ようやくエーゲ海/アドリア海クルーズの写真の整理が一段落した。
基本バックパッカーであった自分にとっては、初めての客船クルーズという贅沢な旅。
楽しい、美しい、満たされるといった感情はもちろんのこと、他にも多くの学びがそこにはあった。

 

(1)欧米人(特に今回は欧州人)の余暇の過ごし方

 

"クルーズの旅"と聞くと、上流階級が好んで行う旅のスタイルと思いがちである。
たしかに、すでにリタイアを迎えたお金持ちの老夫婦も多く乗船していたが
どこにでもいそうな若いカップルや子連れの乗客も多くいた。
欧米人にとっては、長期で余暇を取得してクルーズで旅をする、というのはかなり一般的なようだ。

 

船内では、そこかしこで生演奏の音楽が流れていて、それに合わせて老若男女リズムを刻む。
ふらっと立ち寄って、軽く一杯飲みながら立ち話出来る社交場としてのカフェバースペース。
ディナーでは毎晩ドレスコード(※)が指定されていて、自分だけでなく皆で作り上げるファッション空間
ミュージカルやオペラ、マジックショーなど、本格的なステージが催される船内シアター。
そして、毎晩日付が変わるまで盛り上がるクラブのような、パーティのようなイベント。

 

(※)カジュアル、フォーマルだけでなく、ホワイト、イタリアカラーなどもあり

 

SophisticatedとかEntertainmentという言葉ピッタリだろうか
皆が歌えて、皆が踊れて、皆で同じ空間を楽しめる。
ニューヨーク生活のときに感じた誰か主役がオーティエンスを楽しませる、というよりは
一人一人が好きに自分たちが思うままに楽しむ—そんな価値観を感じ取ることが出来た。

 

『人生を楽しむ力』とでもいえばいいか、そこには多くの気付きがあった。
そして間違いなく「スポーツ」もその中の一つの大きな要素である。
さらにいえば、ヨーロッパであればサッカーは唯一無二の存在。

 

歌ったり、踊ったりするのはそんなに得意じゃないけど
サッカーが世界共通語というのは、強がりでも誇張でもなく、泰然とそこにある事実。
ただ、もう少し社交ダンスも含め、自分が踊れたらもっと楽しめただろうな、とは思う。

 

(2)英語が第一言語ではない世界

 

海外旅行というと、英語が出来れば言語的にはそれで事足りる、と思っていた。
ところが、船内では英語は一番手どころか一気にマイナー言語に。
イタリア語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、その次にようやく英語くらいの序列。

 

船内アナウンスでも5ヶ国語流れたりするのだけれども、英語のアナウンスは一番後回し。
HelloやHi, Thank youを使う前に、HolaやCiao, Grazieが口を突く。
寄港地での現地ツアーでも、英語でのツアーはほとんど開催されず
あってもフランス語やスペイン語など、別言語と共同開催のものばかり。

 

英語が世界の主要言語であることに疑いの余地はないのだけれども
こんなにもEnglish Speakerの立場が弱い海外での経験は初めてであり、また驚きでもあった。
まだまだ英語すら自分はパーフェクトではないけれど
ヨーロッパの人と繋がるためにも、より深いレベルで理解し合うためにも
英語+αの習得は今後の人生において必須の教養であることを痛感した。

 

(3)元気な老人、元気な障がい者

 

ここ数年、ブラインドサッカーやアンプティサッカーに興味を持ち始め
身体に何らかの障がいを持った人たちの接点が徐々に広がってきているが
日本においては、まだまだ障がい者が健常者に溶け込んで生活しているとは言い難い。
年輩者に関しても、若者に混じって何かを一緒にするというよりも
年輩者だけで集まってひっそりと余生を過ごす人が多いのが現状だと思う。

 

そういう意味では、欧米人の老人や障がい者は本当に元気である。
音楽に合わせて踊るときも、若者に負けじと我こそは、と前に出るお爺ちゃんお婆ちゃんがいたり
車椅子であろうと何だろうと、皆と一緒に行動して観光も楽しみたいというバイタリティ。
若者や健常者側も彼らに対して尊敬の念こそ投げかけはするものの
特異な念は何一つなく、ただただそこにある多様性を受け入れる、といった様相であった。

 

2020年には東京オリンピック、パラリンピックが開催されるけれども
そこに向けて何か自分の立場で行動、発信し
日本人の価値観を少しでもいい方向に持っていけないかな、と思っている。

 

以上3点、今回のクルーズの旅を通じて得られた主な教訓というか、経験値というか
一言で言うと非常に「実のある」旅でございました。

 

次のクルーズは中米カリブ海か、北欧バルト海か—今から楽しみでなりません。