先日少し書かせていただきましたが、


1月の終わりに祖母が他界しました。









祖母と言うのは、旦那の祖母で、もう随分長い間、入院しておりました。

祖母はおよそ9年前に倒れ、最初の頃は喋ったりも出来たそうです。

私が初めてお見舞いに行ったのは、結婚する前。

1年半くらい前でしょうか。



こちらに出来ることは、一方的に話し掛けることだけ。

たまに、ほんの少し反応があるかないか。


それでも、旦那は昔から祖母に一番可愛がって貰い、一番お世話もしていたみたいで。

祖母が倒れてからもよくお見舞いに行っていて、結婚してからも週1で一緒にお見舞いに行ってました。

休日になると、

「今日はどこ行く?おばあのとこ行こうか?」

車で片道20分程度。

帰りに今宮神社へ寄って、祖母とよく食べたらしいあぶり餅を食べたり、

ちょっとしたドライブでした。



「おばあ、こんなとこに行ってきたよ」

「こんなことがあったよ、どう思う?」

スマホで撮った動画や画像を見せたり、愚痴を言ったり。


お正月には、旦那の家族全員で集まり、祖母を囲んで写真を撮ったり。


祖母の反応は相変わらず皆無に等しいですが、それでも、

毎週こうやってお見舞いに来て、毎週語りかける。

そんな日がずっと続く。

そう、馬鹿みたいに思ってました。






30日の早朝。

旦那のスマホが鳴りました。

旦那の母からの着信でした。

旦那は、それで、察したようでした。



祖母の具合が悪くなり、義父は既に病院に向かったとのこと。

旦那と私は仕事があった為、

「どうする?報告だけしておこうと思って」

そう言った内容でした。




どうしようか?

状況の詳細が解らない為、旦那も私もとりあえず仕事をして…

そういう選択肢を考えていた時、

二度目の電話が鳴りました。






お客さまに連絡を取り、旦那の実家へ向かいました。

お客さまのお気遣いに、既に泣きそうになりながら、

回らない頭で考えていました。

なんで?

急に?

どうして?

この前まで普通にお見舞いに行ってたのに?

旦那の家族と合流して、病院に向かいました。




既に駆けつけていたのは、

祖母の息子さん、娘さんにあたる方々。



祖母は酸素をつけられ、

その姿が、

すべてを物語っているようでした。



皆が祖母の周りに集まり、

口々に声を掛けます。



祖母は、

肺炎をおこしたようでした。




それでも、

馬鹿みたいに、



なんとか持ち直して、


またお見舞いに通う日が続くと思っていました。



本当、馬鹿みたいに。





それから数時間後、

11時前でした。



最期に一筋涙を流して、

祖母は天寿を全うしました。








おばあ、

直接話せたことはない私でもとてもとてもかなしい。

他のみんなのかなしみはどれくらいのものだろう。

今はただ、みんなのかなしみに寄り添い、少しでも力になれればと思います。




告別式の時、

「◯◯を頼むで」

そう聞こえた気がしました。

おばあが旦那のことを何て呼んでたかなんて、知らないのに。



3才になる姪っ子も、

「おおばあちゃんがいる」

何もない方向を見てそう言います。





これからも、おばあはみんなの傍にいて、見守っていてくれるのかもしれませんね(*^^*)





お読みいただきありがとうございました(*^^*)