2017年4月23日(日)、奈良の旅のつづきです。
今回が最終回となります。
依水園の前園から後園の方へ入ります。
まず見えて来たのがこちらの景色。
奥に見えている建物ですが、
右側が「柳生堂」、左側が「氷心亭」です。
右の方に目をやると・・・。
こんな所に「依水園」の石碑が・・・。
続いて見えて来たのは水舎小屋。
水車小屋の辺りから見た景色。
確かこの水車小屋付近で、
健脚の人と、そうでない人で道が分かれていたと思います。
私は膝が限界を超えていたので、やさしい道を選択。
鯉にエサをあげている二人。
でも、そこにいられると私たちが進めないんだよね~。
6月頃ならカキツバタがこんなふうに咲くようです。
奥に見えてきたのは柳生堂。
剣術の柳生石舟斎や柳生又宗矩で知られる
柳生一族の菩提寺「芳徳寺」で、
明治期に取り壊しの危機にあったお堂を
関藤次郎が買い受け、庭園内に移築したものです。
こちらの写真はお借りしました。
この辺りから後園の代表的な景色になります。
後園は明治期に実業家・関藤次郎が
茶の湯と詩歌の会を愉しむために作った
築山式の池泉回遊式庭園です。
遠くに見える若草山、春日奥山、御蓋山(みかさやま)、
隣接する東大寺南大門までをも借景とし、
池とそれに映る花木、
はるかに広がる空までも取り込んだ贅沢な空間です。
webより紅葉の時期の写真を拝借しました。
右端に写っているのが東大寺南大門の屋根です。
これで依水園の散策は終了、入口に戻ります。
前園に戻って来ました。
あまり興味はありませんでしたが、
折角、入館料を払っているので、
寧楽美術館も最後に見学してきました。
寧楽(ねいらく)美術館は、海運業で財を成した
中村準策・準一・準佑が三代にわたって収集した
1万点以上の美術品のうち、
昭和20年(1945年)の神戸大空襲を免れた
2千数百点を所蔵・展示しています。
所蔵品は、古代中国の青銅器や拓本、古印、古鏡をはじめ、
高麗・朝鮮王朝時代の陶磁器、
日本の茶道具や古瓦など多岐にわたり、
定期的に展示入替を行っています。
(毎年7月中旬~8月初旬)
これで今回の奈良の旅の予定はすべて終了。
一番近い「県庁東」バス停まで歩きました。
こちらの道路の鹿の絵も奈良ならではですね。
ようやく県庁東の交差点に到着したと思ったら、
横断歩道がなく、地下道を歩くことに。
最後の最後にまた膝に試練が・・・。
バスはまもなくやって来て、JR奈良駅まで行きました。
そして、前日試食した「御城之口餅」が気に入ったので、
三条通りを少しだけ歩いて本家菊屋さんに買いに行きました。
また、奈良駅に戻ると、今度は奈良名物の柿の葉寿司も購入。
私は食べないけれど、母へのお土産に買いました。
そして、ABホテルに荷物を取りに行き、
私はいつものように駅前のコンビニからキャリーを託送。
重い物を持って駅などの階段の昇降を避けるためです。
当初の予定では、15:53の快速で京都へ行く予定でしたが、
時間がかなり余ってしまい、
1本早めて15:23の快速に乗ることにしてホームへ。
すると、まもなく15:10発京都行きの普通電車が来るとの案内があり、
時間も余っているし、普通電車でのんびり帰るのもよいかなあと、
たまたま前に立っていらした車掌さんのような男性に
「普通電車だと京都までどれくらいかかりますか?」
と尋ねると、「1時間15分くらいです」と答えて下さいました。
普通電車に乗っても、帰りの特急には余裕で間に合うので、
快速を待たずに、のんびりと電車の旅を楽しむことにしました。
途中、思い出の地名が出てきて懐かしかったです!
黄檗(萬福寺)、木幡(親友が住んでいました)、桃山、稲荷・・・。
この電車は定時の16:24に京都駅に到着。
しばらく、京都駅でゆっくり休んだ後、
17:09発のサンダーバードに乗車し、
金沢には19:13に帰って来ました。
お友達とは到着ホームでお別れし、
私はもう両足がボロボロだったので、
タクシーで20:30すぎには帰宅しました。
今回は膝が悪くて、思うように歩けなかったのが
本当に悔しかったのですが、
とりあえず、修学旅行の思い出の地である
春日大社、東大寺、興福寺に行けたのはよかったです。
また、気候も20℃くらいでちょうどよかったですし、
お天気は最高で、きれいな写真も撮れて嬉しかったです。
奈良は、やはり京都と違った落ち着きがあって大好きなので、
膝を治して、また近いうちに行けたらと思っています。
(おわり)