こんにちは(。・ω・)ノ
昨日、津別町では32.7℃を観測し、
日本一暑かったようですね
まだ5月なのに
かと思えば根室ではようやく桜の
開花宣言ができたそうで
同じ北海道でもこうも違うなんて
面白いですね
さて、前回の記事の続きです
今回もみなさんの豊かな想像力を
思う存分発揮させてくださいね
先日記事にした所へは、みなさんも
自力で行くことができるかと思います
しかし、他の塹壕跡がある場所は
素人が勝手に行けるような所では
ありません
どうしても行きたいという方は
自己責任でお願いします
私たちは、今回ふるさと講座の下準備
に同行させていただいたので、心強い
ガイドさんがいました
大野文化財保護研究会の毛利さんです
毛利さんのブログ「自遊旅」
この方、すごい人なんですΣ(●゚д゚●)
車で日本一周しただけでもすごいのに、
自転車でも日本一周を果たしているん
ですよ
そして二股口古戦場の未確認であった
12基の塹壕跡を発見した方なんです
そんな毛利さんの案内で塹壕跡を
巡ることができるなんて…
他に、郷土資料館の学芸員である
佐々木さんと、毛利さんの山中間
であるマダム2人と一緒に同行
させていただきました
よし!塹壕跡巡るぞー!と意気込んで
いると、
毛利さんが進もうとしているのは本当に
人の通った形跡がない急な山
そして何度も吹く熊よけの笛…
まじか、これ登るのか…
とさっきまでの意気込みはどこへやら
毛利さんと佐々木さんが先に進んで
鎌で笹を刈ってくれます
写真だと伝わらないかもしれませんが、
両手を使ってよじ登らなければ上がる
ことができないほどの斜面でした
途中からよじ登ることも難しく、上がれ
ないでいると、後ろのマダムから
「笹を掴みなさい笹は強いから
引っ張っても大丈夫よ」
とアドバイスをいただきました
おそるおそる掴んでみると、確かに
笹に全体重を預けても大丈夫
「あら、タケノコだわー」とか
マダムが言っているのですが、それに
言葉を返す余裕すらありません…
登っていると小さな塹壕がいくつか
ありましたよ
その中でも、あと少しで山頂という所に
あった塹壕が一番大きいものでした
今まであった塹壕跡とは比べ物に
なりません
新政府軍が攻めてくる方向が
見えやすいよう、L字型になって
いました
この塹壕跡は見晴らしが良く、
新政府軍が攻めてくるようすも
よく見えたと思われます
毛利さん達が笹を刈っていたり、
私たちが写真を撮っていると
マダム達はいつの間にか先へ
進んでおり…
と叫んでいました(゚ω゚ノ)ノ
その元気は一体どこからくるんだろ…
私たちも、大きな塹壕からあと少しの
山頂を目指します
少し登ると…
熊の糞とも2回遭遇しましたよ…
ここは熊が多く生息している場所
だそうです
だから笛たくさん鳴らしてたんだ…
山頂直前、ほぼ山頂のところに
また少し大きな塹壕がありました
※写真中央の白っぽいものがある
所が新政府軍陣地です
これなら攻めてくる様子がすぐに
わかりますね
そして、旧幕府軍の塹壕もよく見える
位置にあります
一番高い所にあるし、敵地がよく見えるし
ここは司令部のような場所だったのでは…?
そして、この塹壕より一段程高い位置に
狭いスペースが…
「塹壕より少しだけ高くなっているし、
ここに土方が居て指揮してたかもね」
と毛利さん…
ここで、土方が、指揮を!
そして土方のつもりでポーズをとる
毛利さん
そんなこと言われてこんな事されたら
そうとしか思えない
自分でその場所に立ってみて、ここに
土方歳三がいたのかも…と思うと感慨
深いものがありました(´□`。)
わたしの妄想による二股口の戦いが
脳内で繰り広げられていきます
わかりにくいかもしれませんが、
塹壕から見た敵陣側はこんな感じ
こんな急斜面では攻めるのも安易
ではないと思われます
このような絶好の場所に陣をとって
いたため、少ない兵でもここを守り
きることができたのではないでしょうか
ここは塹壕があるところから離れている
場所なのですが、もっと天気が良い時に
写真を撮ると、ちょうど五稜郭タワーが写る
そうなんです
陣を置くには格好の場所だったんですね
「箱館戦争で旧幕府軍が
唯一守り抜いた場所」
なぜこの場所が今までまともに整備
されずにきたんだろう…もったいない
歴史は苦手だし、今回は興味本位で訪れた
だけだったのですが…
実際に行ってみると感動しましたし、
”年号や人物名が羅列してある堅苦しいもの”
という歴史に対する偏見が少なくなった
ように感じます
二股口の戦いから約145年の月日が
流れた今、その場所に立つことが
できたというのは本当に貴重な経験
でしたヽ(*'0'*)ツ
次回は番外編