。ならば既定の方針どおり,粛々と越後を回収させていただこう。  大局で見ると状況は豊臣 vs. 北条に整理されたにもかかわらず,この二勢力は睨み合い/小競り合いを続けるばかりで,状況は一向に進展しない。北条が平定した信濃で大規模な一揆が起き,その首謀者がたちまち豊臣方に降って,豊臣方が一挙に信濃一国を手に入れたときは,「これぞ太閤の戦の仕様(しざま)か!」と感心しかけたが,しばらく見ていると,同様の事態は豊臣の領国である近江(滋賀県)や三河(愛知県柌浚─扦馄黏皮い搿¥嗓Δ鈶楣鷷r代は,お金のばらまき合いに転態する形で終焉を迎えつつあるようだ。日本の再統一は遠い。  というわけで,迷走する大局を尻目に,我が家は我が家の道を行く。いまや敵は北条ただ一勢力,状況は単純化されたのだ。今後の長期的な展望を考えたとき,我が家は豊臣よりも先に関枻耸长と毪氡匾ⅳ搿1标懁?年のうち3か月から5か月ほどが大雪で閉ざされる。このまま越後を平定したとして,日本海沿岸を進んだのでは,さらに冬の厳しい奥羽に踏み込むだけだ。  ならば越後から信濃,上野(群馬県)に出,大雪の心配のない関枻蛭杼à耍榨毳珐`ズンで北条を圧迫し続けたほうが効率的である,DQ10 RMT。  そんなとき,我が家の足下をすくうのは,またも主家たる豊臣家であった。信濃北部をめぐる再三のトラブルで,rmt,ついに両家の関係は修復不能な宿敵関係に陥る。主家が気まぐれで仕掛けた戦の直後には,通常「わだかまりの解消」イベントが入るものだが,それも度重なれば生じなくなる。どこかの時点で敵対関係になることは想定内だ。  豊臣と北条,合わせて1400万石を敵に抱えたと思うと,気が重くないといえばウソになるが,我が家も北条領を切り取っていまや200万石。対抗できないこともあるまい。  越中や加賀に出来ていた,目障りな豊臣の前進基地を潰したあとは,北条に対し攻勢,豊臣に対して守勢を貫くという形であって,やっていくこと自体は決裂前とさほど変わらない。そうした方針なのに,なぜわざわざ危険を冒して前進基地を潰したかといえば,やはり信濃の二の舞を警戒したのである。  石高で大きく勝る北条との争いは,城一つ奪おうとするごとに兵力で劣勢の野戦が生じる,なかなかシビアなものだったが,上野から武蔵(埼玉県+柧┒迹─丐龋樥{に前進していく。  いまや豊臣も敵であり,北条領を我が家が蚕食しつつある以上,豊臣こそが最大/最後の敵となる
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