青春の一枚 | ほぼうさのブログ

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なにかの機会に高校時代は「エンジェルズ・クライ」というオリジナルのメタルバンドをやっていたということを書いた気がするが、はじめてコピーバンドを組んでスタジオで音を出したのはもっともっと前のことであり、中学の卒業間近まで遡る。

バンドのリーダーをやっている今では想像もつかないことだが、当時はまったくバンドをやる気がなくて、誘われてやった。初めてやったのはグレイの「春を愛する人」という曲だった。8ビートを延々とたたいていると何をやってるかさっぱりわからなくなって、曲が終わっても叩き続ける始末だった。グレイが好きだったのはギタリストの友人で、いま思えばあれはベースが不在だった気がする。ボーカルは高い声が出なくて1オクターブ下でグレイを歌ったが、ギタリストの彼はとにかくグレイが弾ければ大満足だったらしくて、一大事にもかかわらずそういう些細なことは気にしてないよという様子だった。「BELOVED」という曲もやったが、ABメロは元キーで、サビになったら案の定オクターブ下げて歌っていた。あれはいったい何だったんだろう。

ちょうどこのころにグレイは青色のベストアルバム「REVIEW」を発売することになるのだが、上記のような理由から、自分にとってはその前に出たオリジナルアルバム「BELOVED」こそが最良のアルバムであり、青春の一枚である。

結局、その後はバンマスであったギタリストが音楽からバイクにハマるというお決まりの田舎ヤンキーコースに流れ、バンドは解散した。別にさみしくも何ともなかった。

しばらくはまじめに過ごしていたが、中学時代の親友3人組とやっぱりまたバンドをすることになった。3人は中学までひたすら釣りをしていたが、そのうち一人が高校で、クラスメイトたちがバンドを組んでイキってる姿を見たらたまらなくうらやましくなった、という感じだったらしい。3人はベース、ボーカル、ドラムになった。初めて入ったギタリストはグレイの「Soul Love」のイントロのあのアルペジオをBメロになってもサビになっても永遠に弾き続けたのでクビになった。次のギタリストは一台1万もするBOSSのオーバードライブを足で踏むなんてとんでもない!と思ったそうで、げんこつでスイッチを入れていたからサビの頭で無音になった。

ルナシーのコピーなんかを主にやっていたが、さすがに自分もこのころになるとドラムが少しうまくなって、こんなレベルの低いこといつまでもやってられんよ…となっていた。こうして通っていた高校の軽音楽部の扉をたたき、ヘヴィメタルへの道を歩むのである…が、紙面の都合もあるので、このくらいにしておこう。