聖書を読み始めたころ、先住していたカナン人が押しのけられ、イスラエルの民が、入り込むことに違和感を感じた。人間的に考えると、先住民の既得権が奪われたわけで、カナン人がかわいそうと思ったわけである。

しかし、聖書を読み進むうちに、まず、すべてのもの、つまり土地も神のもので、カナン人がそこにふさわしい民ではなく、神が排除しようとしたと知る。

そして、申命記に、こう書かれている。

9:4 あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出されたとき、あなたは心の中で、「私が正しいから、主が私にこの地を得させてくださったのだ。」と言ってはならない。これらの国々が悪いために、主はあなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。

9:5 あなたが彼らの地を所有することのできるのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。それは、これらの国々が悪いために、あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。また、主があなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブになさった誓いを果たすためである。

 

つまり、神は、国々が悪いために追い出すということだ。

この事は、私達の心についても、同じことが言えるのだろう。

私達には、従来、罪ある心根、高慢な心、自己中心、差別や偏見に満ちた心が住んでいた。

しかも、自己中心に考え、自分だけの幸せを考えて何が悪い・・・等の心根が、心を占有している。

しかも、かたくなになればなるほど、自分が悪いとは考えなくなる。

しかし、神の視点からは、それはふさわしくない。取り除かなくてはならない。そして、神は、イエス・キリストの尊き贖いにより、それを取り除く完全な手法を、講じられたのだろう。

 

私達は、クリスチャンとして、イエスを信じる信仰によって生まれ変わった。

聖霊様が、それを証してくださる。原罪の力よりも、御霊の力が圧倒的に上回っている。

そうはいっても、アダムの子でもある。

私達のうちには、追い出されるべき心も、まだ、残っているのだろう。

心を正しく育てていかなければならないのだろう。

注意して、不要な枝、さらには幹まで切り落としていかなければならないだろう。

 

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