参考資料182 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「本章に入る前に、まずは208ページからの「アンリ二世への手紙」全文を通読していただきたい。一読すれば明らかなように、この一文は、ノストラダムスが同時代のフランス国王・アンリ二世に宛てた手紙の形をとって、人類の戦慄すべき未来の様相を予言したもの、とされている。しかし、ここに大きな疑問が残る。ノストラダムスはいったい何のために、このような手紙を、アンリ二世に宛てて書く必要があったのかということである。冒頭部に「すぐれて思慮深く賢明なる君主殿に、わが予言を捧げるしだいであります」とある。『諸世紀』の爆発的人気によって、一躍「時の人」となったノストラダムスであれば、時の最高権力者に恭順の意を示しておく必要があった、とは言えるかもしれない。だが、それだけであろうか?ここで、手紙が書かれた日付に注目しよう。1558年6月27日である。そしてアンリ二世は、翌年、1559年7月10日に死去するのだ。もちろんノストラダムスは、手紙を書いた時点で、すでにアンリ二世の死を予見していた。というのも、『諸世紀』の第1章35番でこう予言しているからだ。

若獅子が年上の獅子を打ち負かすだろう
闘いの野 一騎討ちの果し合いで
金色の籠のなか彼は眼を突き刺すだろう
一方に二つの傷
やがて彼は醜い死に方をする

これは有名な話なのでご存知の読者も多いと思うが、アンリ二世はまさにこの予言詩と寸分たがわぬ死に方をするのだ。自ら参加した馬上競技会で、アンリ二世は七歳年下の近衛隊長モンゴメリと対戦。試合中、モンゴメリの槍の柄が二つに裂けて国王のかぶとを貫き、目のすぐ上に突き刺さった。さらに喉にも第二の傷を受け、アンリ二世は10日間苦しみぬいた末に絶命した。ちなみにアンリ二世は、獅子の紋章をよく用いていた。何から何まで予言どおりであろう。さて、ここで考えてほしい。一年後に死ぬとはっきりわかっている人物に、人類の未来の予言など告げてどうするのか、である。それに、ノストラダムスは「思慮深く賢明な」と言ってはいるが、事実は馬上競技会で命を落とすなどというドジでおっちょこちょいな人物に、その予言を理解する能力があったとはとうてい思えないではないか。とすると、真実は一つしかあるまい。ノストラダムスはアンリ二世に宛てて、この手紙を書いたのではない。手紙は、はるか未来に出現するであろうある人物に宛てて書かれたのだ。それは、いったい誰であろうか?原文に注目すべし。宛て名は「Chrestien Henry」(キリスト教徒アンリ)となっている。次に、第2章79番の予言詩を見ていただきたい。

巻き毛の黒髭の男が策を弄して
残忍高慢な国を屈服させるだろう
偉大なシーレンが遠方から奪うだろう
三日月の旗に捕えられた者どもすべてを

もう一つ、第6章70番も重要だ。

大いなるシーレンが世界の主となろう
より遠くへと愛され 畏怖されしのちに
彼の名声 称賛は天をも超え
彼は勝者の称号のみで大いに満足する

ともに偉大な「シーレン」なる人物が登場し、しかも彼は「世界の主となろう」とまでノストラダムスは予言している。ところで、シーレンは原文では「Chyren」と綴られている。一方、ノストラダムスが手紙を宛てた人物は「Chrestien Henry」。下線部を並べ換えてみよう。Chyrenとなるではないか?ノストラダムスがよく用いるアナグラム(綴りかえ)だ。すなわち、遠い未来に現われて「世界の主となる」シーレンに宛ててこそ、ノストラダムスはこの手紙を書いたのである。」
「ノストラダムス メシアの法」川尻徹著より

補足
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10637020959.html
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10647193467.html
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10649091180.html

おまけ