2017年4月23日(日)、奈良の旅のつづきです。

猿沢池を散策した後は、

興福寺のシンボル的存在である五重塔へ。



なだらかな階段を上って五重塔へ向かいました。



横断歩道を渡って、再び興福寺境内へ。



まず左手に見えて来たのは中門跡。

中は覗かなかったので、どうなっていたのかなあ。

塀に5本の線、やはり格式が高いお寺なんですね。



そして、この向かいに聳え立つのが国宝・五重塔です。



古都奈良を象徴する塔。

塔は仏教の祖・釈迦の舎利(遺骨)をおさめる墓標です。



天平2年(730年)に興福寺の創建者、

藤原不比等(ふひと)の娘・光明皇后が建てました。



初層の東に薬師浄土変、南に釈迦浄土変、

西に阿弥陀浄土変、北に弥勒浄土変を安置し、

各層に水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経(くじょうこうだらにきょう)を

安置していたと伝えられています。

浄土変(じょうどへん)とは、

浄土の仏・菩薩や国土の様を描いたもの(曼荼羅など)。



その後5回の被災・再建を経て、

応永33年(1426年)頃に再建されました。



高さ50.1m、初層は方三間で8.7m、本瓦葺き。

軒の出が深く、奈良時代の特徴を随所に残していますが、

中世的で豪快な手法も大胆に取り入れた力強い塔です。


初層の四方には、創建当初の伝統を受け継ぐ

薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、

弥勒三尊像を安置しています。

内部が公開された時の写真を拝借しました。



五重塔の北にあるのが、

国宝・東金堂(とうこんどう)です。



中金堂(ちゅうこんどう)の東にある金堂で、西向きの建物。

神亀3年(726年)に聖武天皇が

叔母・元正太上天皇の病気全快を願って建てました。



創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ、

薬師如来の浄瑠璃光(じょうるりこう)世界が

この世にあらわされていました。

以来6度の被災、再建を繰り返し、

今の建物は応永22年(1415年)に再建されました。



正面7間(25.6m)、側面4間(14.1m)、

寄棟造り、本瓦葺きの建物で、

前面を吹放し(吹き抜け)とし、

木割(きわり)が太く、奈良時代の雰囲気を伝えます。



堂内には本尊・薬師如来像、

日光・月光菩薩像(以上いずれも重要文化財)、

文殊菩薩像と維摩居士(ゆいまこじ)像、四天王像、

十二神将像(以上いずれも国宝)が安置されています。

写真は拝借しました。



東金堂から見た境内の様子です。



完成間近の中金堂。



これで興福寺の見学は終了。

最後は鹿さんに前日の残りの鹿せんべいを全てあげました。

おとなしく座っていた子にあげていたんだけど、

やはり目敏い子が次から次とやって来ましたね。




(つづく)