参考資料339 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「彼はまた、わたしに言った、「これらの言葉は信ずべきであり、まことである。預言者たちのたましいの神なる主は、すぐにも起るべきことをその僕たちに示そうとして、御使をつかわされたのである。見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」。これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使の足もとにひれ伏して拝そうとすると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい」。またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なることを行うままにさせよ」。」
「ヨハネの黙示録」第22章6節~11節

感想
>彼はまた、わたしに言った、「これらの言葉は信ずべきであり、まことである。預言者たちのたましいの神なる主は、すぐにも起るべきことをその僕たちに示そうとして、御使をつかわされたのである。見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」。

前回よりこの「彼」は御使であり、その彼が「見よ、わたしは、すぐに来る」と言っているので、終わりの時にイエス・キリストと共に来る者がいるようだ。今までの解読からそれは「ほふられた小羊」だが、未来の救世主が過去にも現われている所を見ると、やはり未来人か。

>これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使の足もとにひれ伏して拝そうとすると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい」。

因みに、第1章に「この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである」とある。
また、第19章に「それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。そこで、わたしは彼の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」。」とあるが、恥ずかしながら今までこれは「ほふられた小羊」の発言と勘違いしていたが、よく読むと「御使」の発言だった。上の解読から「御使」と「ほふられた小羊」が同一人物とも考えられるが。因みに、第3章に「わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである」とあるのと、第5章に「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました」とあるので、謙虚な人物なのだろう。ただし、第3章の人物が「ほふられた小羊」という確証は無い。どうも話の一貫性が取れないのはダブルミーニングのせいだと思われる。http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11616312268.html
普通に読めば、御座にいます方はヤハウェで小羊はイエス・キリストだろう。しかし、御座にいます方がイエス・キリストで小羊がノストラダムスの言う「別のもの」とも読める。(第12章の「鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者」は第19章から救世主だが、聖母マリアから生まれる訳ではないから。)
どっちにしろ、「イエスのあかしびと」や「イエスの証人」という言葉が出て来るので、選民は「イエス・キリストの再臨」を信じられる人々だろう。

おまけ