ダビデは、また大きな間違いを犯す。人口調査だ。
ヨアブが、「なぜこのようなことを望まれるのですか」と、疑問を呈するが、結局行わせる。
部下は、全土を行き巡り、9ヶ月と20日間かけ調査し、数を報告する。
ダビデは、民を数えて後、「良心の咎めをやっと感じる。」と聖書に書いてある。そのつけは、とても大きなものになる。
私は、二つの教訓を得る。
一つは、目の前の苦難、試練と戦っているときは、それに一生懸命にならざるをえない。つまり、余計なことを考えている余裕はない。
しかし、戦いも終わり、余裕が生まれてくると、自分のことを考え出す。「自分は、がんばったな。多くを成し遂げた。自分はえらい。私は、英雄だ・・・」などと思う。そして、自分のプライドを満足させるために、自分の王国の人数を知りたくなる。
つまり、大変なときは、「神よ。神よ。あなたは私のとりで、いわお、救い主・・・」と、神を中心においているが、ゆとりが出てくると「わたし、自分、・・・」と自分が中心にすり替わる。
このように、サターンは、緩みの隙に滑り込んでくる。あるいは、生来の自分自身が、自分の位置を回復しようとする。本当に油断もすきもない。
これは、私たちにもまったく当てはまることで、本当に注意が必要だ。
二つ目の教訓である。
それは、トップが、間違った判断をした場合、部下が大変な目にあうというだ。それだけ、トップの責任は大きい。
無駄な作業に要する時間や経費の無駄遣い。本来やらなければならない事が停滞する。
私も責任者として、肝に銘じなければならないことだ。
もしも、神の御心によらない、私のエゴによる事業方針で進んだ場合、部下や関係者が大迷惑するのである。それだけ、トップの責任は重い。
ダビデの場合、彼の失態により、疫病で民7万人が死んだとある。
とくに国のリーダーの責任は重大だ。政治家には望みたい。少なくとも、自分のエゴやプライドための国作りにならないように。自分を脇において、民の為の国作りに励まれるよう、神から与えられた良心に基づく運営がなされるよう、期待する。
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