そして、ここからが、俺が子供のしつけに暴力を認めない理由になるのだが、この

「反撃が来ないとわかっているからこそ殴る」と言う行為は、卑怯なのだ。

わざと無抵抗な人間を選んで殴る、と言うこの心性ははっきり言って好きになれない。

もしこう言われて反発する人は、今日から

相手がどんな人間かに関係なく

「相手が悪いことをして」

「相手が言うことを聞かず」

「相手のためになる」のであれば


だれかれ構わず殴って見せてくれ。

それができる人は、その人だけは卑怯でないと認めよう。

もう一つ理由がある。

「子供を殴る」これは、親の甘えでもある。

卑怯なのは

「反撃がないからとわかっている」であったが、

甘えであるのは

「許されるとわかっている」

と言う理由である。

そして、許されるとわかっている理由は、反撃がないとわかっているのと同じ理由であるが、一つ追加されることがある。

それは、

世間もそれを容認している

と言うことだ。

基本的には、子供を殴ることに関して肯定的なのが今の社会らしい。

実際「親が子供を殴った」そんなとき、まず真っ先に子供の落ち度を考えるのがほとんどらしい。
児童虐待のニュースがこれほど流れていることを考えればなぜそんな発想になるのか不思議だ。

そんなわけで、子供を殴ったところでそれほどとがめられないのが世の中である以上、犯罪者のように言われることはないから安心して殴れる。

まさに、甘えとしか言いようがない。

俺の知っている範囲では、甘えとは悪徳のはずで好きな人間はいないはずだ。だったら許されることではないのではないか?

(続く)

下のバナーを1クリックお願いします。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村