参考資料120 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「ふつう予言者というと、世間から隔絶された地下室かなにかで、水晶玉を凝視したり、あるいはノストラダムスのように、四行詩かなにかをひたすら書きつづるといったイメージがあるが、王仁三郎の場合はまるでちがっていた。彼は予言者であると同時に、自分のはなった「予言」の渦中につねに身をおき、その驚くべき「超能力」や、あまたの未来予測とともに、ときの政府をふるえあがらせ、ついには、みずから近代日本史の「生贄」となり、ある警告を私たちに暗示しつづけてきたのである。では、王仁三郎の大予言はどこからやってくるのだろう。それはたんに、たとえばノストラダムスの予言のように、個人のいわゆる超能力だけによるものなのだろうか。じつはここに、私が本書で解明しようとしている、ある真相、“霊界(神界)はある特定の人物を媒介にして、現界(現実社会)にその影を投げかけてくる”ということの、その秘密が隠されている。だから、ここで私がいう霊界とは、最近よく水子霊とか、守護霊とかいうふうにかたられている霊界とは、すこしちがうのである。もちろん、そのような霊界もあるにはあるが、そんなものはレベルの低い霊界である。霊界(神界)―――それは、宇宙を形成し歴史を動かす背後の力、つまり見えざる歴史のプログラムなのだ。私がここで出口王仁三郎の生涯を追い、解明しようとしていることは、王仁三郎の究極予言にかたられている謎である。つまり読者が、この本でたどりつく世界は、人類のだれひとりとしてのがれられない神の経綸、きたるべき未来の真相ということになる。未来をかいま見ることは、だれにとっても恐ろしいことだと思う。しかし、その意味をすこしでも理解できていれば、たとえ、どのような事態に直面しようと、不必要な混乱は避けられるのではないだろうか。
・・・・彼の予言によれば、人類は「ミロクの世」にいたるまえに、どうしても、破局的な混乱状態を越さねばならない、というのである。この再生にいたるカタストロフィを、ナオと王仁三郎は「大峠」と表現した。いったい大峠とはどんな峠なのか。またこの峠を越えるのはいつなのだろうか。・・・・ナオの「お筆先」を分析すると、この最後の急坂にさしかかると「なにもかも世界が一度になりてくる」という。また、<立て替え立て直し>は、王仁三郎によれば「神による地球経綸の完成」であるという。・・・・そして、近年の世界交通とメディア・ネットワークの急速な進歩によって、はじめて「なにもかも世界が一度になりてくる」現実的条件が生まれてきたといえるのである。
・・・・この時節という意味でも、王仁三郎はまさに「型」だったといえる。彼の出現はまさに世界史的な霊的事件であった。彼の出現した時代は、まだ霊的進化の土台としての、地球神経ネットワークというシステムも、考えられなかった時代である。それゆえ、彼はバイアス器官となりながら、現界との決定的な磁場交換を完成できなかった。しかし、彼は霊界と現界を結ぶことが重要であることを、まさに「型」として示したのである。そして王仁三郎は、国家に内乱の危機まで抱かせるほど、強烈に霊界の指導原理をときはなち、その霊的運動をとおして、きたるべき世界を準備する人びとの意識に、霊界の刻印を押したのである。王仁三郎自身、奇妙なことをいっている。自分は「偽者」だというのである。それは、彼が政治家・床次竹二郎の弟、真広に渡した遺書である。
「いま、大本にあらはれし、変性女子はニセモノじゃ、誠の女子があらはれて、やがて尻尾が見えるだろ。女子の身魂を立て直し、根本改造しなくては、誠の道は何時までもひらくによしなし。さればとて此れにまさりし候補者を、物色しても見当たらぬ。時節を待ちていたならば、何れあらはれ来るだろう。美濃か尾張の国の中、まことの女子が知れたなら、もう大本も駄目だろう。前途を見越して尻からげ、一足お先に参りましょ。皆さんあとからゆっくりと、目がさめたなら出てきなよ。盲千人のその中の、一人の目明きが気をつける。ああかむながら、かむながら、かなはんからたまらない、一人お先へ左様なら」
・・・・王仁三郎の遺書のなかでも告知された、彼の霊的使命をうけつぐそのような<身魂>は、世界のひな型としてこの日本に遠からず出現し、やがて世界をその霊的指導原理によって再編するために立ち上がるだろう。おそらく、そのような<身魂>は、すでに受肉を終えているかもしれない。そして、霊界からの指令にもとづいて、その堅忍不抜のネットワークを形成し、最後の世界改造のための「しくみ」を着々とはじめているにちがいない。読者は、すでに静かではあるが、深い部分で回転しはじめた、霊界の磁場が発する気配を感じないだろうか。」
「出口王仁三郎の霊界からの警告」武田崇元著より

おまけ