震災から一年経ちましたね・・・

昨日は朝からずっと震災関連のテレビを見ていました。

私もブログに記録として残しておきたいと思います。

あの震災の衝撃的な映像を見ると、今でも私の心の中に

いつまでも強烈な記憶が蘇えり、痛みを生じさせます。





そんな中で今日の記事は昨日見たテレビで、感動したことを

書いてみたいと思います。

アメリカ軍の海兵隊員たちの知られざる秘話・・・

3.11の地震は日本の三沢米軍基地からの一報で

それは「友達作戦」と呼ばれた支援から始まりました。






アメリカ軍は日本政府の直接の命令が下される前に

すぐ行動を起こしました。

彼らの使命は、ヘリコプターしか行けない孤立した

救援場所でした。

すぐに水や食料、他に緊急支援で多くの人たちの支援の元

毛布やセーターなどの災害用の救援物資を用意して

被災地に出発しました。






その日本の被災地を目撃した時には、想像を絶する被害の

大きさに全員が驚愕したそうです。

この時、着いてから原発の事を知り、海兵隊員に伝えましたが、

誰一人帰りたいという者はいませんでした。

隊員たちは、それどころか一人でも多くの日本人を救いたいと

全員一致し、そのように言いました。






一方、大船渡市も津波で市街地が大きな濁流とともに

人や家や車が流されて大変な被害を被りました。

そのとき、着の身着のままで被災地の高台の避難場所に

避難していた住民・・・身動きが取れずに孤立していたその

赤崎公民館に突然、アメリカ軍のヘリで輸送物資が

届けられました。






この2日前、へりでしか救援できないと思った被災者たちは、

空から見えるように大きな+の字のしるしを描いて

ここをヘリが泊まるように救援の援助を待っていたそうです。

震災から5日後、寒さも限界に達し、食料は底をつき、水はもう、

一人一本も行き渡らなかった状態だったそうです。






米軍機のヘリの到着に被災した人たちは、始めは

そのことに理解できなかったようです。

それから、日本人が好きなカップめんを含む、大量の食料や

水、薬などが渡されました。

そんな中でひときわ目立ったのは、若い美人パイロットでした。

その女性は、子供たちを探していました。






それは支援物資として預かった中に、子供たちへのぬいぐるみ

のプレゼントがありました。

そして、それら子供たちを抱きしめプレゼントを渡すと

子供たちの喜んでいる嬉しい顔を見て笑顔で去って行き

ました。多くの人たちは、この米軍の差し伸べた思わぬ救援に

ヘリから彼らが去る時に、全員がいつまでも涙を流し手を振って

感謝を示していました。






岩手県気仙沼大島でもこんな救援がありました。

ここは震災の当日、島の両側からの大津波で甚大な被害を

受けていました。

3000人が孤立し飲み水、食料が底をつく状態でした。

加えて重油の火災などが生じ、震災から9日経っても

手が付けられず、ほとんど救援がない状態が続いていました。






その間飲み水も足りなくて、学校のプールの水を浄水して

飲んで命を繋いでいました。






そして震災後20日経って、ようやく日本人の救援ではなく

アメリカの海兵隊員がヘリで救援にやってきました。

その大島全体はすべてが、膨大な瓦礫の山が積み上げられ

救援できない状態で孤立していました。

救援するには、アメリカ軍の救援しか、もはやありませんでした。






唯一の小さな漁港に、秘密兵器の「小型上陸艇」で海兵隊員

177人は上陸しました。

それから被災者の所へ大きなリュックの中に救援物資と寝袋を

背負って一人一人は、徒歩で避難している人たちのところへ

向かいました。





そして海兵隊がまず最初に行ったのは、亡くなった方たちの

黙とうでした。その様子を被災していた島民はみな見ていました。

そして、それを見て感動して涙を流す人もいました。

それから海兵隊員は、壊滅した島を全力で一人一人は

この大変な作業をしました。






そんな中で一人の少年の行動が目に入りました。

その少年は、両親が鮮魚店を営んでいた店を津波で流されて
いつもその店が遊び場で大好きだったために

その気持ちを紛らすために、港の道端に瓦礫を集めて

片づけていました。

毎日、無表情で無言のまま、それを行っていました。




その前に少年はこんな作文を残していました




「僕の家がなくなった。

それだけじゃない

僕のお父さんがずっとずっと

守り続けてきた店がなくなりました。

僕は泣きました。

お母さんに何度も励まされたけど

泣き止みませんでした。

泣いて泣いて泣きつくしたら

泣きやみました。

こんな気持ちは初めてです。」





そのことを知った海兵隊員は、みんなで見ていて胸がしめ

つれられる思いだったそうです。

そんな息子のことを、親は自分たちに何ができるか

心配して見ていました。

息子にそのことを聞いてみると





「みんなが道路を渡りやすくするための仕事をしていた・・・

それで橋を作っていた」





明るく作業をする海兵隊員を見て一緒に瓦礫の手伝いを

していたそうです。

そして少年と海兵隊の作る橋・・・その小さな橋を母親は

「明日にかける橋」と名づけたそうです。

その小さな橋もいつのまにか時とともになくなったそうです。





少年は海兵隊員たちから愛され励まされていたことを知り

その顔には次第に笑顔が戻っていました。

その少年は母親からその時に欲しい物を訪ねると

海兵隊員が着ていた「迷彩服が欲しい」ということでした。

少年はその迷彩服を母親から買ってもらい、それを着て

笑顔を取り戻していました。





4月6日の引き上げる日 島中の島民が全員港に

駆け付けました。

海兵隊員たちは、わずか6日であの膨大な瓦礫の山を

片づけてくれました。

多くの島民は、涙を流し手を振って感謝を表していました。





私たちは、大震災から多くの事を学びました。

その中の目立たない救援活動だったかもしれませんが、

このような大災害を経験したとき、

国境や人種や宗教等の壁はないということ・・・

人はいつ自分たちにも降りかかるかもしれない大惨事を

他人事とはとらえずに、共に一致して助け励ましあうこと・・・

それが大切であることが分かりました。





今まで長い間歩み、教えられていた宗教・・・

そこには大きな違いが見受けられました。

自分たちの信仰している者たちしか、仲間意識がない人たち

例え一番乗りで現地に駆け付けたところで

その仲間たちにしか手を差し伸べない、その組織の考え方





パウロは「時に恵まれている限り、すべての人

ことに信仰に結ばれている人たちに対して

良いことを行おうではありませんか」ガラテア6:10





よくこの聖句を引合いに出しますが、ここでは別にJWだけ

とは述べていません

「すべての人」とその前に述べていますので、時と場合に

よっては、それらすべての人たちも含まれるのではない

でしょうか?大災害が発生しているときには、適用の仕方は

臨機応変な態度が求められ、その適用は広範囲でなくては

ならないと思います。




聖書の中では、隣人を愛するようにと命じられていますが、

それは、近所の人、友人、仲間、親しい人、僚友など

分け隔てなく隣人に対して愛や親切や寛大さを示し助ける

ようにと教えています。

イエスの時代・・・

そのことを理解していない律法に通じたある人が、イエスに





「私の隣人とは、だれでしょうか」ルカ10:29




と質問しました。





イエスはそのことを、サマリア人のたとえを用いて

『真の隣人愛』を教えました。ルカ10:30-37

みなさんもよく知っているたとえ話ですが、

そのたとえ話をちょっと思い出してみましょうね

簡単に要約すると





ある人(見知らぬ人)がエルサレムからエリコを通っていく途中

強盗に襲われ瀕死の重傷を負った・・・

たまたま通りかかった祭司は気づいたのに反対側を

通って行った・・・

もう一人のレビ人もまた同様の行動をした・・・





しかしそこを旅していたあるサマリア人はその人を哀れに思い、

その傷の処置をし自分の乗ってきた畜獣に乗せ、宿に連れて

行き世話をした・・・

翌日には2デナリ(2日分の賃金)を宿の主人に渡し世話をお願いし、

これ以外の出費も引き受けると述べた





イエスは、「これら三人のうちだれが、強盗に襲われた人に対して

隣人になったと思いますか。 

彼は「その人に対して憐み深く行動した者です」・・・イエスは

「行って、あなたも同じようにしてゆきなさい」





更にもう少しこの時代の背景や登場する人物も考えてみましょう

このエルサレムからエリコに向かう道は、頻繁に強盗が出没する

寂しい地域で、非常に危険な道だったため、旅人を保護する

守備隊がやがて駐在しなくてはならない大変危険な場所でした。





そして祭司ですが、エルサレムの神殿で犠牲をささげるよう

割り当てられた人でした。一方レビ人は祭司の補佐をしていました。

サマリア人は、五書に示されている律法を認めていましたが、

ユダヤ人は彼らを隣人とはみなさず、実際に交渉を持とうと

しませんでした。ユダヤ人はサマリア人を甚だしく軽蔑していました。





私たちはこのような背景を知っていた、イエスの言葉から

何を学べるでしょうか?

真の隣人愛とは、一体何なのでしょうか?

JWはいったいその言葉を何度も学んいながら

果たして真の隣人愛を示しているのでしょうか?





パウロの言葉からさらに答えを学ぶことが出来ます。





「・・・仲間の人間を愛する者は律法を全うしているのです

・・・ほかにどんなおきてがあるにしても、その法典は

『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』

に要約されるからです。

愛は自分の隣人に対して悪を行いません』ローマ13:8-10





つまりイエスのたとえやパウロの言葉から、「隣人」とは

たとえ相手が遠くに住んでいる人であっても、親族や仲間の者

ではなくても、他の人に愛や親切を示す人こそ「本当の隣人」

であることを強調し、私たちに教えています。





その点JWの教えは、仲間意識の強い「狭い愛」だと言えます。

自衛隊や消防団の人々、今回のアメリカの海兵隊の方が

より勝った愛、人種、宗教を超えた愛を示していたと思います。

まさしくイエスが教えていた「真の隣人愛」だったのでは

ないでしょうか。。。