「安息を」
鎮魂歌の訳を付されることも多いが、そもそもの意味は一言の願いだ。
アニメとか漫画とか、そういったものにはここのところすっかりご無沙汰だけど、先日久しぶりに見た。
『コードギアス』
第一期と、その最終回から1年後の話ではじまる、第二期(R2)。あわせて50話のお話。
放送は随分前に終わっていたのだけれど、私はR2の残り10話くらいを見ていなくて、ほんの気晴らしのつもりでちょっとだけ見ようと、友達に焼いてもらったDVDを再生にかけた。
結果、激しく後悔。
最近は試験とプレゼントレポートの波状攻撃のお陰で結構忙しくて、演奏会の本番も控えてるから、そっちにも集中しなきゃいけないくて、他にも色々役目があって。
そんな時期なのに、私はすっかりあの話に心を持っていかれて、まだ、捕らわれたままでいる。
ルルーシュは最後まで、分かち合うことの下手な子だったな、と思う。
限りない愛とやさしさを、他者に捧げることができる。
残酷に奪い、踏みにじることもできる。
けれど、誰かから感謝を受け取ることや、人に与えた幸せをともにその身に受けることには、どこまでも不器用だった気がする。
不器用で、傲慢で、身勝手で、強欲で、けれど最後の最後で本当に、欲がない。
彼は常に己の望みのために動いていたから、対価など必要なかったのだろう。行動の結果がそのまま自らへの酬いとなりえたから。
だが振り返ってみれば、彼の望みはどれも、他者に振り向けられていた気がする。
彼が自分のためと言い切った願いは、思い描く幸せは、突き詰めればいつでも、誰かの幸せを礎としていた。
彼の本質は本当に、王に似つかわしい。
ジェレミア卿の揺るがぬ忠義や、あの不遜なロイド伯爵が示した理解と忠誠をみると、その思いがますます強まって、悲しくなった。
歪みのない時代であれば、どんなにか。体力がなくイレギュラーに弱い彼には、ひょっとしたら誰よりも、平和な世界が似合いだったかもしれない。だがそれも、詮無い話だ。
シュナイゼルとルルーシュは、ある意味でとても良く似た兄弟だったように思う。
皇帝さえも差し置いて、皇族たちの中で、恐らく互いが互いを一番に認め合っていた。
そして己への、執着の薄さ。
たとえばナナリーがいなかったら、ルルーシュはどんな人になっていたんだろう。
生まれ持ったるプライドの高さや、それに伴う情の苛烈さ、貪欲さは変わらなかったかもしれない。
それでも多分、もっと掴み所のない、淡白な人になっていたんじゃないだろうか。シュナイゼルのように。
シュナイゼルの物事への執着の薄さこそ、彼がルルーシュより上手であり続けた所以なのだろう。
同時に、彼がルルーシュに負けた所以は、ルルーシュの執着の在り処を見誤ったことにあるのだろう。
彼らは強い自負と自尊心を持っているようでいながら、本当の意味で、自分自身に価値を見出してはいなかった。
でもルルーシュには、ナナリーがいた。
そして生にしがみつき続けたその先に、多くの出会いを得た。力に執着し、世界を望んだ。
それが意味するところを、シュナイゼルは表面的にしか理解していなかった。
ずっと、ギアスの刻印は、恐らく鳥か何かなんだろう、と深く考えもせず思っていて。
それにしても、随分と鋭角的で不自然な飛び方をする、とも思っていて。
ゼロ・レクイエムを前に、ルルーシュの言葉によって唐突に与えられた答えに、愕然とした。
ギアスは願い。
ならば刻印は、願いのかたち。一期の頃から何度となくヒントは与えられていたのに、何故気づかなかったんだろう。
あれは、折鶴だ。
そんなやさしげなものが、あの少年の人生をかき回し、苦悩の底に落とし込んだ。
人の業の深さに、おののかずにはいられない。
けれど同時に、胸を打たれる。
ギアスによって世界からはじき出された彼は、ギアスを通して、そこにいる意味を見つけた。
人々の願いのために力を振るい、世界をリセットした。
ああ、最後の彼のギアスの、何とその刻印に似つかわしかったことか。
穏やかで澄み切った、あのやさしい笑顔を思い出すたび、涙してしまう。
情けないけれど、仕方ない。
たった2年の間に、これだけのことを為し、こんなにも成長した。
あなたは大した嘘つきだよ、ルルーシュ。
その名に願おう。
「安息を」