気づきを求めアメリカ横断の旅へ | 日韓年の差夫婦☆バイリンガル☆脱ステ

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元ホステス、その後ハワイへ。同じ大学だった、12歳年の違う韓国人旦那と結婚。子供をおうちでバイリンガルにすることを成功しました。『相手の好きに触れる』このテクニックがホステスも育児も同じだな~と思う今日この頃。独自の育児法や家庭学習のことなどを綴ったブログ

Aloha

ホステスを20年間してきた私が、37歳の時にハワイへ留学するまでの話を書いています。


好きって気持ちってなに?
愛って?

私は自分の人生にどのように挑むのか?
私が最も大切思うことは?
なぜ生まれてきたのか?
どこに行くべきなのか?
なにをするべきなのか?
私はなにがしたいのか?
なぜ人は生まれてくるのか?

接客を通じて様々なことを感じ、27歳の時にこのような事を考えだしたのですが、思想の転換のもう1つのきっかけとなったのは、恋愛でした。

22歳から5年間同棲をしていた彼との破局後、妙に哲学的な事を考えはじめたんです。

別れた理由は、結婚と言うものがなんなのかをわかっていない自分に気がついたから。

彼の周囲の人達が私達をすでに夫婦扱いしていたのもあり、彼といることで制限される人間関係などに疑問を持ち始めたのもあるし、結婚とは?なぜ多くの人は結婚するのか?などと、それまでは何とも思っていなかったことを真剣に考えたんです。

それにより、自分が愛や結婚という事をよく理解していないこと、だから結婚に対しての理想やビジョンもないことに気が付きました。

てか結婚って何?

早く子供を産んでおいたほうがいいと多くの人が言うけれど、パートナーがいて、そこに愛があり、そして子供という順序なのに、私は子供を産むために結婚するわけではないし、子供が欲しいから結婚したいとも思わない。そして結婚は年齢で結婚するものでもないと思うし。

それから、自分がどんな人生を歩みたいのかを真剣に考えはじめたんです。



まず最初に行ったのは、アメリカ。

シカゴから入り西のカリフォルニアを目指し車で走る旅。ルート66をひたすら走る、距離にすると3000キロ以上。


今思うと、すべてが必然だったと思うのですが、当時、私に恋をしていてくれたアーチストの男性がルート66の旅の計画を温めていて、友達として一緒に行かないかと誘ってくれました。私が丁度、どこへ旅にでようか迷っていた時でした。

お店を女の子達に任せ、3週間のアメリカの旅へ出た私。旅の間中もお店の事、自分の立場、任せられた子の気持ちなど、とても学びが多かったです。(ルート66の話はまたの機会に書かせていただきますね)

自分で経営していて学んだことは沢山あるんですが、その中でも大きいのが、指導の仕方、指示の出し方です。

一言では簡単に言えないのですが、10人いたら10通りの言い方、指導の仕方があるんです。その人に適した言葉や方法でちゃんと伝えられると、物事がスムーズにいき、相手も自分も納得できる結果が出せる。

でもあの頃私は、それを分かっていたけどまだ上手にできていなくて、言葉が足らずだったりしてました。

仕切る人間がいないとうまく回せないから、いちをあなたに任せていくけど、なにがあってもすべては私の責任だから、売上と釣り銭、お店の開け閉めだけしてくれてたらそれでいいからね〜と言って旅立ったのですが。

旅の途中、道のそこらにアルマジロが逆さまに死んでいる電波の悪い草原からお店に電話をしたら、お店を任せた子が泣いているっ!!!

聞けば、他の女の子が動いてくれないと。ママがいるときとみな違う!!と。

ようは人一倍責任感が強く真面目な彼女、私がいない初日から緊張して気が張りすぎてたようで。ママがいない時と同じようにしたいとの思いが強く、でもうまく回せずで自分だけで負担を背負っているように感じてるようでした。

なのですぐさま他のホステスに電話を変わってもらい、荷がおもすぎてカラ回っちゃってるみたいだから、その子が指示をだしやすいように、何度も声をかけてあげて!!と頼みました。

泣いている彼女には、すべてあなたの誤解、そのように決めつけて見てしまったことにより、すべてがマイナスに見えてしまっただけだと説明し、とりあえず落ち着かせ。電波も途切れ途切れで、すぐにまた電話をするから〜!と言って電話を切りましたが。いや〜反省しましたね。

彼女の性格を知ってたにも関わらず、彼女が普段以上に仕事がしやすいように段取れてなかった。私の声を聞いた瞬間、ヒクヒク泣き始めちゃったくらいだから、よっぽどいっぱいいっぱいだったんだろう。

数日後また電話したら、今度は明るい声で出て、ママの言う通り、すべて誤解だった!! 今は大丈夫です、とのこと。そしてお客様に、ママは今、どのあたり?と聞かれても答えられずの自分に気が付き、余裕がなかったです、ごめんなさいと謝ってました。

帰国後、その彼女が私のいない間の売上と釣り銭、買い物レシートなど、一円単位で説明しだしてくれて。『あーもう細かいことは大丈夫だよー』と言っても『ちゃんと聞いてください、きちんと説明したいんですっ!!』と言われれしまい。そりゃそ〜ですね、任せられた責任もあるしね。でもあの時の私はタイムマシーンで違う世界から帰ってきたような気分で『ルート66どうだった??』と聞かれても、一言二言で答えられるものではなくて。なんて答えていいかわからず困惑したのを覚えています。

次回は、アメリカ横断で感じたことを書きたいと思います。