滋賀~姫路の旅のつづきです。

この「仕事」は、いつも翌日に観光が組まれています。

翌2011年6月3日(金)は、朝8時半にホテルを出発して、

3台の車に分乗し、長浜へ向かいました。


まずは位置の確認です。

守山は琵琶湖の南にあり、長浜は湖東のA地点になります。


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私は「Riseville都賀山」の支配人さん自らが運転する

ワゴン車の助手席に座らせていただき、

守山市観光物産協会の副会長だったかも務める支配人さんの

ガイドを聞きながらドライブを楽しみました。


わざわざ私たちのために、遠回りですけど、

琵琶湖沿いにある「湖岸道路」をのんびり走って行きました。

直進すれば琵琶湖大橋ですが、私たちは右折して湖岸道路へ。


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この日もお天気はよかったのですが雲が多くて、

琵琶湖の景色も一面真っ白という感じ。


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ちょっと写真を撮るには残念な景色だったので、

あまり写しませんでした。


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支配人さん曰く、自転車で琵琶湖の周りを一周できるそうで、

もう少し若かったらやってみたいと思いました。

でも、湖畔のすぐそばを走ることもあれば、

琵琶湖から少し離れて田畑の中を走ることも・・・。


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「近江牛」の文字が見えて思わずパチリ!

お隣には牛舎も・・・食べちゃってごめんね。


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楽しくおしゃべりしながらドライブすること約1時間半、

10時すぎに目的地の「豊(ほう)公園」駐車場に到着しました。

琵琶湖や長浜駅からすぐの所です。


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江戸時代前期に廃城となった長浜城。

その城跡に明治42年作られたのが豊公園です。

長浜城主だった豊太閤・豊臣秀吉にちなんで、

「豊公園」と名付けられました。


公園の片隅に、「長浜城本丸跡」がありました。


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公園内には長浜城歴史博物館をはじめ、

音楽が流れる洋風庭園や噴水、児童公園、

プールやテニスコートもあります。


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長浜城歴史博物館を囲むように桜の木が植えられており、

春にはソメイヨシノを中心に約800本の桜が一斉に咲き誇ります。


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「日本さくら名所100選」にも選ばれていて、

長浜城の天守閣(展望台)から見る眺めは、

さながら桜の海のようで壮観なんだとか・・・。


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織田信長が浅井長政(信長の妹・お市の夫)の居城、

小谷城(おだにじょう)を攻めたとき、

横山城を守る木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は大活躍しました。

小谷城が落城する直前、お市と三人の娘を救出したエピソードは有名。


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天正元年(1573)9月、浅井氏が滅亡すると、

藤吉郎は戦功により浅井氏の領地の大部分を与えられ、

羽柴秀吉と名乗り、はじめて城持(しろもち)の大名に出世しました。


翌年、今浜(現在の長浜)が交通の要衝であると考え築城。

天正3年秋頃、お城が完成すると、

地名を今浜から「長浜」に改め、秀吉は小谷城から家族とともに移り、

天正10年(1582)まで住んでいました。


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天正10年(1582)、信長亡きあとの清洲(きよす)会議で、

長浜城は柴田勝家の甥の勝豊(かつとよ)が城主となりましたが、

早くも同年11月、秀吉は勝豊を降伏させて長浜城を取り返し、

賤ヶ岳(しずがたけ)合戦の拠点としました。


その後、長浜城は山内一豊、内藤信成、内藤信正を城主に迎え、

豊臣氏が滅亡すると、長浜城は跡形もなく取り壊され、

石垣など多くの材料が彦根城の建設のために使われました。


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現在の長浜城は、昭和58年(1983)に、

市民の熱意と寄付金などで建設され、歴史博物館となっています。


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というわけで、この長浜城歴史博物館の副参事であり、

前日の研修会でお世話になった森岡さんに、

3階のNHK大河ドラマ特別展「江 ~姫たちの戦国~」の会場を

ご案内いただきながら見学してきました。


先生のお話の中で印象に残っているのは、

ドラマなどでは秀吉も殺生は嫌いな人物と描写されていますが、

当時の武将の中に人殺しを嫌う者はいなかったと・・・。


このことを証明する書状も展示されていて、

秀吉は、天正5年に備前・美作・播磨の国境付近で、

毛利氏への見せしめのために、

女・子供200人以上を子供は串刺しに、女は磔(はりつけ)にした・・・

との記述があり、相当残忍な人だったと推察できます。


最後に、博物館の最上階に登って景色を楽しみました。

やっぱり遠くが霞んでいたのがちょっと残念でした。


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ということで、この今の「長浜城」は、

約30年前に有志の寄付で当時の長浜城を模して造られた

新しいレプリカの城でした~。


引き続き、のんびり歩いて黒壁スクエアに向かいました。

途中、「豊国(ほうこく)神社」の前を通りました。

安土桃山時代、秀吉の没後に、

長浜の町民がその遺徳を偲んで建立したものです。


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大坂夏の陣で豊臣家が滅びると、

徳川幕府は神社を取り壊すよう命じましたが、

町民は、一時、祭神を町年寄の家へ移し、八幡宮の古堂を移築して、

商売の神様である恵比須神を前立に、奥殿に秀吉像をひそかに祀り、

長い江戸時代を過ごしました。

明治31年(1898)の秀吉300回忌に現在の社殿を造営。


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豊国神社の前をまっすぐ進むと、

人気の「ガラス館」などがある黒壁スクエアへ行くことができます。


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こちらは昔ながらのアーケード街かな?


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今は、これから行く「歴史ドラマ50作館」の宣伝垂れ幕がズラリ。


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こちらが「歴史ドラマ50作館」です。


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どの辺にあるかと言いますと・・・。


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大河ドラマ第50作を記念して、

幕末の大老・井伊直弼の生涯を描いた第1作「花の生涯」から

第50作「江~姫たちの戦国~」に至る

大河ドラマ50作の歴史を紹介している会場です。


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ずっと大河ドラマを見てきた年輩の方にとっては、

「なつかしいね~」とか言って楽しめそうですが、

姉さんは、これまで好きなドラマしか見てこなかったので、

ご招待だから入ったけれど、自分からは行かないかなあ・・・。


会場では、こちらのお嬢様たちが出迎えてくれて、

一緒に記念撮影もできますよ。


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姉さんは「大河ドラマ」より、

こっちの巨大な「ジジ」が気に入ってしまいました~。

いつか我が家に連れてくる・・・と誓ったのでした。


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こちらは昔懐かしい感じの北国街道。

琵琶湖の北東岸を北上し、余呉湖の北の柳ヶ瀬、

県境の栃ノ木峠をへて北ノ圧に通じています。


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かつては北陸と京阪神を結ぶ重要な街道で、

多くの商人、旅人、武将らが頻繁に利用し、

長浜はその宿駅として、また湖上交通の要として栄えた町です。


長浜は、数年前に遊びに来たばかりだったので、

特別行きたい所もなく、集合時間まで事務局長と、

「会社へのおみやげ何にしようかなあ~」とぶらぶらしていました。


お昼は、こちらの「せんなり亭近江肉 橙(だいだい)」で、

またまた近江牛をご馳走になりました。


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今回は近江牛のすき焼き!

滋賀特産の「丁字(ちょうじ)麩」や赤蒟蒻も入っていましたよ。


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こちらはたたきと炙りのにぎりですが、

姉さんは苦手なので食べてもらいました~。


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もう、すき焼きと白いごはんで十分美味しかったです。

これで今回の日程はすべて終了し、長浜駅でみなさんとお別れ。

そして、事務局長は14時すぎの「しらさぎ」で金沢へ、

姉さんは14時すぎの新快速に乗って姫路へ向かいました。


(つづく)