隣人愛 | シフル・ド・ノストラダムス

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ノストラダムスの暗号解読

「あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。」
旧約聖書「レビ記」第19章18節

「43.『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
44.しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」
「マタイによる福音書」第5章43節~44節

「16.すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。
17.イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
18.彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。
19.父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。」
「マタイによる福音書」第19章16節~19節

感想
「マタイによる福音書」第23章9節の「また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である」と矛盾しない?
オウム真理教のようにならないためにも人格者の家族は最優先に考えるべきだね。

「35.そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
36.「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
37.イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
38.これがいちばん大切な、第一のいましめである。
39.第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
40.これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。 」
「マタイによる福音書」第22章35節~40節

「:28)ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。 :29)イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。 :30)心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 :31)第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。 :32)そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。 :33)また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。 :34)イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くない」。」
「マルコによる福音書」第12章28節~34節

感想
イサクの燔祭」でイサクは神に命じられて自分の一人息子を生贄として捧げたそうだが、オウム真理教のポアぐらいいかれているね。
そんな試練は存在しない。http://ameblo.jp/onema00/entry-12090529052.html

「25.するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
26.彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
27.彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
28.彼に言われた、「あなたの答えは正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。 」
「ルカによる福音書」第10章25節~28節

「9.「姦淫(かんいん)するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。
10.愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。」
「ローマ人への手紙」第13章9節~10節

感想
聖書の内容はあまり知らなかったけど、いじめを無くして千年王国(理想世界)を考えれば自然に分かる事だよね。因みに、聖書のどこにも自殺は禁止されていないらしい。尤もらしい事を言う人は自分を殺す事だからいけない(罪)と述べているが。自殺をすると本当に地獄に落ちるんだったら聖書にそう書くべきだろう。少なくとも、「終わりの時」には再臨する「主」は千年王国に要らない人達を殺しまくるが。(その時にどうせ殺されるんだからと思って自殺しても罪になるのかな?私は元々自殺は罪じゃないと思っているが。)

「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。 気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。 」
「ガラテヤ人への手紙」第5章13節~15節

感想
いじめをするような奴は「千年王国」には要らないという事だろう。

「2:8 もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。
2:9 しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。
2:10 律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。」
「ヤコブの手紙」第2章8節~10節

感想
やはり、「隣人愛」が最も尊い律法だろうね。ただし、「主なるあなたの神を愛せよ」も同じぐらい大事だろう。なぜなら、前者だけでは担任の教師のいない学級(仲の良い)のようなものでまとまらないだろうから。
しかし、現在の法律とは全くの「別のもの」だね。

最後に再び「ルカによる福音書」第10章から、
「27.彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
28.彼に言われた、「あなたの答えは正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。
29.すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。
30.イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
31.するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
32.同様に、レビ人(びと)もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
33.ところが、あるサマリヤ人(びと)が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
34.近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
35.翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。
36.この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
37.彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。」

感想
半殺しにされたのはユダヤ人で「サマリア人」は現代の日本で言う所の中国人や韓国人のような関係の人らしい。つまり、同国人は見て見ぬ振りをするのにあまり交流もない外国人が「義」のような心で助けたという事だろう。隣人愛とは国内の話だけではないという例え話らしい。
引用元:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211206302(一番下の所。)

おまけ