元都知事/日本維新の会代表を誹謗中傷する数多の文章のひとつ、ではない。表題は1975年の、美濃部亮吉と石原慎太郎(当時42歳)の実質2人の対決で、美濃部が都知事3期目を勝ち取った都知事選の結果を踏まえ、ノンフィクション作家の沢木耕太郎(当時27歳)が発した言葉である。


この記事で近藤正高氏が、三島由紀夫『宴のあと』を引き合いに出し、過去の都知事選と都知事を振り返った記事がなかなか興味深い。というか、こういった内容を積極的にアップしたいと願う管理人は羨ましくも思うのだが…。



ライター情報:近藤正高



1976年生まれ。サブカル雑誌の編集アシスタントを経てフリーのライターに。著書に『私鉄探検』(ソフトバンク新書)、『新幹線と日本の半世紀』(交通新聞社新書)。一見関係なさそうなもの同士を関係づけてみせる“三題噺”的手法を得意とする。愛知県在住。 ※エキサイトニュースより。

ツイッター/@donkou ブログ/Culture Vulture




先週木曜(11月29日)に東京都知事選挙が告示されたのに続き、本日(12月4日)、衆議院議員総選挙が公示された。まさか10月25日に石原慎太郎前知事が知事職の辞任を表明した時点で、衆院選とのダブル選挙になるとはほとんどの人が思わなかったことだろう。


ちなみに、東京都知事が任期途中で辞任することは今回が初めてだ。都知事選の時期も、戦後まもない1947年に「東京都知事」というポストが誕生して以来、その選挙はずっと4月に行なわれてきたので、12月の実施は異例といえる。


時期ばかりでなく、過去の都知事選からはいくつかのジンクスというか、共通する特徴が見出せる。これについて、佐々木信夫『都知事 権力と都政』には特徴として下記のような5つの事項があげられている。



【1】これまでに無競争当選は一度もなく、数名の有力候補とそれを取り巻く10人以上の候補者によって争われること。
【2】都知事が交代する場合、「親しみやすさが売りだった青島幸男から、強いリーダーシップを期待された石原慎太郎へ」という具合に、まったく違ったタイプの人物が選ばれること。
【3】一期しか務めなかった青島を除けば、歴代都知事はみな二期目(再選時)に最大得票を得ていること。
【4】初当選の年齢が高く、都知事を終える最終就任年齢は、先述の青島と初代都知事の安井誠一郎を除けばみな70歳に達していること。
【5】現職が立候補した場合、落選したケースはなく(ゆえに、都知事の交代は現職が退陣したときに限られる)、他道府県知事の経験者が都知事になったケースもいまのところない。



もっとも、これら特徴はあくまで過去の選挙がそうだったというだけの話で、くつがえされる可能性は十分あるわけだが。しかし第四の特徴のように、年齢を重ねた候補が選ばれるのは、やはり東京ならではという気もする。今回の選挙でも、9人の候補者のうちじつに7人が60歳以上だ。


それにしても、日本の首都のトップを決める選挙だけに、都知事選は東京都以外からも強い注目が集まる。大物、著名人同士の対決も少なくないことから、激戦となることも少なくない。そこでここからは、過去の東京都知事選から、とくに目立った対戦、トピックスを3本紹介したい。題して「東京都知事選三大名勝負」。これを読んでいただければ(さらに文中で紹介した本を読めば)、都知事選がより興味深いものになるのではないだろうか。



■1959年 東龍太郎vs.有田八郎――オリンピックとプライバシー



東龍太郎。


東の任期中に副都知事として、東以上の活躍をしたのがかの鈴木俊一なのは覚えておくべき歴史的事実である。


政治学者の御厨貴は、歴代の都知事を「実務性」か「象徴性」か、いずれに重きを置いたかで分類している(『東京 首都は国家を超えるか』)。…


これでいけば、内務省の官僚出身で、戦後復興に精力を注いだ初代都知事・安井誠一郎は「実務性」一本やりで3期12年を務めた。


これに対し、安井が後継に選んだ東龍太郎は日本のスポーツ医学の草分けであり、国際オリンピック委員会(IOC)の委員を務めた経験も持つ。おりしも東京は1964年のオリンピック開催をめざし招致活動の最中にあり、都知事選の翌月、1959年5月には開催地を決めるIOC総会を控えていた。東への後継指名は、まさにオリンピック招致、開催に向け、その「象徴性」を買われてのことであった。


東の最大のライバルは、社会党代議士で元外務官僚の有田八郎だった。有田はこの前回、1955年の都知事選にも立候補し、現職の安井に敗れたとはいえ善戦していた。戦前・戦中に4度外務大臣を務め、戦争末期には早期終戦を訴えたという有田の経歴は、社会党をはじめとする革新陣営を象徴するにふさわしいものであった。


しかしここにボタンの掛け違いが生じる。翌1960年の日米安全保障条約の改定を控え、社会党はイデオロギーの違いを争点とするべく有田を送り出したものの、一方の東陣営はイデオロギー対決を回避、オリンピックという明確な目標のもと、都市整備をしていくという方針を打ち出したのだ。果たして選挙は前回同様、接戦になったものの東が当選を果たした。都政の実務を副知事の鈴木俊一にゆだねた東は、当選直後、IOC総会出席のため外遊に出ている。もっとも、これがちょうど東の最初に手がける予算編成のさなかであったため、物議をかもしたのだが。


さて、1959年の都知事選のトピックスはオリンピックばかりではない。じつはこのときの選挙をモデルにした小説がある。それは三島由紀夫の『宴のあと』だ。





1960年に発表されたこの小説は、モデルとされる有田八郎がプライバシーの侵害だとして裁判に訴えたことで知られる(日本でプライバシーという言葉が定着したのも、この裁判がきっかけだとされる)。




たしかに、有田の妻が、経営する料亭を抵当に入れて資金をつくるなど物心両面で選挙を支援したことは、小説に書かれたとおりだった(落選ののち夫妻が離婚するのも同じ)。しかし小説と事実とはあくまで別物である。そもそも『金閣寺』など、三島の小説には実際の事件を素材にしたものは少なくないが、いずれも細かい部分では事実と異なるものばかりだ。作家の橋本治はここから、『宴のうた』(管理人注:原文ママ)裁判の原告はむしろ、《自分の顔と衣装を勝手に使われて、自分とはまったく違うものを提出されてしまった》からこそ、三島を訴えたのだという見方を示している(『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』)。…


とはいえ、『宴のうた』(管理人注:原文ママ)における主人公の料亭の女主人(福沢かづ)の、夫・野口雄賢の選挙戦中の言動を読むと、三島の現実政治に対する洞察力、予見性を感じずにはいられない。彼女が選挙に惜しげもなくカネを使うことや、あるいは自分の故郷の民謡として「佐渡おけさ」を歌って庶民の心をがっちりつかむところからは、どうしても三島の死後、首相となる田中角栄のことが思い浮かんでしまう。



■1975年 美濃部亮吉vs.石原慎太郎――太陽の“挫折”



ナイスミドルの印象が強く、女性人気が絶大だった美濃部亮吉。マルクス経済学の信奉者でもあった。またあまり知られていないが、東京都に歩行者天国をもたらしたのは美濃部である。



若りし頃の石原慎太郎そして三島由紀夫。




1963年に再選し、翌年の東京オリンピックを成功させた東だが、高度成長により発生したさまざまな都市問題に対しては後手後手にまわった。1967年の東京都知事選では、自民党が立教大学前総長の松下正寿を擁立したのに対し、社会党や共産党といった革新陣営は東京教育大学(筑波大学の前身)教授で経済学者の美濃部亮吉を立てた。結果はおりからの都議会の汚職事件から保守陣営に逆風が吹いたこともあり、美濃部が勝利する。それまでの都政が開発主導だったのに対し、美濃部は福祉重視をうたい、国に先駆けて老人医療の無料化を実現した。もちろん反発もなかったわけではなく、フォークグループのソルティー・シュガーのヒット曲「走れコウタロー」(1970年)では美濃部が実施した公営ギャンブル廃止が風刺されたりもした。


二期目をめざす1971年の選挙では、自民党推薦で立った前警視総監の秦野章が対立候補となった。このとき秦野陣営の応援に川端康成が駆けつけている。それまで政治からは距離を置いていたはずのノーベル賞作家の行動に、多くの人が首をかしげた。だが川端の応援の甲斐なく、選挙は美濃部の圧勝に終わる。


続く1975年の都知事選には、後ろ盾となる社会党と共産党が対立したこともあり、いったんは美濃部は出馬断念を表明している。だが、とある衆院議員が出馬を発表したことから一転、美濃部は3選のため動き出す。その相手とは誰あろう、石原慎太郎だ。当時71歳の美濃部に対し、42歳だった石原はことあるごとに若さと新旧交代を強調しながら選挙戦を戦った。


このときノンフィクション作家の沢木耕太郎(当時27歳)は、石原陣営について選挙の一部始終を見届け、「シジフォスの四十日」というルポ(『馬車は走る』所収)を書いている。そこでは石原の選挙支援のため集まった有名無名の人たちの姿が活写され、なかなか面白い。車に乗りつつ、町を行く人たちから票を入れてくれる人、入れてくれない人をずばずばと見定めていく選挙のプロがいるかと思えば、渡されたスケジュール表がどんなものであれ、毎日、最後の演説予定地では8時きっかりで終わるように選挙カーを到着させる運転手がいたり(渋滞の激しい東京では至難のわざだ)。…


石原陣営の参謀には、劇団四季の浅利慶太をはじめ牛尾治朗、香山健一、黒川紀章などといった経営者や文化人が集まっていた。沢木のルポでは、浅利の《「昭和六十年代」に自分たちの世代が世の中を動かす主体となるために、いま闘っておくことが必要だった》という言葉がとりあげられている。実際、1980年代に入り彼らが自民党政権のブレーンを務めることを思うと興味深い。


このように多士済々で活気に満ちた石原陣営に対し、美濃部の存在感はきわめて希薄であった。しかし勝ったのは美濃部であった。石原はなぜ負けたのか、沢木は《理由はひとつ、彼が石原慎太郎であったことだ》と書く。それを示すエピソードとして、選挙戦中のある日参謀たちと食事に出かけた石原が、店の庭でボーイと鉢合わせ、相手が譲ろうとしないのでついに「おまえ、ボーイだろ、どけよ!」と声を荒らげたという話が紹介されている。


で、その後石原が変わったかといえば、そうは思えない。1999年に彼は再出馬した都知事選でついに当選を果たすわけだが、これはよくいえば彼が「ぶれなかった」せいでもあるのだろう。


一方の美濃部の福祉政策は、1970年代の2度のオイルショックによる不況下にあって、財政を逼迫させた。1979年に彼は3期12年の任期をまっとうして退任するが、後任の知事には財政再建が最大の課題として残された。



■1991年 鈴木俊一vs.磯村尚徳――80歳現職、前屈で「若さ」をアピール


故・鈴木俊一。石原慎太郎は鈴木を「地方自治の星」とし自らの都政のモデルとしていた。当然築地移転は、鈴木より間接的に引き継がれた推進を行っていた。


都知事としての後期はその大規模開発が都の財源圧迫を誘発し「ハコモノ都政」の批判も浴びたりした。




1979年の都知事選では、内務省出身で、東知事時代に副知事を務めた鈴木俊一が、革新陣営の立てた太田薫を破り当選した。鈴木は就任まもなくして学者らを中心に「都財政再建委員会」を設置し、職員定数削減などの答申を得て行政改革を断行、就任3年で都財政の黒字を実現した。そのやり方も、現役の職員のクビを切るのではなく、退職などにより生じた欠員を補充しないという、比較的受け入れられやすい方法がとられた。鈴木自身も給料を半減することで、都職員や都民の理解を求めている。


財政再建を果たしたのち、2期目以降に彼が取り組んだのは大型開発であった。ちょうど時期的にバブル景気と重なったことも追い風となり、臨海副都心開発や、丸の内にあった都庁の新宿移転といった目玉政策が推進される。1991年の都知事選は、都庁移転後初めて行なわれる選挙となった。このとき鈴木は、自民党の小沢一郎幹事長から支持率の低さを理由に勇退を切り出されるが、これを突っぱね出馬を表明している。…


結局、自民・公明・民社の3党はNHK特別主幹だった磯村尚徳を擁立、対する鈴木陣営には都議会の自民・民社党議員や東京選出の国会議員が支援にまわるという、国政と都政の分裂選挙となった。


このとき80歳となっていた鈴木だが、高齢・多選批判を封じるため、ある議員の発案で、体をかがめ手を床につけて若さを訴えるパフォーマンスを披露し話題を呼んだ。毎朝欠かさず体操で鍛錬してきた成果であった。もっとも本人は《こんなやり方は、私には大して意味があると思えませんでしたが》とのちに語っている(読売新聞解説部『時代の証言者7』)。


一方の磯村は、庶民派アピールのため銭湯で人々の背中を流すというパフォーマンスを行なったものの、どうしてもわざとらしい印象がつきまとった。有権者はこういうことに敏感だったのだろう、軍配は“自然体”の鈴木に上がることになる。


だが前後してバブルは崩壊、臨海副都心開発に進出した企業があいついで撤退を表明するなど、鈴木都政の末期には財政悪化の兆候が現れ始める。1995年の都知事選では、鈴木が後継に指名した前内閣官房副長官の石原信雄に対し、臨界副都心で開催予定だった「世界都市博覧会」の中止を公約に掲げたタレントで前参院議員の青島幸男が勝利するにいたった。




「実務性」か「象徴性」か、「ハード重視」か「ソフト重視」か、「保守」か「革新」か……過去の都知事選は、さまざまな対立軸で争われてきた。しかし著名な候補者が乱立した1999年の都知事選以降、回を追うごとに対立軸が不明確になっている印象は否めない。今回にいたっては総選挙のほうにどうしても目がいきがちだ。


しかし都政の歴史を振り返れば、美濃部亮吉の福祉政策や鈴木俊一の財政再建など、国政に先んじた政策も少なくない。日本の先導役としての東京都知事が誰になるのか、東京都民でなくてもやはり注視する必要があることはたしかだ。(近藤正高)







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