21歳の時、つまり今から44年前に、神からのサインがあった。
それは、私が大学3年生の冬のことであった。
私は、競技スキー部に所属し、大切な大会に臨んでいるときのことであった。
種目は、大回転競技である。
大学3年ということは、競技生活のピークを迎えており、集大成の時期である。
そしてスタート。
4~5関門くぐり抜け、右ターンにかかった時、思いがけないことが起こった。
何と、左のスキーがはずれるではないか。
競技スキーの場合、かたいアイスバーンの上を滑る為、ビンディングは、相当きつめにしているため、はずれることは考えにくい。しかし、それが、起きてしまった。
やむなく、転倒。
そして、コースを外れ、がっくりし、しばし立ち尽くす。
その時、二つのとても重要なことが起こった。
一つは、幻を見たことだ。
それは、片足のない人であった。今でも、鮮明に覚えている。
私は、身の回りに、そのような方は、全くいなかったので、不可解そのものだった。
また、もう一つは、その時、その瞬間から、「小さな哲学者」になった。
哲学とは、哲学してみようとして始まるのではなく、「哲学は、驚きとともに始まる」ということが、初めて分かった。驚きにより、スイッチが入る。少なくとも、私の場合はそうだった。
私は考える人間になった。
それから、「自分とは…、人生とは…、人間とは…」に対する探究が始まる。
それが、私のライフワークになる。
これが、神による私に対するサインであり、その時、その意味については、全く想像できなかった。数十年たって、しかもクリスチャンになって、しばらくたってから、その意味が鮮明にわかり、私に対する神のご計画であることを知る。
時にかなって、神はそれを啓示なさる。
神は、私達一人一人の人生に、ご計画をお持ちになっていて、そのサインを送られている。
ヨブ記23:13~14
13 しかし、みこころは一つである。だれがそれを翻すことができようか。神はこころの欲するところを行なわれる。
14 神は、私について定めたことを、成し遂げられるからだ。このような多くの定めが神のうちにある。
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