莫愁湖で昼食込みの1時間のフリータイムとなりました。

私たちはラーメンなどで軽く済ませたかったのですが、

こちらの食堂にはそういう軽食がなく、

結局は、福建省から来られていた3人組のおじさんたちから

料理を少し分けていただこうとお願いしたら、

快諾どころではなく、全部ご馳走して下さいました。

日本人である私にも、みなさん大変親切でした。


さて、「莫愁湖」は、美女莫愁が身を投げたという伝説がある湖で、

湖一帯が公園となっています。

公園の中で有名なのが「勝棋楼」。

明の太祖朱元璋と徐達が将棋をさした所で、

朱元璋が負けて徐達に莫愁湖を与えたことから

「勝棋楼」という名前がついたのだそうです。

中には将棋をさしている2人の蝋人形もありました。


勝棋楼


莫愁湖は夏になると湖面が蓮の花でいっぱいになる

蓮の名所だそうですが、訪れたのは4月。

しかも、この時はかなりの土砂降りで、

莫愁湖を散策していたのは私たちくらいでした。

当然、湖の風景もかすんでよく見えませんでした。


「総統府」は、昔、孫文が臨時政府を置いていた所で、

彼の執務室や会議室などを見ることができました。

今から5年ほど前にきれいな博物館として整備されたようですが、

当時は日本で言うところの県庁である省政府の奥にあり、

やはり国内からの観光客が多く訪れていました。


執務室


執務室  会議室


「梅園新村記念館」は、周恩来率いる共産党が、

南京で蒋介石率いる国民党政府と和平交渉を行うため、

事務所と宿舎に利用した場所です。


中に入ると、まず周恩来の大きな像が迎えてくれました。


周恩来像


2階には年代順にパネル写真が並び、

両党が抗日戦線統一のために会議した経過などが

わかりやすく説明されていました。


順路を辿って行くと、いつの間にか記念館の外に出ていて、

そこには周恩来らが宿舎と事務所に使っていた家がありました。


宿舎


周恩来らが使っていた車などの展示も・・・。


車

宿舎はそんなに大きくないのですが、

中は迷路に入り込んだかのように、小さな部屋がたくさんあり、

そのうち順路は隣の家、通りを挟んだ向かいの家と続きました。

いざという時のため、逃げ道をたくさん作ってあったようです。


それにしても、この辺りは静かな落ち着いた街で、

とても歴史上の重要地点とは思えませんでした。

今はどうかわかりませんが・・・。