ネット上で、ちょっとした話題になった。

テレビ番組「バイキング」内での表題の2人の発言だ。参考記事

梅沢冨美男は、マネージャーと二人でファーストフード店に入りハンバーガーを40個注文したそうだ。
そこで店員が、持ち帰るか店内で食事をするか確認したところ、

そこで激怒したらしい。

なぜか?

要は「2人で40個も食えるわけないんだから持ち帰るに決まっている。だからそんなことを聞くな。」ということらしい。

坂上忍は坂上忍で、ファミレスの注文確認が許せないらしい。あの復唱する奴。

そして、あの時間は無駄らしい。

彼の持論では、
「マニュアルって接客のあくまでも入り口」
「そっから自分がどう膨らませていくかっていうのが、先輩も含めて育てる作業。自分も自立で育つ作業」


ということらしい。

だが、俺には、彼らの怒りは、ただ自分の狭量、無分別、無思慮を他人が悪いせいにしてごまかしているようにしか見えない。

梅沢冨美男は「見ればわかる」と言わんばかりだが、俺がそこにいても「持って帰るに決まっている」とはわからなかっただろう。

だった、そこで40個食べるのかもしれないではないか。
「2人でそんなに食うわけない!」とでも言いたいのだろうが、そこに無思慮がある。

あとから何人かやってくるかもしれないではないか

例えば、6人やってくるだけで、1人当たりの担当分は5個で済む。多いとはいえ、非現実的な数ではない。

っていうと、彼らは何と言ってくるだろうか?

「同じものばかり食べるわけがない」

とか?

だが、何を言って来ようと大したことではない。

「そんなの分からない」の一言で終わりだ。

世の中にはいろいろな人がいる。
俺は、以前のバイト先で、

「赤ワインと白ワインってどうやって見分ければいいですか?」

と聞かれたことがあるし(しかも、ワインの棚の前で)

「いらっしゃいませ!」と笑顔であいさつした店員に対し「何をわらってんだお前は―!」とぶち切れしたおっさんもいた。

世の中は、どんな人間がいるかわからない。

だからこそ、「状況判断しろ!」と言われても、出てくる結果は

「目の前の人間がどんな人で、どんな意図で、どんな注文をするかわからない」というだけのことだ。

そこが、梅沢冨美男の無思慮である。

たぶん、自分の常識が全てで、「どんな人間が来るか?」と思っている店員の気持ちなど分からないのだろう。

俺が、この店員だったら、これをきっかけにこう思うだろう。

「ああ、たったこれだけのことで怒る人がいるのか…。やっぱり他人のことはわからないな。どんな接客しても、結局誰かしらに怒られるなら、せめて上司からは怒られないように、マニュアル通りの接客しよう」

(ファミレスの注文については、あれは、俺は「間違えられるよりまし」だと思っているので気にならない。

大体、なんでまた、「あえて確認せずに間違えずに注文を持ってくる」などというチャレンジに手を出してほしがるのだろう?

そんな無用なチャレンジよりも、きちんと確認して間違えずに持ってきてもらったほうがいいと思うのだが…。)

確信というものは、知識のあるところよりも、知識のないところから生まれることが多い。―チャールズ・ダーウィン

最近知って、気に入った言葉だ。

ついでに、俺から付け加えよう。

「常識って状況判断のあくまでも入り口。そっから自分がどう膨らませていくかっていうのが、先輩も含めて育てる作業。自分も自立で育つ作業」

あまり、常識常識と叫び、「今この状況がどうなのか?」を無視するのはやめよう。

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