Honey Girl との出会い 移住への道Vol.1
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Honey Girlとの出会いとなると、必然的に、なぜハワイに7年も住む事になったのか、を思い出すところからはじめるコトになるわけで、そうなるとこりゃぁ相当長くなるわけででも、まぁ今なぜここにいるのか、これまでの流れを思い出すのもおもしろい。5秒前のことも忘れてしまう、壊滅的なあたしのメモリー。どれだけ保管されてるかとりあえずハワイフォルダを開いてみることにします。
さて。 そう、あれは忘れもしない1992年3月31日(かなりイイ感じで覚えてる )。わたしは飛行機の中で一人で涙していた。何がそんなに悲しかったのかというと、そう、楽しかった1ヶ月のハワイ旅行から帰らなければならなかったこと 。そしてどんなにがんばっても2年半はハワイでボディーボードは出来ないことが決定していたこと。そしてついでにハワイで出会ったイケメンともう会えないこと。なぜなら日本へ帰って3日後にはドイツへと旅立つことが決まっていたから。安易に決めたドイツ留学。まさかこんな展開になるとは予想だにしなかったわけで、あまりのギャップに飛行機で嗚咽した。
波乗りといえばハワイ。 世界広し、海広しと言えど、波と遊ぶということを最初に思いついたのはハワイアンたち。そのハワイへ初めて行ったのは18歳の卒業旅行。 当時超束縛系メンズと付き合ってた高校時代の友達と一週間の旅行だった。 その頃はなぜか海に全く興味がなく、毎日ビーチには行くけど焦げて煙が出てきそうになるくらいまでひたすら焼いてるだけで、なんと私は一週間の滞在中一度も海に入ることはなかった 今もってそんな私がいったいなぜこんな海好きになったのか本当に不思議で仕方がない…。
さて、この初ハワイ旅行、一緒に行った友達の束縛系彼氏が、一日中その友達がちゃんとホテルでおとなしくしてるかチェックする為に連絡してきます。 もちろんまだ携帯電話なんていうカルチャーはほんの一握りの人の特権だったので、いつかかってくるか分からない電話に出る為、夜なんてもちろん出かけられません。 そして毎晩結局友達は電話口で喧嘩して泣き出す始末。 私の初ハワイはちっとも楽しくない旅となり、“多分二度とこないな”と思いつつ帰ったのを覚えてマス。
ところが、そんな私が 何故かわからないけど、大学に入った頃くらいから波乗りっていうカルチャー、というより、あのちゃらちゃらしたスタイルに興味を覚えた。 コバルトブルーの海がまぶしいハワイでさえ一切海につからなかったワタシ。 もちろん波乗りなんてしたことないし、家だって宝塚の山奥。なのにその頃から愛読書はFINEで、完全無欠な超陸サーファーと化していた。 漠然とした憧れみたいなのがあった。 海っていうより、私は完全にスタイルから入るタイプでした。
私が大学生の頃。それはバブル真っ盛り、女子大生ブーム真っ盛りの時代で、ヴィトンとハンティング持ってない女子大生なんてありえない時代でした。 私も入学したての頃は毎日ヴィトン持って通ってました。 それがなぜかFINE派になり、いつの間にやらなんだか小汚くなっていきました。陸サーファーですから。ヴィトンはもてません
そして運命の時がやってきた。 大学2年も半分ほど過ぎ去ろうとしていた頃のこと。 ある日家に帰ると父が話があると。
『ダディーンどうしたの?』
『おい。 大学2年で辞めてドイツいかねえか?』
『ドイツぅ~? なんでえ? ま、いいけど。 いくいく』
『よし!! じゃあ4月からドイツね。学校とか手配しとくし。あ、1回行ったら2年半は帰ってきちゃダメだから。』
『うんまぁいいや2年半ね!オッケ~。』
というわけで急遽大学を2年で中退することになりました。皆に言ったら “じゃああんたがいなくなる前にハワイでもいこうよ!” て。 おお~いいね。 ま、前回全く面白くなかったけど、陸サーファーやっていましたし、もう一回くらい行ってもいいかもねっ。 てことで寒そうなドイツに行く前、3月まる一ヶ月ハワイで遊ぶことになったのです。
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