皆さん、地震は大丈夫ですか?
私は、まだ学校にいました。
教室は3階建ての3階。
うすっぺったらい建物だから、ゆれが凄い。
いつガラスが割れてもおかしくないくらい窓ガラスがしなってました。
先生が来て机の下にー!って言われたけど、三十路にもなって机の下はきついっす(笑)
3.11の日、恐怖体験しているクラスメイトが数人泣き出して、なぐさめてたりしてたけど、頭の中は熱でダウンしているアオさんのことでいっぱいでした。
校内放送で、震度と、ラジオが流れ、『津波がきます!沿岸部から離れてください!』と。。。
宮城方面に帰る学生もいるし、3.11の時は主要国道も津波に浸かっているのでみんな下手に学校を出るわけにはいかなくなってしまった。。。
私は一刻も早くアオさんのところに行かなきゃ―って思ってました。
我が家に帰るルートは遠回りでも山道があるので出発。
帰宅道。
こんな日に限って、ガソリンは半分に減っていたので、学校から一番近くのスタンドに寄ってガソリン入れて出発。何年ぶりにセルフじゃないところでガソリンを入れたことか。。。
ラジオとカーナビでNHKをつけ、両方から情報をとり、家路につく。
沿岸部からの避難者が続々と曲がってくる。
国道はみんな同じことを考えて避けていて、細い町中の道が混みはじめる。
ただでさえ、帰宅ラッシュの時間と重なっているので混むだろうと思い、もっと山の道を選びました。
我が家は国道より、海側。
でも高台。
国道を横断して家にのぼれば心配はないケド。。。
夕方、ばぁばは元々、単身赴任先から帰ってくるじいじを迎えに行く予定でした。
熱があるアオさんを連れってって欲しくないから、早く帰ってバトンタッチ出来れば・・・なんて朝話していたので、出かけていたらどうしようと思ってドキドキでした。
ケータイは案の定制限かけられて連絡手段が途絶えた。
でも、papaとはラインでやり取りが出来て無事を伝えた。
6時ぐらいに家に到着。
ひいじいじ、ばぁば、アオさん、ちゃんと居ました☆
なんとアオさんは地震前からお昼寝タイムだったらしく、ピクリとも起きない(笑)
防災無線が鳴り響いて外は避難してくださーいってウーウ-なっている。
3・11後に配給された屋内無線(我が家の区は昔からあった)からもサイレンが鳴りまくってテレビが聞こえない。
そんな中こたつでアオさんは爆睡www。
泣いているんじゃないかと思った私。
さすがっすアオさんwww。
いえ電は通じるので、実家に電話。無事が確認できた。
残るはお義父さん。
出張先からの帰宅なので、どうにもこうにもならない。
迎えに行くにも行けない状態。
メールもケータイもつながらない状況で、お義父さんから『歩いて帰ります。』とのメールが1時間後にばぁばのケータイに入り・・・
慌てて私が迎えに行きました。
お義父さんは半分以上歩いていました。
2時間歩いて帰ってきたお義父さんと合流出来て無事家族全員安否確認できました。
怖かった。
またあの日のようになるんじゃないかと思った。
3・11の日はアオさんもpapaも一緒にいた。
今回は、バラバラにいたから余計に不安だった。
家族では、震災のときはこうしようって話してあったのでちゃんと実行出来てました。
我が家は、あの地震でなんともなかった立派な場所なので、なにかあったら家集合ってことにしてあります。
家が避難指示がでたらここの避難所で集合とか、アオさんの保育園のお迎えはばぁばがすぐ行く。とか。
地震や津波の被害がなくても、ライフラインが障害されたり、交通渋滞になったりということがないようにしていかなくてはならないですね。
地震の被害も津波もなにもなくてよかったぁ。