見たかったのに見過ごしてしまった映画の一本が「百日告別(Zinnia Flower)」だ。
DVDが出たということで、やっと見ることができた。
昨年の10月に台湾で上映され、台北映画祭2015クロージング作となったが、正直そこまでヒットしなかった記憶がある。
だけれども、役者たちの抑えた演技と映画の内容がぴったりと重なり合い、すんなりと林書宇監督の描こうとする世界に入り込むことができ、考えさせられる上質な大人の映画となっていた。


映画の英題となっている「Zinnia Flower」とは百日草のこと。原題の「百日」にかけてつけたのだと思われる。
玉突き事故によって婚約者を失くした心敏(林嘉欣)と、妊娠中の妻を失くした張育偉(石頭)が主人公。
彼との結婚式の案内状の発送準備の最中だった心敏。新居への引っ越しも済ませ、二人でレストランを開く夢を持っていた……。亡くなった彼の葬儀を取り仕切るのは、自分ではなく、彼の家族。疎外感と最愛の人を失くした現実にうまく折り合いをつけるべく、結婚後のハネムーン旅行に行く予定にしていた沖縄へ、一人で出かける。
一方、自宅でピアノ教師をしていた妻とお腹の中の子供を失い、家族の心配も素直に受け入れられず、自暴自棄になる張育偉。授業料を返すため、ピアノを習いにきていた教え子たちの家を訪ね歩くうちに、徐々に自分を取り戻していく。
同じ事故でそれぞれパートナーを失った心敏と張育偉。二人は初七日から四十九日まで、七日ごとの節目に、お寺で行われる読経を通し、お互いの存在に気づく。
百か日を迎え、二人は前を向いて歩んで行くことになるのか……。


つい1分前まで、普通に横にいた最愛の人が手の届かないところに行ってしまった場合、どのように現実を受け止めるのか、というのがこの映画のテーマ。
実はこの映画、監督の林書宇さんが12年連れ添った最愛の妻を病気で失くした実体験に基づいて書き上げた脚本だ。だからなのか、時の変化とともに、残された人たちの心の変化を実に丁寧に描いているので、見ている側もすんなりとその世界に入り込むことができる。

今年に入り、わたしの台湾の親戚の伯母が亡くなった。
台湾での葬儀に参加したが、ちょうどこの映画の内容と重なり、より一層深く考えさせられた。
仏教では、人が亡くなると四十九日間、死者の魂が成仏せずにさまよっていると言われていることから、初七日から四十九日目の忌明けまで、七日ごとに合計七回法要を行うが、台湾でも同じだ。
台湾では「做七」と言い、頭七(初七日)、二七、三七…尾七(四十九日)の順にお寺に行き、お経を読む。
ただし、最近は葬儀の簡略化や少子化の影響により、頭七だけで済ませる場合や、頭七と尾七だけで終わらせることがほとんどとか。
伯母も頭七と尾七のみだったが、火葬の日にちを決めるのに、一苦労した。
というのも、台湾人は何をするにも、日本人より’日を選ぶ’。
火葬に適した日にちを選ぶため、亡くなった本人の誕生日はもちろんだが、親族一同の出生年月日まで考慮し、算出するのだ。火葬に適した日程の葬祭場が埋まっていれば、さらに別日を設定するので、数ヶ月後に火葬が行われることも少なくない。火葬当日は、ひざまずいたり、頭を床につけたりと親族は忙しい。この辺りは日本と大分違った慣習だ。
映画のなかで葬儀の詳細については描いていないが、心敏と張育偉を励ます周囲の人々の姿がリアルだ。

とにかく心敏を演じた林嘉欣と、張育偉を演じた石頭の控えめな演技が抜群に良い。
林嘉欣は本作で2015年の金馬奨の主演女優賞を受賞した。
ちなみに林嘉欣の母親は日本と台湾人のハーフのため、林嘉欣自身はクオーターということになる。
こういうバックグラウンドを配慮してハネームーン旅行の行き先は沖縄に設定されたのだろうか。
個人的には映画に出て来た八重山の富島にあるそば処「竹の子」や「なごみの塔」を訪れてみたいと思った。

”花開花謝終有時”
ショパンの練習曲25-1「エオリアン・ハープ」をバックに、心地よい時間が流れて行く。