今回、突然のことでみなさんに大変ご心配をおかけしました。

私としても、今回の入院生活を記録しておきたいと思い、

詳細な入院過程をここに書いておきたいと思います。

リアルな写真も出てきますので、苦手な方はスルーして下さい。


6月10日(金)、ちょっと残業していつもより少し遅いバスに乗り、

席に座って、いつものようにウォークマンで音楽を聴いていました。


バスに乗ってから10分ほど経った頃、

突然背中に激痛が走り、深呼吸をしても治まらず、

慌ててブラジャーのホックをはずしましたが変わりませんでした。


次第に不安が募り、呼吸も荒くなり、

隣に座っていた女性も異変に気付き、

「下りますか? 運転手に言いますか?」と聞いてこられました。

ある意味、この言葉でバスを途中下車する決心がついたのかも・・・。


これは尋常じゃないと思い、

18:15頃、金沢市の中心繁華街で下車。

目の前のデパートに入り、

入口にいらした女性店員に「救急車を呼んで下さい」と告げて、

床に座り込んでしまいました。


ちょっと気持ち悪くなって、胃液を戻したりも・・・。

店員は上司を呼ぶとともに、ティッシュや水を下さったり、

背中が痛いと言うと、背中をさすって下さったり、

本当にやさしく介抱して下さいました。


しばらくして、チーフらしき年配の女性と男性店員も駆けつけ、

とりあえず担架で店の奥へと運んで下さり、

質問に応じて、ここまでの過程や名前などをお話しました。


どれくらい経ったでしょうか、ようやく・・・という感じで救急隊が到着。

ストレッチャーに移り、救急車の中へ運ばれました。

そして、先ほどと同じようにこれまでの過程と、

私も恐らく心臓だと思ったので、生まれつきの病気、

「マルファン症候群」だということをお話しました。


できることなら、大学病院に運んでほしいと思っていましたが、

救急隊が最初に打診した病院も大学病院だったようで、

すぐに搬送OKが出て、まもなく救急車も発車しました。


大学病院へは、繁華街から車で10分もあれば行けます。

救急車でしたから、もう少し早く着いたかもしれません。

その後の記録では、18:40に搬送と書いてありましたので、

要請してから25分くらいで到着したことになります。

この「時間」も命と大きく関わるので、本当に幸いでした。


処置室に運ばれると、早速血圧測定。

記録によると、最初は190くらいあったようです。

その後は徐々に下がっていましたが、それでも高めでした。


そして、着ていた洋服と下着をハサミで切り裂き、

心電図、酸素吸入器を装着。

それから、レントゲン撮影、CT撮影を行ったと思います。


CT撮影では造影剤を使わなければならず、

本人の意識があるということで、簡単な説明を受けた後、

寝たまま、造影剤使用の同意書にサインしました。


こんな体でCT撮影ができるのか・・・と思いましたが、

両腕を上にあげたり、指示に従って息を止めたりすることは、

意外に簡単にできました。

病院に着いた安心感もあったので、

背中の痛みだけがしんどかった記憶があります。


検査終了後、先生から「急性大動脈解離」という病名と、

「手術は必要ないけれど、1ヶ月の絶対安静が必要」と告げられました。

そのうち、家族も処置室に到着し、少し話を交わしました。


あとで見せてもらった家族への説明書によると、

1枚目は体と大動脈の構造を表した絵が描いてあり、

病状の要因として挙げられたのは

①急性大動脈解離、②マルファン症候群、③高血圧症。


今後の危険性として挙げられていたのは以下のとおり。

①破裂(大出血→死亡)

②臓器血流障害(裂け目が各臓器に行く血管がつまる)

   心臓・脳→裂け目が進むと緊急手術

   肝臓→肝不全

   腸→腸がくさる

   腎臓→腎不全(→透析)

   下肢→腐る

   脊髄→下半身麻痺

③肺炎・心不全


私にはこれら詳しいことは一切知らされておらず、

今、改めて眺めると恐ろしい状態だったのだと思いますね。


そして、病状がわかったところで、

首に局所麻酔をして、首の動脈に管を通し、

そこから高栄養や各種薬剤など5種類くらいの点滴がつながれました。


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左手首の動脈には「Aライン」と呼ばれる針を入れて、

常に動脈から直接血圧が測れる装置が取り付けられました。

写真は1週間後、針が浮いてきたので、

右手に入れ替えた直後の写真ですが・・・。

左手の時はよかったのですが、右手になると、

食事したりするにも、何かと不便でした。


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そこで測定された血圧や心電図、酸素濃度の値が、

24時間モニタリングされていて、

基準値を逸脱するとビックリするような警報が鳴るので、

最初の頃は、血圧も高かったので、警報も鳴りっぱなし。

夜、ほとんど眠れなかったのはこれが理由だったかもしれません。


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反対の手首には、静脈に入れる点滴がつながっていて、

首、両手首、そして尿バルーンと、

体は多数の管とつながれて、まさにベッドに「はりつけ」状態でした。


水分摂取禁止、体位を起こすのも禁止、

腰が痛くなって、ちょっと体位を変えたい時は看護師さんに依頼。

こういう感じで、絶対安静状態が作られました。


そうそう、足にはエコノミー症候群対策でしょうか、

こういうちょっときつめのハイソックスを履かされていました。

先の方に穴が空いているのは、

看護師さんがそこから足の脈を見るためです。


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というわけで、当日は21:00にICUに入院となりました。

広い部屋にベッドが並び、足下の奥にスタッフルームが見えました。

背中の痛みは、少しはましになったものの、

その日は夜中もずっと、痛みに苦しんでいました。


しょっちゅう、看護師さんが様子を見に来て下さって、

その時は脈拍も120くらいと速かったですし、

何かある度、看護師さんが先生に指示を仰いでいたのが聞こえました。


痛み止めの筋肉注射も、痛い割にはあまり効かず、

2日目の夜だったか、口から薬を飲み始めて、

痛み止めの錠剤を飲んだ後から、痛みはほとんどなくなりました。


数日間は、もともと高かった血圧が、

なかなか低くコントロールできず、先生も悩んでいましたが、

徐々に合う薬もわかってきて、血圧も落ち着いてきました。

入院中の目標は、110以下という、私にはかなり高いハードルでした。


入院して5日目の6月14日(火)に、ICUの個室に移り、

口にしていた酸素吸入器が、鼻の穴に入れるものに変わり、

少しだけ身軽になりました。


体位も45℃まで起こしてよい許可が出ましたし、

水分も500mlまで摂取してよいことになりましたが、

大半は大量の薬を飲む時に飲んでしまうことに・・・。


個室になって、テレビも自由に見ることができるようになりました。


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それから、窓から外の景色も眺められましたよ。

随分、気分が変わりました。


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ICUにいる間は、毎日、看護師さんが体を拭いて下さり、

特に尿バルーンをつけていると、菌が入りやすいということで、

恥ずかしいのですけど、おむつを切り開いて、

お湯を使って陰部は入念に洗って下さいました。


また数日おきに髪も洗って下さり、

寝たきりの時は、ベッドに寝たまま、頭の下におむつを広げ、

水分をおむつに吸わせる形で器用に洗って下さいました。

起き上がれるようになると、うつむき状態で洗えるようになりました。


翌6月15日(水)には、ようやく絶食が終わり、

夕方に流動食(重湯と各種ジュース)が出ました。

翌日のお昼からは五分粥、すぐ後に全粥になり、

まもなく普通のごはんもOKになりましたが、

私はお粥が好きなので、退院までずっとお粥にしてもらいました。

但し、塩分は「6g/日」の減塩食です。


入院から1週間後の6月17日(金)の夕方、

2回目のCTを撮ったところ、

肺の下に水が溜まっているのが判明し、

その日の夜、部屋の中で主治医に水を抜いてもらいました。

放っておくと、どんどん肺を圧迫して、息苦しくなったりするそうです。


「胸腔穿刺ドレナージ」というもので、

実施前に主治医からリスクなど説明を受け、

同意書にサインをした後、まずはエコーで場所を確認。


ベッドに座って足を下に下ろし、

テーブルに布団を乗せて、布団の中に顔を埋め、

先生はベッドの上に乗って・・・という体勢で行われました。


背中にまずは局所麻酔をしますが、

何が痛いって、これが一番痛いんですよね。

抜く時は、麻酔が効いているので無痛なんですけど、

あっという間に500ccほどの水が抜けて、

終了後は、何だか息苦しいのとフラフラな感じで横になりました。


何しろ、当時はまだ起き上がる許可が出ていない時だったので、

ベッドにしばらく座ること自体がしんどかったんですよね。

終わったという安堵感とともに、ちょっと涙・・・。

でも、しばらくして落ち着くと、やっぱり体が楽になった気がしました。

針を刺した所も特別痛みはありませんでしたよ。


入院して10日目、6月20日(月)、

ベッドに座って足を下ろして食事することがOKになりました。


翌6月21日(火)には、首の点滴、Aライン、酸素吸入が外れました。

首の点滴とAラインは、ともに動脈に入っていて、

看護師では処置できないらしく、

主治医の一人である女医さんが外して下さったのですけど、

可愛い女医さんですが、やっぱり外科医は外科医。


首にベッタリついていた透明なテープを一気にビリッと剥がし、

うわ~、皮膚も剥がれたんじゃないの~というくらい痛くて、

引き続き、今度は動脈に入っていた針を抜いたり、

チューブにハサミを入れたり・・・。


さすがに入れた時には局所麻酔していただけあって、

けっこう痛かったですよ~。

終わった時は、あまりの衝撃と痛さで涙・・・。

先生は「痛かった?」とか言って笑っていたけど、痛かった!


酸素吸入器は外れたものの、

どうしても酸素濃度が90以下になることが多く、

それから数日間は、夜だけ酸素吸入をしていました。


それから、この日は心臓のエコー検査の予定だったのですが、

夕食が済んでもまだ検査の人が来ず、

そのうち、トイレ(大)がしたくなって・・・。


食事中の方はごめんなさい。

小便の方は尿バルーンがついているので気にしなくてよいのですけど、

大便をしようと思ったら、これはちょっと大変なんです。


何しろ体が起こせないのだから、ベッドの上で寝たまま、

お尻の下にちり取りみたいな形の「差し込み便器」を置き、

そこでしなければいけないんですよ。


最初、何度か試みましたが、あまりに力むと血圧が上がるし、

整腸剤や便秘予防の薬はたくさん飲んでいますが、

長い間運動していないので便も固くなっていて、

なかなか出てこなくてね~。


それで、1週間くらい経った時に、

主治医が「座薬を入れて便を軟らかくしましょう」と言い、

早速試したところ、本当に数時間して便意を催しました。


その後は、2日に1回くらいは出ていたのですが、

実は、ドアを閉めて一人になったことをよいことに、

寝ていては絶対に出ないので、ほぼ便器に座る形で出していました。


話は戻って、大便をし終わった後、

やはり匂いが気になるので、

いつも窓を開けて換気してもらっていたのだけど、ここで事件が・・・。


そう言えば、夜、窓を開けるのは初めてで、

ふと、白い掛け布団の上に小さな虫がいるのを発見し、

気付けばあっちにも、こっちにも・・・これはまずい!


すぐにナースコールをして来てもらうと、

壁、天井など、至るところに「葉虫」みたいなのが大量にいて、

急いで窓は閉めたものの、さあどうしよう・・・ということになり、

ICUには殺虫剤も置いてないし、

ベッドの上もあちこちいっぱいで、これじゃ眠れない!


ということで、考えた末に登場したのが掃除機。

看護士さんが一生懸命、壁や天井の虫を吸い取っていると、

「遅くなりました~」と心エコーの担当女性が登場。


あまりのすごい状況にビックリされていましたが、

この状況ではベッドにも横になれないし、心エコーは無理。

なので、「今、シーツ取り替えますね」と看護師さんが言うと同時に、

心エコーの女性も「その間に掃除機かけてます・・・」と。


なんか、とてもICUの中とは思えない笑える夜でした。

そして、一騒ぎ終わったところで、無事にエコー検査開始となりました。

このように、ICUでは毎日、胸部と腹部のレントゲン撮影をしたり、

たまにあるこういった検査もほとんど部屋でできました。


このトイレ事件があった翌日、6月22日(水)に、

待望のポータブルトイレの使用がOKになり、

ついでに、この日は看護師さんの付き添いで、

入院後、はじめて自分の二本足で立ち上がりました。


翌日には、尿バルーンも外され、本当に身軽になり、

髪もベッドに座ってうつむく形で洗ってもらえました。


そして、入院から2週間経った6月24日(金)のお昼前に、

ようやくICUを出て、一般病棟の個室に移りました。

心電図も遠隔監視でモニターが部屋になかったので、

本当に久しぶりに静かなプライベートルームでゆっくり寝ました。


こちらはキッチン台のようにも見えますがトイレです。

左のカーテンの陰にポータブルトイレがちらっと見えていますよね。


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ポータブルトイレで小便をしたら、

一番奥にあるこちらの機械で尿量を測ります。

ポータブルトイレの小便を、下のコップに入れ替えて、

真ん中右寄りの台にコップを置くと、

自動的に台が動き、コップの中の尿が機械の中に入ります。

そして、上の電光掲示板に名前、尿量、比重が表示されます。


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大便をしたい時は、台の中に収納されている

水洗トイレを引き出して、普通に使うことができます。


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それから数日後、6月28日(火)のお昼過ぎに、

4人部屋へ引っ越すことになり、

まだトイレまでしか移動が許されていなかったので、

トイレに近い、日の当たらない廊下側へ入りました。

と同時に、最後までついていた心電図の装置も外されました。


大部屋になると、決まった時間に検温・血圧測定、

酸素濃度測定、足の脈の確認、血糖値測定(朝晩)がありました。

私は糖尿病ではないのですけど、

ずっと点滴で高栄養を投与していたので、

血中に糖分がどれくらいあるのか測定していたそうですが、

いつも正常値でした。


7月2日(土)には、病棟内のゆっくり散歩の許可が下り、

食事のお膳の返却や朝の体重測定、

ごみ捨てなどが自分でできるようになりました。


7月4日(月)から心臓血管外科のチーム編成が変わり、

突然、主治医が変更になりましたが、

前からお顔を拝見していたやさしい先生だったので、

それほど不安もありませんでした。


7月5日(火)には、卒業試験のような3回目のCT撮影があり、

特に異常もなく、順調に快復していたとのことでした。


翌6日(水)の夜には、退院も決まり、

今後の不安もあったので、先生から病状について、

詳しく説明を受けました。

そこで初めて、腹部に動脈瘤があることも知りました。


7月7日(木)には、ようやくシャワーの許可が下り、

ほぼ1ヶ月ぶりに、自分で髪を洗い、

体をお湯で流してスッキリしました・・・。


あとは、検査スケジュールもなく、

定時の検温などだけだったので、部屋でのんびり過ごしました。

同じ部屋の方とも仲よくなり、

ある時、2時間以上もぶっ続けで喋っていたら、

みんな血圧が高くなっていた・・・ということもありました。


こんな感じで、長かったような、短かったような、

30日間の入院生活を終え、7月9日(土)の午後、

無事に退院することができました。


こちらはベッド脇の棚の上に置いてあったものです。

奥のニャンコのぬいぐるみは、

母や私が入院すると、必ず連れてくるニャンコです。

このぬいぐるみを置いておくと、無事に帰ることができます。


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それから、退院を記念して、

最後のランチだけ写真を撮ってきました。

お粥、金沢名物「すだれ麩」と人参の煮物、茶碗蒸し、

さつまいもの煮物、ヨーグルトでした。


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夜はなかなか眠れないとか、

薬で無理矢理低血圧にしているので、

朝、起きる時にひどい頭痛があってしんどい日が続いたり、

ちょっとしたことで背中の痛みが再発して不安になったり、

まあいろんなことがありましたが、

ICUでは何人かの看護師さんと仲良くなったり、

研修医の先生とも話が合って、よくおしゃべりしていましたし、

大部屋でも部屋の人と仲良くなって、

これはこれで楽しい入院生活でした・・・。