少し脱線したので親の話に戻ろう。

彼らは、低い評価を下しながら、また同時に高い評価も下す。
このように矛盾する2つのメッセージを出すことをダブルバインドというらしい。

これをすると他人に対して支配的になれるらしいが、まさに俺の親がやってきたことだなー、としみじみ思う。

そのせいで、俺自身がどうなったかと言えば、自分自身がどう思われているか、何を期待されているか、何を望まれているかも全く分からなかった。

俺から見れば極めて気まぐれに、高評価と低評価が入り乱れ、そして、彼らは一度もそれを撤回も訂正もしなかった。

だから、俺は、親から馬鹿と思われているのか賢いと思われているのか全く分からない。信頼されているのかされていないのかも全く分からない。
(まあ、どちらかと言えばバカと思われているだろうし、信頼されてもいないだろうと思っている。
特に、以前もブログで書いたと思うが、俺の母親は、俺の失敗(どんな些細なもの、あるいは、努力の過程としてのものであっても)を許さないタイプなうえ、いわゆる「敗北者」、つまり世間でいうところの「売れなくなった人」に対して否定的な態度をとる。あったこともないのに人格さえ否定しだすタイプだ。
そのことを考えると、今の俺を見て好意的な評価を下すはずもない)


それに加えて、彼らは以前も言ったように言葉の裏を読み、また裏に異なる意味を込めて話す人間であるから、相手の言葉は、真に受ければ叱られ、裏を読めばまた叱られ、こちらの何でもない言葉のありもしない裏を読まれ、また裏に何か込めたとしても理解されなかった。

結果、俺は自分がどういう人間なのか、まったくつかみようがなかったし、彼らが何を考えているのかも全く分からなかった。

得体のしれない鵺(ぬえ)の胃袋の中に放り込まれたようなものだ。そこで、自分の正体を焼かれ続けてきた。

それもそのはず。

「バカ」と言われたかと思えば「賢い」と言われ「期待している」というようなことを言ったかと思えば「心配していた」とか言ったりする。「それじゃだめだ」と言いながら人のやることなすことに口を出してきたかと思えば「信じてる」などと言ったりする。「あなたの味方よ」と言ったかと思えば、「あなたのその意見はテレビで言ってることと違う。だからおかしい」などと平然と語る。(俺の母親は、年寄りにありがちなテレビ信者)

今後も話していくことになるだろうが、

俺の親の発言は「矛盾のるつぼ」と言っていい。

そしてそれは、俺の親だけに限ったことではないと思う。

2015/12/24追記 ダブルバインドについてもう少しわかりやすく解説したツイートを見つけたのでリンクを貼る。こちら

(続く)
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