参考資料534 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

伝説
 ケイシーのリーディングは、病気の診断やその治療法に関するもの、相談者の過去世に関するもの、世界の未来の予言に関するものなどがあるが、一番わかりやすく目覚しいのは、未来予言だろう。
 ケイシーの未来予言は、外れることがないといわれた。彼は、第一次大戦や第二次大戦の勃発を的確に予言したし、インドの独立とイスラエルの建国なども予言した。

真相
 天変地異の予言が外れているだけでなく、世界情勢、国際政治などに関するケイシーの予言も、お世辞にも当たっているとはいえない。
 たとえば、ケイシーはケネディ大統領の暗殺を予言していた、などとよくいわれる。だが実際は、ケイシーは、「ケネディ」などという固有名詞を何も挙げていない。また、いつ起きるのか期限も区切っていない。そもそも大統領が暗殺されるとも言っていない。ケイシーが言っていたのは、とても漠然とした言い回しで「オフィスから生きて出られない大統領が二人でることだろう」と語っただけだ。
 この予言が1939年に行われていたため、それ以後に在任中に死亡した大統領ということで、ルーズベルトとケネディの名前が当てはめられているのにすぎない。これではケネディ大統領を予知していたなどとは、とてもいえないだろう。
「検証 予言はどこまで当たるのか」ASIOS・菊池聡・山津寿丸著より

感想
>ケイシーが言っていたのは、とても漠然とした言い回しで「オフィスから生きて出られない大統領が二人でることだろう」と語っただけだ。

シンクロニシティーとしては凄いけど、ケネディが見えていたらケネディと言うだろうね。ただし、固有名詞を出すと未来が変わってしまう可能性もあるね。(的中率95%の男に暗殺されると予言されたら大統領になる前に他の道に進むかもしれないとか。)その辺の所は憶測の域を出ないので論じても意味がないからしないけど。(念のため、(外れた予言を)パラレルワールドでは実現していたんだとかいう言い訳はバカバカしくて相手にしていない。)

因みに、過去アメリカの大統領は10人が暗殺未遂に遭っていて、死亡したのは4人らしいが、1939年以降に暗殺されたのはケネディ大統領だけである(1963年)。また、在任中に死亡したのは確かに1933年から大統領だったルーズベルト大統領だけである(1945年に脳卒中で死去)。

だからこの二人という人数と、予言した時の大統領が「オフィスから生きて出られな」かったシンクロ二シティー度は相変わらず凄い。

参考までに、ノストラダムスの予言にもケネディー暗殺のシンクロニシティーがあったと思ったが、今回調べた所、そのフランス語の原文は五島氏の創作の可能性が非常に高いそうである。個人的には、五島氏が中途半端な知識でフランス語の古語を間違えて作って詩を偽造したとはあまり思えないが。http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/ben/interpr2.htm(「ドルスの大王」という所のセオフィラスの異本が五島氏の創作らしい。)
ブロワ城の問答のように五島氏よりちょっと先輩の欧米の研究者の創作なのではないだろうか。(ただし、「ブロワ城の問答」も五島氏の創作の可能性も0じゃない。)

私の推理では、
「「女が船に乗って空をとぶ/それからまもなく、一人の偉大な王がドルスで殺される」
 私はこれを読んで、バカみたいな奇妙な文句だと思った。もちろん、意味はまったくわからなかった。ところが、その翌年の七月、世界最初の女性宇宙飛行士を乗せた衛星船ボストーク6号が、ソ連によって打ちあげられた。
 そして、おなじ年の十一月には、ケネディ大統領がテキサス州のダラスで暗殺された。
 このとき感じたショックは、なんと言っていいかわからない。私は右の詩を思い出して体がすくんだ。それはどうみても、たった一字ちがいで、この二大事件を、正確に見通したもののように思われた。(『I』赤背版、p.3. 引用に際して傍点を割愛した)」

これは五島氏の嘘だから青背版では削り取って(多分後解釈でびっくりしたのは本当だが、話を膨らませたのを誰かに指摘されたとか)、代わりに巻末に原文を載せたのではないだろうか。ただし、それもまとまった原本がある訳ではなくメモ程度のものだが、五島氏は証拠を提示したつもりなのではないだろうか。(日本人ならどうせ分からないと思うんだったら赤背版から載せるだろうし、多分赤背版のうちに100万部とか売れてフランス語学者の目に触れる可能性もあるのにそれから古語を憶測で作り詩を偽造するなんて考えられない。)

>話を誰かに指摘されたとか、

「女が船に乗って空をとぶ/それからまもなく、一人の偉大な王がドルスで殺される」の的中をリアルタイムで体感し、ノストラダムスに夢中で取り組むようになったというのが本人の弁である。しかしこの予言詩は後の青背版『大予言』に部分的に原文が載せられたものの、ノストラダムスのテクストあるいはその習作にも見られず、五島の創作であることが判明している。後に五島は最初にショックを受けた詩を第九巻六五番の「月の片隅に到達するだろう」に置き換えている。最近のものでは『ノストラダムス 21世紀へのメッセージ』の「第一部 緊急インタビュー・五島勉氏に聞く」32頁など。古くは雑誌「ムー」1981年5月号(第10号)の五島の寄稿「ノストラダムスの謎を解くKEY!日本が生き残る道はあるか」には「この変てこな詩を、私は十五年ほど前にはじめて読み、なんのことかさっぱりわからなかった」とある。逆算すると詩の存在を知ったのが1966年となり、1969年のアポロの月面着陸にしか結びつかない。何故『大予言』初版で初めてその原文を読んだのを1962年としたのか。それは1962年の翌年の6月のソ連の初の女性宇宙飛行士テレコシワ誕生と11月22日のケネディ暗殺の前に予言詩を読んだことにしたかったからだ。こういった事後にその昔予言詩の成就を自ら目撃したとして、予言の正当性あるいはノストラダムスが本当に未来を見る能力を持っていたと主張する手法は海外の研究書にも見られる。ジェームズ・ランディは英国のノストラダムス研究家ガランシェールの似たような例を紹介している。五島の場合にはそれをまったく架空の詩(しかも四行詩にもなっていない!)でもって演出し、創作と知れるやいなや別の詩がそうだったと置き換えた。こんなひどい実例はさすがに世界でも例を見ない。ところが14年後に出版された大予言シリーズ『ノストラダムスの大予言スペシャル日本編』ではあくまで正本ではない異本(五島はビットリオの異本と命名しているがこの世に存在しない)にあるとしているが、今更蒸し返さなくても・・・と感じたのは筆者だけではないだろう。http://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/report/report_01.htm(念のため、1981年に指摘されたと考えている訳ではない。)


おまけ