参考資料29 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「「たしかに、1999年7月には、何事も起こりません。しかし、わずかひと月後の8月18日、太陽系の全惑星は、この画面のような大変動を起こします。これは“グランド・クロス”と呼ばれる状態だそうです。めったに起きない危機の配置だということです。それが1999年8月18日、確実に起こることを、糸川博士のコンピュータがはじきだしました!」
・・・・ショックだった。とんでもないことになったと私は思った。私としてはむしろ、糸川コンピュータが1999年7月、「何も起こらない」とだけ答えて収めてくれたほうが、まだしも気が楽だったと思う。その場合、私は非難されたろう。ノストラダムスの予言が科学的に否定されたのなら、解釈者の私も当然ののしられる。逆にいえば被害者は私一人ですむ。人々はもうノストラダムスを思いわずらう必要はなく、人類は枕を高くして寝られる。それが、そうはいかなくなってしまったのだ。めったにない異常なことが空に起きる。しかもその時期は大予言からひと月遅れるだけだ、という点で、糸川コンピュータはノストラダムスを科学的に裏付ける結果になってしまったのだから。けっきょく、否定されたのは「7の月」だけである。「1999年」はノストラダムスとコンピュータがぴたりと一致した。コンピュータはそれに精密な日付けをつけ加え、その日こそグランド・クロスの日だ、と確定したのだ。これはどういうことか。グランド・クロスとはそもそも何か。それはノストラダムスの予言した、空から降ってくる「恐怖の大王」と何か関係があるのか。おなじものか。違うことか。「7の月」と「8月18日」も、たがいに関係ない二つの時期か。それともこの二つはおなじことを言っており、ノストラダムスがひと月だけ予知をまちがえたのか。コンピュータが計算をひと月まちがえたのか。この答えは意外に簡単に解けた。簡単すぎるほどのことだが、一応、答えのキーだけでもお知らせしておく。それはスイス生まれの新進のノストラダムス研究家、フランク・スタッカートが最近出した本のなかにあった。スタッカートは、ノストラダムス予言にもとづいて、これからの人類の未来をくわしく予測し、彼なりの身の毛もよだつような結論を出しているのだが、その本の題名が、なんと『1999年8月』なのである。なぜ「7の月」でなく「8月」なのか。その理由をスタッカートはこう書いている。十六世紀のフランスでは、まだ太陰暦が使われていた。「閏月」(うるうづき)が組み込まれていた。だからノストラダムスの言う「7の月」は、いまのカレンダーに直せば8月なのだ、と。私はこれをうのみにもできないので、フランスの風俗史を調べ直してみた。するとスタッカートの言い分も、ある程度正しいことがわかってきた。当時、一部の新教徒は太陽暦を使いはじめていたが、一般の日常生活では、ローマ法王庁の古い太陰暦がまだ通用していたらしいのである。ノストラダムスがこれを使っていたとすると、彼の予知した「7の月」の時期は、糸川コンピュータのはじきだした「8月18日」とぴったり重なる。これを強調するつもりはない。ノストラダムスが太陽暦を使い、ひと月だけ予知をまちがったのだとしても、私は少しもかまわない。それでも無気味さはおなじである。四百何十年も前の不可解な男の予言が、現代科学のコンピュータ予測と、たったひと月しか違わなかった、という事実。その内容が、空から降ってくる「恐怖の大王」と、やはり空で起こる「グランド・クロス」だという相似の恐ろしさ。しかもこれは、フランス語で言えば「グランド・クロワ」である。「恐怖の大王」の「大王」(グラン・ロワ)と、発音でもつづりでもきわめて近い(注)。このことも私の背筋を凍らせる。そのうえ大王にしろグランド・クロスにしろ、それが来るまで、いまこれを書いている時点からわずか20年しかないのだ。急がねばならない。それはほんとに来るのか、それが来たとき、救いはあるのか、どうすれば切り抜けられるか、そのことを考えるためにも、まずグランド・クロスの謎を解かねばならない。―――テレビではついに説明されなかったグランド・クロス。それはいったい何か?(次回に続く。)
注:グランド・クロス⇒グラン・ロワ
ノストラダムスは占星術師でもあった。彼の祖父はユダヤ系の神秘学者で、この祖父から彼は古代ユダヤ占星術の秘伝を受けた。それが彼の詩にも濃い影を落としている。ユダヤ占星術は、はるかな未来まで追求するので、彼は当然、1999年夏、惑星たちがグランド・クロス(グランド・クロワ)の位置に来ることを知っていたろう。そのうえで「恐怖の大王」(グラン・ロワ)という言葉を使ったのだから、両者に密接な関係があることを彼は訴えたかったのだと思われる。「20世紀末、グランド・クロスのとき、グラン・ロワが降る」―――そう結びつけて予知していたと考えてまちがいはない。」
「ノストラダムスの大予言Ⅱ」五島勉著より

おまけ