2010年5月3日の高岡の旅の続きです。
勝興寺の見学を終えた後、ちょうど12時を過ぎたので、
どこかでお昼を食べようと、勝興寺の事務所の方に尋ねると、
1軒だけ小さな喫茶店があると教えて下さいましたが、
駐車場もなく不便だったので、
とりあえず次の目的地の方角へ車を走らせることに・・・。
ところが、地図を見ながら走っていたにも関わらず、
思った所に行くことができず迷走していると、
偶然、目の前に別の目的地の看板が見えたので、
ごはんは後回しにして、先にそこへ行くことにしました。
それが、こちらの「氣多(けた)神社」です。
空いたお腹を我慢して、頑張って階段を登りました。
鳥居をくぐって、灯篭に囲まれた参道をしばらく歩きます。
さすがに観光客の姿はありません。
参道の左手に何かの石碑がありました。
赤い葉が、まるで紅葉しているようできれいでした。
右手に目をやると馬の銅像が・・・。
胴体に金色の「剣梅鉢」の紋がついています。
ここは加賀藩3代藩主・前田利常の祈願所だったそうです。
そして、ようやく正面に建物が見えてきました。
階段上部左側の大きな杉の木は気多神社の御神木。
階段を登ると、まずは狛犬さんがお出迎え。
こちらが氣多神社の拝殿です。
氣多神社は、718年に僧・行基が創建したと伝えられています。
二上山の東麓の高台に位置し、
南南東1kmに国衙跡とされる古古府があります。
また、東南500mには国分寺跡とされる薬師堂があり、
越中国の中心部に位置していることから、
氣多神社は「越中国一宮」と称し、地名も一ノ宮。
越中(富山)には、一宮と自称する神社が四社あり、
国府の移動や、勢力の変化によって、一宮も変遷したのだそうです。
拝殿の中はこんな感じです。
拝殿の後方にあるのが本殿で、
本殿が国の重要文化財に指定されています。
天文年間(1532~1554年)に上杉謙信の兵火にかかり焼失し、
永禄年間(1558~1569年)頃に再建したのが現存する本殿です。
簡素な境内に、簡素な社殿ですが、なかなか風格があります。
非常にオープンな境内で、華やかさはありませんが、
静かで落ち着いた神社だと思います。
本殿の左手には、御輿堂があります。
さらに左手に進むと、また鳥居が見えてきて、
鳥居の前には「大伴神社」の立て札がありました。
越中国司として、ここ高岡市伏木に赴任した大伴家持を祀っています。
大伴家持の没後1200年にあたる1985年に、
地元の有志による大伴家持卿顕彰会によって創建されました。
大伴家持は遺骨や遺品がないため、生誕の地である奈良、
越中国庁跡、越中国守館跡、最期の地である多賀城、
遺骨が流された隠岐の5ヶ所の土を壺に入れた物をご神体としています。
大伴神社前の参道です。
下から見上げた参道。
参道を下った所には、
大きな「大伴家持峡卿顕彰碑」があります。
大伴家持に感謝し、その気持ちを形にしようと建立されました。
顕彰碑の隣にある三つの石は「越中三賦象型石」で、
越中を代表する「二上山」「布施の水海」「立山」
の景観を表したものだそうです。
当初、ここは予定には入っていなかったのですが、
いろいろと調べるために高岡市のHPを見たところ、
こんな近くにも重要文化財の神社がある~ということで、
もしも時間があれば立ち寄ろうと思っていた神社でした。
迷走の末、たまたまご縁があった神社、
しっかりお参りもしてきましたし、 何か良いことがあればいいなあ。
さて、すっかりお腹も空いてしまったので、
レストランなどがなければコンビニでもいいや・・・と車を走らせたら、
こんなお風呂屋さんがあったので寄ってみました。
こちらは「越乃庭(こしのにわ)」という入浴施設で、
去年私たちも訪れた「雨晴海岸」のすぐそば、
海岸沿いに立ち、天然温泉、岩盤浴が楽しめます。
素泊まり、食事のみも可能ということで、
ここで昼食&休憩をすることにしました。
2階に食堂と休憩できる広間があり、
窓からはきれいな海の景色が見えました。
窓から見えていたのは男島。
ちなみに雨晴海岸の写真でよく見かけるのがこちら。
左に見えている島が女島、右が義経岩。
運がよければ、バックに立山が見えるんです。
この日もお天気はよかったけど、立山は見えませんでしたね。
お昼は、先日もご紹介しましたが「生姜焼丼」にしました。
なかなか味も良く、ちょうどよい量で、
この後、デザートにソフトクリームもいただきました。
というわけで、あまり観光客が訪れない神社かもしれませんが、
静かな森の中でのんびりできたのはよかったですよ。
(つづく)